ラグビーイタリア代表

ラグビーユニオン競技のイタリア代表チーム

ラグビーイタリア代表は、イタリアラグビー連盟によるラグビーユニオンナショナルチームである。愛称は「アッズーリ」(Azzurri イタリア語で「青」の意味)。

ラグビーイタリア代表
ユニオンイタリアラグビー連盟
愛称アッズーリ
グラウンドスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ
ヘッドコーチゴンサロ・ケサダ
主将ミケーレ・ラマロ
最多キャップセルジオ・パリセ (112)
最多得点選手ディエゴ・ドミンゲス (983)
最多トライ選手マルチェッロ・クッティッタ (25)
ファースト
ジャージ
セカンド
ジャージ
初国際試合
 スペイン 9 – 0 イタリア 
(1906年1月1日)
最大差勝利試合
 チェコ 8 – 104 イタリア 
(1994年5月18日)
最大差敗戦試合
 南アフリカ共和国 101–0 イタリア 
(1999年6月19日)
ラグビーワールドカップ
出場回数10 (1987年初出場)
最高成績1次リーグ3位(1987,1991,1995,2003,2007,2011,2015,2019,2023)
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概要

ワールドラグビーではティア1に属する。

2007年シックス・ネイションズでは、2月24日にスコットランド代表を、敵地のマレーフィールドにおいて37-17(前半24-10)で下し、イタリア代表のシックス・ネイションズ初のアウェー勝利を果たした。また、2週間後の3月10日にはウェールズ代表を、本拠地スタディオ・フラミニオにおいて23-20(前半13-7)で下し、シックス・ネイションズ初のシーズン2勝をあげた。

ワールドカップには毎回出場しているが、プール戦で敗退している。

シックス・ネイションズでは最下位が続き、2015年から2022年にかけて36連敗を記録した[1]

2022年3月19日、シックス・ネイションズ2022において、アウェイであるウェールズの首都カーディフのプリンシパリティスタジアムで、ウェールズ代表を相手に22-21(前半12-7)で久々の勝利を挙げた[1]

選手

現在の代表

2024年シックス・ネイションズ・チャンピオンシップ・イタリア代表スコッド[2]

選手ポジション誕生日 (年齢)キャップチーム
ジャンマルコ・ルッケージ英語版フッカー (2000-09-10) 2000年9月10日(23歳)17 ベネットン
マルコ・マンフレディフッカー (1997-09-18) 1997年9月18日(26歳)3 ゼブレ・パルマ
ジャコモ・ニコテラフッカー (1996-07-15) 1996年7月15日(27歳)18 ベネットン
ピエトロ・チェッカレッリプロップ (1992-02-16) 1992年2月16日(32歳)31 USAペルピニャン
ダニーロ・フィスケッティプロップ (1998-01-26)1998年1月26日(25歳)36 ゼブレ・パルマ
マッテオ・ノチェーラ英語版プロップ (1999-01-16) 1999年1月16日(25歳)0 ゼブレ・パルマ
ルカ・リッゾーリ英語版プロップ (2002-05-03) 2002年5月3日(21歳)0 ゼブレ・パルマ
ミルコ・スパニョロプロップ (2001-01-02) 2001年1月2日(23歳)0 ペトラルカ
ジョズエ・ズィロッキー英語版プロップ (1997-01-15) 1997年1月15日(27歳)16 ベネットン
ニッコロ・カンノーネロック (1998-05-17) 1998年5月17日(25歳)36 ベネットン
リッカルド・ファヴレット英語版ロック (2001-10-18) 2001年10月18日(22歳)1 ベネットン
エドアルド・ラッチッジ英語版ロック (1998-05-26) 1998年5月26日(25歳)6 ベネットン
フェデリコ・ルッツァーロック (1994-08-04)1994年8月4日(28歳)36 ベネットン
アンドレア・ザンボニン英語版ロック (2000-09-03) 2000年9月3日(23歳)3 ゼブレ・パルマ
ロレンツォ・カンノーネバックロー (2001-01-28) 2001年1月28日(23歳)16 ベネットン
アレッサンドロ・イゼコール英語版バックロー (2000-03-05) 2000年3月5日(24歳)0 ベネットン
ミケーレ・ラマロ バックロー (1998-06-03) 1998年6月3日(25歳)33 ベネットン
セバスティアン・ネグリバックロー (1994-06-30) 1994年6月30日(29歳)52 ベネットン
ロス・ヴィントセント英語版バックロー (2002-06-05) 2002年6月5日(21歳)0 エクセター・チーフス
マヌエル・ズリアーニバックロー (2000-04-26) 2000年4月26日(24歳)17 ベネットン
アレッサンドロ・ガルビシスクラムハーフ (2002-04-11) 2002年4月11日(22歳)5 ベネットン
マーティン・ページ=レロ英語版スクラムハーフ (1999-01-06) 1999年1月6日(25歳)4 リヨンOU
スティーブン・バーニースクラムハーフ (2001-05-16) 2001年5月16日(22歳)24 グロスター
トンマーゾ・アランフライハーフ (1993-04-26) 1993年4月26日(31歳)79 USAペルピニャン
パオロ・ガルビシフライハーフ (2000-04-26) 2000年4月26日(24歳)31 モンペリエ・エロー・ラグビー
フアン・イグナシオ・ブレックスセンター (1992-05-26) 1992年5月26日(31歳)30 ベネットン
トンマーゾ・メノンチェッロ英語版センター (2002-08-20) 2002年8月20日(21歳)13 ベネットン
フェデリコ・モリ英語版センター (2000-10-13) 2000年10月13日(23歳)13 Bayonne
マルコ・ザノン英語版センター (1997-10-03) 1997年10月3日(26歳)15 ベネットン
ピエール・ブルーノウイング (1996-06-28) 1996年6月28日(27歳)15 ゼブレ・パルマ
シモーネ・ジェジ英語版ウイング (2001-05-23) 2001年5月23日(22歳)1 ゼブレ・パルマ
モンティ・イオアネウイング (1994-10-30) 1994年10月30日(29歳)25 リヨンOU
アンジェ・カプオッツォフルバック (1999-04-30) 1999年4月30日(25歳)16 トゥールーズ
ロレンツォ・パーニフルバック (2002-07-04) 2002年7月4日(21歳)5 ゼブレ・パルマ

※所属、 キャップ数(Cap)は2024年1月31日現在

ワールドラグビー男子ランキング

ワールドラグビーが発表するデータにもとづく。


ワールドラグビー男子ランキング
上位30チーム(2024年4月29日時点)[3]
順位変動*チームポイント
1  南アフリカ共和国094.54
2  アイルランド090.69
3  ニュージーランド089.80
4  フランス087.92
5  イングランド085.75
6  スコットランド082.82
7  アルゼンチン080.68
8  イタリア079.41
9  オーストラリア077.48
10  ウェールズ077.26
11  フィジー076.38
12  日本074.27
13  ジョージア074.02
14  サモア072.23
15  トンガ071.57
16  ポルトガル070.28
17  ウルグアイ067.94
18  アメリカ合衆国067.39
19  スペイン064.37
20  ルーマニア061.66
21  カナダ060.90
22  ナミビア060.56
23  チリ060.49
24  香港059.80
25  ロシア058.06
26  スイス057.44
27  オランダ057.29
28  ベルギー055.89
29  ブラジル055.37
30  韓国053.46
*前週からの変動
イタリアのランキングの推移

生のグラフデータを参照/編集してください.

出典: ワールドラグビー[3]
推移グラフの最終更新: 2024年4月29日


歴史

1911–34

1911年ミランスポーツ組合ヴォワロンとの間でイタリア代表としての初試合を行った。同年7月25日、イタリア宣伝委員会が形成され、これが、1928年にイタリアラグビー連盟となった。1929年5月20日、初のテストマッチをスペイン代表との間で行い、0-9で敗れた。1934年フランスラグビー連盟の主導により国際アマチュア・ラグビー連盟が設立されると、これに加盟した。

1945–99

イタリアラグビー界にとって、第二次世界大戦は他国と同様に空白期間であった。

フランス代表との試合に臨むイタリア代表, 1975年

1970年代から1980年代にかけて、イタリアのラグビーは、外国からの選手や指導者によって飛躍的な進化を遂げ、1973年には、南アフリカ遠征を行った。1987年にはワールドカップに初出場し。ニュージーランド相手に70-6の大敗を喫するもフィジーに勝利し、プール戦を3位で終えた。

ラグビーイタリア代表のエンブレム

1991年大会では、イングランド、ニュージーランドと同組という死の組に組み込まれたものの、アメリカには勝利した。1995年大会では、イングランド相手に20–27と善戦するも敗北。その後、アルゼンチンに勝利するもプール戦3位に沈んだ。1997年、同国代表はアイルランド代表を相手に連勝(11月4日、ランズダウン・ロードにて37-29。12月20日、スタディオ・レナート・ダッラーラにて37–22)[4]。他に、同年3月22日にはフランス代表相手に初勝利(グルノーブルにて40-32)。 1998年1月にはスコットランド代表から勝利を挙げた(トレヴィゾにて25-21)。しかしながら、1999年のワールドカップでは全敗でプール戦を終えた。

シックス・ネイションズ加入から現在まで

2009年、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァでのニュージーランド戦

2000年、同国代表はついにファイブ・ネイションズ(シックス・ネイションズへ改名)への加盟を認められた。

ジョン・カーワン監督の下で臨んだ2003年のワールドカップでは、カナダトンガには勝利したが、ニュージーランド、ウェールズに敗れた。

スタジアム

シックス・ネイションズ加入以前の同国代表は、ホームスタジアムを持っておらず、様々なスタジアムで試合を行っていた。2000年から2011年にかけては、シックス・ネイションズでの全てのホームゲームをローマスタディオ・フラミニオにて行った。2010年、イタリアラグビー連盟は、シックス・ネイションズの2012年シーズンまでにスタディオ・フラミニオの収容人員を42,000人へ拡大することを発表したが、進捗していない[5]。そのため、全ての試合はスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマにて行うようになっている[6]

スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマでのニュージーランド戦に備えるイタリア代表
  1. 80,074人, ニュージーランド戦, 2009年11月14日, スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(ミラン).
  2. 80,054人, アイルランド戦, 2013年3月16日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
  3. 73,526人, ウェールズ戦, 2013年2月23日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
  4. 73,000人, ニュージーランド戦, 2012年11月17日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
  5. 72,354人, スコットランド戦, 2012年3月17日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
  6. 71,257人, イングランド戦, 2014年3月15日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
  7. 67,529人, フランス戦, 2013年2月3日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
  8. 66,271人, スコットランド戦, 2014年2月22日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
  9. 57,700人, アイルランド戦, 2015年2月7日,スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
  10. 53,700人, イングランド戦, 2012年2月11日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).

成績

シックス・ネイションズ

2024年3月17日現在

 
イングランド

フランス

アイルランド

イタリア

スコットランド

ウェールズ
試合数1309713227132132
単独優勝 (カッコ内は同時優勝)
ホーム・ネイションズ5 (4)N/A4 (4)N/A10 (3)7 (4)
ファイブ・ネイションズ17 (6)12 (8)6 (5)N/A5 (6)15 (8)
シックス・ネイションズ766006
合計29 (10)18 (8)16 (9)0 (0)15 (9)28 (12)
グランドスラム(全勝優勝)
ホーム・ネイションズ0N/A0N/A02
ファイブ・ネイションズ1161N/A36
シックス・ネイションズ243004
合計141040312
トリプルクラウン英語版(ホーム・ネーションズ(英4か国)中での全勝)
ホーム・ネイションズ5N/A2N/A76
ファイブ・ネイションズ16N/A4N/A311
シックス・ネイションズ5N/A7N/A05
合計26N/A13N/A1022
ウドゥン・スプーン(最下位チーム賞)
ホーム・ネイションズ7N/A10N/A56
ファイブ・ネイションズ101215N/A1510
シックス・ネイションズ0101741
合計171325182417

ラグビーワールドカップ

脚注

関連項目

外部リンク

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