アレクサンダー・ヴルツ

オーストリアのレーシングドライバー

アレクサンダー・ヴルツAlexander Wurz1974年2月15日 - )は、オーストリア人の元レーシングドライバー。1996年、2009年ル・マン24時間レース優勝。FIA 世界耐久選手権に参戦するトヨタのドライバー顧問であり、F1ではウィリアムズのドライバー顧問も務める。身長187センチ[1]

アレクサンダー・ヴルツ
ヴルツ (2016年ル・マン24時間レースにて)
基本情報
略称表記WUR
国籍 オーストリア
出身地同・ニーダーエスターライヒ州
生年月日 (1974-02-15) 1974年2月15日(50歳)
F1での経歴
活動時期1997 - 2000 , 2005 , 2007
所属チーム'97-'00ベネトン
'01-'05マクラーレン
'06,'07ウィリアムズ
出走回数69
タイトル0
優勝回数0
表彰台(3位以内)回数3
通算獲得ポイント45ポイント
ポールポジション0
ファステストラップ1
最終戦2007年中国GP
テンプレートを表示

日本語表記では姓を「ブルツ」、名を短縮形の「アレックス」と記す場合もある[2]

経歴

ニーダーエスターライヒ州山間部のターヤ川沿いの町、ヴァイトホーフェン・アン・デア・ターヤ英語版で、ERAヨーロッパラリークロス選手権(現在のFIA ヨーロッパ選手権 ラリークロスドライバーズ)で活躍していた父フランツ・ヴルツの息子として生まれる。アレクサンダーの競技キャリアは自転車BMX (バイシクルモトクロス)で始まった。1986年に12歳でBMX世界選手権で優勝を果たす。

その後レーシングカートを開始。1991年、ドイツ・フォーミュラ・フォード1600に参戦し四輪レースへデビューした。1992年に同クラスで5勝を挙げチャンピオンを獲得。この年はフォーミュラ・オペル・ロータスユーロシリーズにも参戦した。

1993年、ヘルムート・マルコの「マルコRSM」に加入しドイツF3選手権に参戦。1994年にG+Mエスコムへ移籍し、ドイツF3で3勝を挙げランキング2位を獲得。1995年もチームに残留しランキング6位となった。

1996年よりスポーツカーレースの名門ヨースト・レーシングに加入し、オペル・カリブラ国際ツーリングカー選手権 (ITC)に参戦開始。ヨーストからはル・マン24時間レースへもポルシェ・WSC95で参戦し、デイビー・ジョーンズマヌエル・ロイターと共に総合優勝。ル・マン24時間レースの史上最年少総合優勝記録(22歳4カ月と1日)保持者となった(2021年時点)[3]

フォーミュラ1

1997年にベネトン・フォーミュラのテスト・リザーブドライバーとして契約。F1第7戦カナダGPで、鼻の手術のため欠場した同郷の先輩ゲルハルト・ベルガーの代役として初出場。参戦した3レース中、予選では2レースでチームメイトのジャン・アレジを上回り、さらに参戦3戦目の第9戦イギリスGPでは、2位に入賞したアレジに次ぐ3位表彰台を獲得した。第10戦からはベルガーが復帰したため、この年は3レースの出走のみだったが、このベネトンでのレースを見たザウバーが不調だったセカンドドライバーのニコラ・ラリーニと負傷したジャンニ・モルビデリの後任としてヴルツを獲得できるか調査したが、ベルガーの復帰が遅れることを考慮したベネトンが彼を手放すことを拒否したため、ザウバー入りは実現しなかった[4]

1997年イギリスGP。3位表彰台を得る

前年の活躍が認められ、1998年よりベネトンのレギュラーシートを獲得。同年は4位入賞5回と健闘を見せるが、それ以降はチームが低迷期に入り、チームメイトのジャンカルロ・フィジケラともども、マシンの戦闘力不足に手を焼くようになり、1999年は入賞3回、2000年にはわずか1戦のみのポイント獲得に留まり、翌シーズンのレギュラーシートを失った。

このため2000年シーズンオフにマクラーレンのテストドライバーとして契約。以降、何度かジャガーなど他チームのシート獲得寸前までいったこともあったが、実現に至らなかった。この頃撮影された写真で左右のドライバーシューズの色が異なっている物が見られるが、スポンサーのD2に配慮してのものではない(後述)。

2005年第4戦サンマリノGPには怪我で欠場したファン・パブロ・モントーヤに代わりおよそ5年ぶりにレースに出場し、B・A・Rの失格による繰上げながら3位入賞を果たした。

2004年マクラーレンのテストドライバー時代

長らくテストドライバーを務めていたが、上記のジャガーとの交渉でも分かるように常にレギュラーシートのチャンスをうかがっていることはよく知られている。2006年についてはマクラーレンのテストドライバーを2005年のDTMチャンピオン、ゲイリー・パフェットに譲ることとなったことから、DTMへの転身などの可能性が囁かれていたが、結局2007年以降のレギュラーシートを目指して、ウィリアムズのテストドライバーに就任。

2007年イタリアGP

2007年には念願叶い、ウィリアムズのレギュラードライバーに昇格。ベネトンを放出されて以来7年ぶりにレギュラーシートを獲得した。予選ではスピードに勝るニコ・ロズベルグに大敗するも、大荒れのレースで確実にポイントを獲得し、カナダGPでは2005年以来の3回目の表彰台(3位)を果たした。その後のヨーロッパGPでも、マーク・ウェバーに惜しくも届かなかったが4位入賞。なお、中国GP後にF1からの引退を表明し、最終戦ブラジルGPの出走を中嶋一貴に譲ったが、2008年1月10日にホンダからリザーブ兼テストドライバーとして起用することが発表された。

その年の年末にはホンダのF1撤退が発表され、当初は2009年も引き続き後継チームのブラウンGPにて同職を継続するとされた(ただしシーズン中テスト禁止規則のため、実際はリザーブとアドバイザー職を務めるとしていた)[5]。しかし開幕直前になり、チームはヴルツではなくアンソニー・デビッドソンをリザーブドライバーとする発表をしたため、ヴルツはアドバイザーとしての職務となり、自身は「少なくとも今年一杯、おそらく来年以降もチームに残留する」とコメントしている[6]

2010年F1の参戦枠3チーム増加に伴うエントリー募集に対し、オーストリアの投資会社スーパーファンドと組んだ「チームスーパーファンド」の代表としてヴルツはエントリー。しかし、選ばれたのはUSF1カンポス・グランプリマノー・グランプリの3チームとなり、チームスーパーファンドは2010年のF1新規参戦の道が閉ざされた。

2012年からウィリアムズのドライバー顧問を勤める。また、ウィリアムズからのF1復帰が報じられたが、本人やチームは否定している。

2014年より、GPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)の会長に就任している。

耐久レース

前述の1996年のル・マン24時間レースだけでなく、F1参戦後の2009年のル・マン24時間レースでは、プジョー・スポールからプジョー・908 HDi FAPで参戦し、自身2度目の総合優勝を挙げた。

2012年からはトヨタ・レーシングに加入、ハイブリッドカートヨタ・TS030 HYBRIDをドライブした。ニコラ・ラピエールと共に第3戦ル・マン24時間レースから6戦に出場、うちサンパウロ富士上海で優勝し、ドライバーズチャンピオンシップで3位を獲得した。2014年シーズンはトヨタ・TS040 HYBRIDをドライブし、チームタイトル獲得に貢献した。

2015年シーズンを最後に現役引退が発表され、2016年1月のデイトナ24時間レースがラストレースとなった。今後は父が参戦していたラリークロスへの転身を希望していた。

人物

ヴルツのヘルメット (2007仕様)
  • 1990年代当時の四輪レーサーとしては、二輪レーサーに多くみられる派手なカラーリングのヘルメットが特徴的だったが、これは四輪デビュー前に二輪のモトクロスにアマチュアで参加しており、その頃のヘルメットデザインを継続して使用していたためである。
  • オリビエ・パニスペドロ・デ・ラ・ロサと同じく開発能力を高く評価され、レギュラードライブの機会がない時期もチームを下支えしてきた存在である。2007年にF1引退を発表した際、フランク・ウィリアムズは「これまでチームが一緒に仕事をしてきた中でも最高のテスト及び開発ドライバーの一人」と語った[7]
  • ベネトンからF1デビューした当時、左右で色の異なる(赤と青)レーシングシューズを履いていることが話題となった。これはカート時代、愛用のレーシングシューズを片方隠されてしまい仕方なく別のシューズを片方だけ履いてレースに臨んだところ、優勝してしまったということにゲンを担いだもので、WECにトヨタから参戦した2012年現在も続けている。しかしマクラーレン所属時にはフォーマルな服装を好むロン・デニスから禁止を言い渡されていた。
  • 2000年にヴルツは同じくオーストリア人のマーカス・レイナーと共同でマウンテンバイクチームを設立した。『チームRainer-Wurz.com英語版』にはスポンサーとしてマクラーレン、シーメンスキャノンデールが名を連ね、マウンテンバイク・ワールドカップで数回優勝している。
  • スポーツ自転車のプロデュースも行っており、自転車ブランド Katargaは、「アレクサンダー ヴルツ EVO SL」と名付けられた限定版のマウンテンバイクを発表。そのフレームにはヴルツのサインが目立つように描かれた。

レース戦績

フォーミュラ

ドイツ・フォーミュラ3選手権

チームエンジンクラス1234567891011121314151617181920DCポイント
1993年マルコRSMフィアットAZOL
1

Ret
ZOL
2

7
HOC
1

9
HOC
2

6
NÜR
1

20
NÜR
2

12
WUN
1

Ret
WUN
2

DNS
NOR
1

10
NOR
2

11
DIE
1

9
DIE
2

4
NÜR
1

Ret
NÜR
2

12
ALE
1
ALE
2
AVU
1

DNS
AVU
1

11
HOC
1

9
HOC
2

9
13位27
1994年G+Mエスコム・モータースポーツオペルAZOL
1

C
ZOL
2

4
HOC
1

1
HOC
2

1
NÜR
1

3
NÜR
2

3
WUN
1

Ret
WUN
2

6
NOR
1

4
NOR
2

3
DIE
1

3
DIE
2

3
NÜR
1

3
NÜR
2

2
AVU
1

4
AVU
1

3
ALE
1
5
ALE
2
3
HOC
1

7
HOC
2

1
2位219
1995年AHOC
1

4
HOC
2

3
AVU
1

Ret
AVU
1

5
NOR
1

22
NOR
2

8
DIE
1

Ret
DIE
2

DNS
NÜR
1

7
NÜR
2

8
ALE
1
Ret
ALE
2
7
MAG
1

2
MAG
2

2
HOC
1

Ret
HOC
2

19
6位74

F1世界選手権

チームポイントランキング決勝最高位・回数表彰台回数*予選最高位・回数
1997年ベネトン414位3位・1回1回8位・1回
1998年178位4位・5回0回5位・3回
1999年313位5位・1回0回7位・2回
2000年215位5位・1回0回5位・1回
2005年マクラーレン617位3位・1回1回7位・1回
2007年ウィリアムズ1311位3位・1回1回11位・2回

*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリット

チームシャシーエンジン12345678910111213141516171819WDCポイント
1997年ベネトンB197ルノー・RS9 3.0L V10AUSBRAARGSMRMONESPCAN
Ret
FRA
Ret
GBR
3
GERHUNBELITAAUTLUXJPNEUR14位4
1998年B198プレイライフ・GC37-01 3.0L V10AUS
7
BRA
4
ARG
4
SMR
Ret
ESP
4
MON
Ret
CAN
4
FRA
5
GBR
4
AUT
9
GER
11
HUN
16
BEL
Ret
ITA
Ret
LUX
7
JPN
9
8位17
1999年B199プレイライフ・FB01 3.0L V10AUS
Ret
BRA
7
SMR
Ret
MON
6
ESP
10
CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
10
AUT
5
GER
7
HUN
7
BEL
14
ITA
Ret
EUR
Ret
MAL
8
JPN
10
13位3
2000年B200プレイライフ・FB02 3.0L V10AUS
7
BRA
Ret
SMR
9
GBR
9
ESP
10
EUR
12
MON
Ret
CAN
9
FRA
Ret
AUT
10
GER
Ret
HUN
11
BEL
13
ITA
5
USA
10
JPN
Ret
MAL
7
15位2
2005年マクラーレンMP4-20メルセデス・FO 110R 3.0L V10AUSMALBHR
TD
SMR
3
ESPMON
TD
EUR
TD
CANUSAFRAGBRGER
TD
HUN
TD
TURITABEL
TD
BRA
TD
JPNCHN17位6
2006年ウィリアムズFW28コスワース・CA2006 2.4L V8BHR
TD
MAL
TD
AUS
TD
SMR
TD
EUR
TD
ESP
TD
MON
TD
GBR
TD
CAN
TD
USA
TD
FRA
TD
GER
TD
HUN
TD
TUR
TD
ITA
TD
CHN
TD
JPN
TD
BRA
TD
2007年FW29トヨタ・RVX-07 2.4L V8AUS
Ret
MAL
9
BHR
11
ESP
Ret
MON
7
CAN
3
USA
10
FRA
14
GBR
13
EUR
4
HUN
14
TUR
11
ITA
13
BEL
Ret
JPN
Ret
CHN
12
BRA11位13

スポーツカー

FIA GT選手権

チーム使用車両クラス1234567891011順位ポイント
1997年AMG-メルセデスメルセデス・ベンツ・CLK-GTRGT1HOC
Ret
SIL
2
HEL
8
NÜRSPA
2
A1R
4
SUZ
7
DON
1
MUG
Ret
SEB
7
LAG
7
10位25

ル・マン・シリーズ

チーム使用車両クラス12345順位ポイント
2009年プジョー・スポール・トタルプジョー・908 HDi FAPLMP1CATSPA
12
ALGNÜRSILNC0
2010年LMP1CASSPA
4
ALGHUNSIL31位11
2011年プジョー・908LMP1CASSPA
1
IMOSILESTNC0

(key)

インターコンチネンタル・ル・マン・カップ

チーム使用車両クラス1234567
2010年プジョー・スポール・トタルプジョー・908 HDi FAPLMP1SILPET
2
ZHU
2011年プジョー・908LMP1SEB
8
SPA
1
LMN
4
IMOSILPET
1
ZHU

(key)

FIA 世界耐久選手権

チーム使用車両クラス12345678順位ポイント
2012年トヨタ・レーシングトヨタ・TS030 HYBRIDLMP1SEBSPALMN
Ret
SIL
2
SAO
1
BHR
Ret
FSW
1
SHA
1
3位96
2013年LMP1SIL
4
SPA
Ret
LMN
4
SAOCOAFSW
1
SHA
2
BHR
Ret
4位69.5
2014年トヨタ・TS040 HYBRIDLMP1SIL
2
SPA
3
LMN
Ret
COA
6
FSW
2
SHA
2
BHR
1
SÃO
4
5位116
2015年LMP1SIL
4
SPA
5
LMN
6
NÜR
6
COA
Ret
FSW
6
SHA
5
BHR
3
6位79

ル・マン24時間レース

ル・マン24時間レース 結果
チームコ・ドライバー使用車両クラス周回順位クラス
順位
1996年 ヨースト・レーシング マヌエル・ロイター
デイビー・ジョーンズ
ポルシェ・WSC95LMP13541位1位
2008年 プジョー・スポール・トタル ステファン・サラザン
ペドロ・ラミー
プジョー・908 HDi FAPLMP13685位5位
2009年 デビッド・ブラバム
マルク・ジェネ
LMP13821位1位
2010年 マルク・ジェネ
アンソニー・デビッドソン
LMP1360DNFDNF
2011年 アンソニー・デビッドソン
マルク・ジェネ
プジョー・908LMP13514位4位
2012年 トヨタ・レーシング ステファン・サラザン
中嶋一貴
トヨタ・TS030 HYBRIDLMP1134DNFDNF
2013年 ステファン・サラザン
中嶋一貴
LMP13414位4位
2014年 ステファン・サラザン
中嶋一貴
トヨタ・TS040 HYBRIDLMP1-H219DNFDNF
2015年 ステファン・サラザン
マイク・コンウェイ
LMP13868位8位

デイトナ24時間レース

デイトナ24時間レース 結果
チームコ・ドライバー使用車両クラス周回順位クラス
順位
2016年 フォード・チップ・ガナッシ・レーシング ブレンドン・ハートレイ
ランス・ストロール
アンディ・プリオール
ライリー・Mk XXVI-フォードP7255位5位

セブリング12時間レース

セブリング12時間レース 結果
チームコ・ドライバー使用車両クラス周回順位クラス
順位
2010年 プジョー・スポール・トタル アンソニー・デビッドソン
マルク・ジェネ
プジョー・908 HDi FAPLMP13671位1位
2011年 アンソニー・デビッドソン
マルク・ジェネ
プジョー・908LMP13158位8位

ツーリングカー

国際ツーリングカー選手権

チーム使用車両1234567891011121314151617181920212223242526順位ポイント
1996年ヨースト・レーシング・オペルオペル・カリブラ V6 4x4HOC
1

Ret
HOC
2

Ret
NUR
1

12
NUR
2

Ret
EST
1

10
EST
2

8
HEL
1
Ret
HEL
2
9
NOR
1

12
NOR
2

8
DIE
1

9
DIE
2

8
SIL
1

7
SIL
2

4
NUR
1

Ret
NUR
2

DNS
MAG
1

10
MAG
2

6
MUG
1

6
MUG
2

9
HOC
1

Ret
HOC
2

DNS
SAO
1
SAO
2
SUZ
1
SUZ
2
16位43

(key)

脚注

関連項目

外部リンク

タイトル
先代
ヤニック・ダルマス
J.J.レート
関谷正徳
ル・マン24時間優勝者
1996 with:
マヌエル・ロイター
デイビー・ジョーンズ
次代
ミケーレ・アルボレート
ステファン・ヨハンソン
トム・クリステンセン
先代
アラン・マクニッシュ
リナルド・カペッロ
トム・クリステンセン
ル・マン24時間優勝者
2009 with:
マルク・ジェネ
デビッド・ブラバム
次代
マイク・ロッケンフェラー
ロマン・デュマ
ティモ・ベルンハルト