中野区

日本の東京都の特別区の一つ
中野区立美鳩小学校から転送)

中野区(なかのく)は、東京都区部の西部に位置する特別区[1]。面積は15.59平方キロメートルで、東京23区のうち14番目[1]。隣接している区は、北から時計回りに練馬区豊島区新宿区渋谷区杉並区である[1]

なかのく
中野区
中野サンモール商店街(2023年)
中野区旗中野区章
1940年制定
日本の旗 日本
地方関東地方
都道府県東京都
市町村コード13114-8
法人番号8000020131148 ウィキデータを編集
面積15.59km2
総人口350,248[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度22,466人/km2
隣接自治体練馬区豊島区新宿区渋谷区杉並区[1]
区の木しい
区の花つつじ
中野区役所
区長酒井直人
所在地164-8501
東京都中野区中野四丁目11番19号[2]
北緯35度42分26秒 東経139度39分49秒 / 北緯35.70728度 東経139.66375度 / 35.70728; 139.66375 東経139度39分49秒 / 北緯35.70728度 東経139.66375度 / 35.70728; 139.66375
中野区役所(2024竣工)
外部リンク公式ウェブサイト

中野区位置図

― 区 / ― 市 / ― 町・村


地図
ウィキプロジェクト

概要

中野区市街地を望む

東京府東多摩郡の東半にあたる。現在は東京都区部の西部にあり、地形的には武蔵野台地の一角である。

鉄道交通では多摩地域東京都心副都心を結ぶ位置にあり、JR中央線および相互直通運転する東京メトロ東西線のほか、西武新宿線東京メトロ丸ノ内線と東西に鉄道が通っている。区役所や中野ブロードウェイ中野サンモール商店街などがある中野駅周辺は繁華街となっているほか、さらに大きな繁華街である新宿とは鉄道・路線バスの両方で、池袋渋谷とは路線バスで結ばれており、利便性が高い。

産業は、江戸時代には畑作を中心とする近郊農業と製粉味噌醤油醸造など食品工業が整備され、江戸町民の旺盛な食料消費を支える立場にあった。明治中期以降、都心からの転居者などにより人口が増加する。特に1923年関東大震災以降は浅草から新井薬師周辺へ仏教寺院の移転が始まり、近隣の落合斎場(新宿区上落合)との相乗効果もあって葬祭関連の産業もみられる。第二次世界大戦前は東中野1丁目・2丁目界隈は帝国軍人の街として知られていた。

東京の人口増加に伴い、住宅地化も急速に進んだ。1960年代までに農地はほとんど姿を消した。明治以降、工場立地もある程度進んだが、企業城下町のような工業的発展はない。その他商業、オフィス街としての発展は戦後それなりにあったが、道路網が全般的に脆弱であるため、中野駅周辺は東京の都心や新宿・池袋の副都心地域、さらには都心隣接の旧下町エリアほどの大規模な商業地区化には至らなかった。近年は、新宿に近い中野坂上地区が再開発されて超高層ビルも建ち、コンピュータソフトウェア関連など会社も進出し、中野坂上は「新宿副都心」と呼ばれている。中野駅周辺でも2012年には駅北西の警察学校跡地が再開発されて「中野四季の都市(なかのしきのまち)」が街びらきした。「囲町(かこいちょう)」「なかの新都心」などと呼ばれることがある。

中央線沿線地区を中心に専門学校が数多く存在する。また1950年代以降、多くの漫画家が住んだため、現在も漫画アニメーション制作は、隣接する杉並区や練馬区、三鷹市などと並んで盛んであり、日本有数のアニメ制作会社の集積地である。

人口密度は22,238.87人/km2(2024年1月1日推計)で日本で第2位[3]。なお、1位は東京都豊島区22,569.41人/km2。市では埼玉県蕨市13,986.69人/km2が最高。

上記のように道路都市基盤が脆弱であり、2012年4月1日時点、道路率は12.8%で23区中21位。狭幅員道路率は84.0%で23区中最下位である。また、一人当たりの公園面積率は2012年4月1日時点1.33%で、東京23区中22位である。南部を神田川が東流するほかは大きながなく、公園を含む緑地が少ない結果として人口密度が高くなっている。

住宅地

中野区南部の住宅地の景観

区内全域にわたり戸建住宅や集合住宅が密集して広がっている。低層建築物がほとんどを占めているが、主要道路に面した地域には中層高層マンションが多い。区内には木造住宅密集地域(木密地域)が多く[4]、また賃貸住宅の比率が高いため、人口の流動性が高い。建蔽率が高く、隣家との間隔が1m未満の場合であることも珍しくない。緊急車両の進入が困難な狭隘道路が網の目のように存在する。近年では道路拡張などが行われ、耐震構造の住宅も増加しつつあるが、ほとんどが木造住宅であることから、大地震の際には火災危険度が非常に高い[5]とされる。そういった地域は家賃が安く交通が便利なことから、20〜30歳代の若年層の居住がきわめて多く、子供が少ない。

商業地

区の中心となる中野駅周辺には複合商業施設である中野ブロードウェイ丸井中野店のほか、中野サンモール商店街などが立地する。丸井は中野駅前が創業の地であり、現在も本社がある。その他、各所に個人経営が中心の商店街が存在する。

人口

中野区と全国の年齢別人口分布(2005年)中野区の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 中野区
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

中野区(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


2005年に夜間人口(居住者)は310,392人であるが、昼間人口は285,636人で昼は夜の0.920倍の人口になる[6]。都心区では夜に比べ昼の人口が極端に増えるが、住宅地が多くオフィス街が少ない中野区では昼は人口が減少する。

地形

台地

  • 沼袋台地
  • 野方台地
  • 中野台地
  • 幡ヶ谷台地
  • 落合台地

河川・水路

歴史

近世以前
中野長者ゆかりの成願寺
近世
近代
現代
区の沿革
知行村数村名
幕府領幕府領12村●中野村、高円寺村、馬橋村、久我山村、上高井戸村、下高井戸村、中高井戸村、田端村、成宗村、本郷新田、和泉新田(和泉村のうち)、大宮前新田、松庵村
旗本領7村●上鷺之宮村、和泉村、上高田村、片山村、●和田村、●上井草村、●下井草村
幕府領、旗本領8村江古田村、雑色村、●永福寺村、●上荻窪村、新井村、下鷺之宮村、上沼袋村、下沼袋村
鉄砲玉薬組同心給地1村●本郷村
その他寺社領4村下荻窪村、天沼村、阿佐ヶ谷村、堀之内村
  • 1868年(慶応4年)
  • 1869年
  • 1870年
    • 明治2年12月18日1月19日寄場組合を廃止し24の番組を設置。現在の中野区・杉並区にあたる地域は6・18・21・22・23番組のそれぞれ一部に相当[11]
  • 1871年(明治4年)11月14日12月25日) 府県統合により品川県を廃止し東京府(第2次)が発足[12]
  • 1872年
    • 明治4年12月5日1月14日) 現中野区にあたる地域の東京府への編入成る。
    • 明治5年1月22日3月1日) 多摩郡全域が神奈川県に移管される[13]。後の東多摩郡(現中野区・杉並区)に相当する地域32村が東京府に戻る運動を展開。
    • 8月19日9月21日) 現中野区域12村(中野村・江古田村・上鷺之宮村・雑色村・本郷村・本郷新田・新井村・上高田村・片山村・下鷺之宮村・上沼袋村・下沼袋村)が東京府の管轄に戻される[14]。9月10日(10月12日)に編入。
  • 1878年(明治11年)11月2日 郡区町村編制法により多摩郡は4郡に分割される。12村は東多摩郡に属する。
  • 1889年(明治22年)5月1日 町村制施行により本郷・本郷新田・雑色の各村は中野村に吸収合併され、江古田・片山・上高田・新井・上沼袋・下沼袋・上鷺宮・下鷺宮の各村は対等合併して野方村となる。
  • 1896年(明治29年)4月1日 東多摩郡が南豊島郡と合併し、豊多摩郡となる。
  • 1897年(明治30年)2月1日 中野村に町制施行。中野町となる。
  • 1924年(大正13年)4月1日 野方村に町制施行。野方町となる。
  • 1931年(昭和6年)1月 中野町において字名改正実施。3つの大字および43あった小字を60町(大字)に再編。
  • 1932年(昭和7年)10月1日 豊多摩郡を含む周辺5郡が東京市(15区)編入されて東京市域が拡大、35区が成立。この際、中野町と野方町の区域をもって中野区となる。名称は「中野」の中と「野方」の野を1文字ずつ取ったという説と、「中野町」からそのまま取ったという説の両方がある。
  • 1936年(昭和11年)11月 それまで宝仙寺境内にあった中野区役所を宮園通4丁目(現在、中野郵便局がある場所)に移転。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 東京都制施行により東京市は廃止され、東京都中野区となる。
  • 1947年(昭和22年)5月3日 - 地方自治法の施行により中野区は特別区となる。
  • 1950年(昭和25年)8月 初代「中野区歌」(作詞・吉田啓文、補作/作曲・堀内敬三)を制定。
  • 1953年(昭和28年)8月15日 地方自治法改正施行により区長公選制廃止。ただし、当時公選されていた中野区長は、その後の区議会でも選任され、1963年まで在任した。
  • 1960年(昭和35年)3月26日 杉並区との境界を変更[15]
  • 1967年(昭和42年)6月1日 住居表示に関する法律による住居表示の実施が完了(1931年から1934年までに成立した町名の多くが変更さ町内会の範囲と町名とのずれが固定化する)
  • 1968年(昭和43年)10月 中野区役所を中野4丁目(警察大学敷地東部分だった場所)に移転。

  • 1975年(昭和50年)4月27日 地方自治法改正により区長選挙実施(中野区区長準公選条例は廃止)
  • 2015年(平成27年)3月13日 初代「中野区歌」を廃止し、2代目区歌「未来カレンダー Forever Nakano」(作詞・阿木燿子、補作/作曲・宇崎竜童)を制定。
  • 2024年(令和6年)4月19日 中野区役所を中野4丁目11−19に移転し落成式を開催(5月7日オープン)[16][17]

町名

上記の通り、区内全域で住居表示が実施されている。以下は住居表示実施後の町名と、その直前の旧町名の一覧である。旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。詳細は中野区の町名

町名住居表示実施年月日住居表示実施直前町名備考
新井あらい一丁目1966年2月1日新井町、昭和通3
新井二丁目1966年2月1日新井町、野方町2
新井三丁目1966年2月1日新井町、野方町2
新井四丁目1966年2月1日新井町
新井五丁目1966年2月1日新井町
江古田えごた一丁目1963年10月1日江古田1、江古田2・3
江古田二丁目1963年10月1日江古田3、江古田4
江古田三丁目1963年10月1日江古田3、江古田1
江古田四丁目1964年12月1日江古田4
江原町えはらちょう一丁目1963年10月1日江古田2、江古田1
江原町二丁目1963年10月1日江古田2、江古田3
江原町三丁目1963年10月1日江古田2
上鷺宮かみさぎのみや一丁目1965年7月1日鷺宮5
上鷺宮二丁目1965年7月1日鷺宮5
上鷺宮三丁目1965年7月1日鷺宮5
上鷺宮四丁目1965年7月1日鷺宮6
上鷺宮五丁目1965年7月1日鷺宮6、鷺宮5
上高田かみたかだ一丁目1966年2月1日上高田1、昭和通1・2
上高田二丁目1966年2月1日上高田1、昭和通3、新井町
上高田三丁目1966年2月1日上高田1、上高田2
上高田四丁目1966年2月1日上高田2
上高田五丁目1966年2月1日上高田2、上高田1、江古田1
鷺宮さぎのみや一丁目1965年7月1日鷺宮1・3
鷺宮二丁目1965年7月1日鷺宮3
鷺宮三丁目1965年7月1日鷺宮3
鷺宮四丁目1965年7月1日鷺宮4
鷺宮五丁目1965年7月1日鷺宮5、鷺宮6
鷺宮六丁目1965年7月1日鷺宮6、鷺宮5
白鷺しらさぎ一丁目1965年7月1日鷺宮2、鷺宮1
白鷺二丁目1965年7月1日鷺宮2、鷺宮4
白鷺三丁目1965年7月1日鷺宮4
中央ちゅうおう一丁目1967年6月1日小淀町(全)、塔ノ山町、本町通1、宮園通1、川添町
中央二丁目1967年6月1日宮前町(全)、塔ノ山町、本町通2・3、宮園通1・2
中央三丁目1967年6月1日仲町(全)、上町、本町通3、宮園通3
中央四丁目1967年6月1日上町、橋場町、本町通4・5、宮園通3・4
中央五丁目1967年6月1日橋場町、本町通5・6、宮園通5
中野なかの一丁目1966年10月1日城山町(全)、宮園通2・3
中野二丁目1966年10月1日千光前町(全)、中野駅前、宮園通3・4
中野三丁目1966年10月1日桃園町(全)、中野駅前、宮園通4・5
中野四丁目1966年10月1日囲町(全)、野方町2、新井町
中野五丁目1966年10月1日打越町(全)、天神町(全)、昭和通3、新井町
中野六丁目1966年10月1日文園町(全)、昭和通2
沼袋ぬまぶくろ一丁目1964年12月1日沼袋町、江古田4
沼袋二丁目1964年12月1日沼袋町、江古田4
沼袋三丁目1964年12月1日沼袋町
沼袋四丁目1964年12月1日沼袋町、江古田4
野方のがた一丁目1964年12月1日野方町2
野方二丁目1964年12月1日野方町2、
野方三丁目1964年12月1日野方町1
野方四丁目1964年12月1日野方町1、江古田4
野方五丁目1964年12月1日野方町1、大和町
野方六丁目1964年12月1日野方町1、鷺宮3
東中野ひがしなかの一丁目1966年10月1日氷川町(全)、川添町、宮園通1
東中野二丁目1966年10月1日上ノ原町(全)、高根町(全)、宮園通1
東中野三丁目1966年10月1日桜山町、昭和通1
東中野四丁目1966年10月1日住吉町(全)、桜山町、小滝町
東中野五丁目1966年10月1日小滝町
本町ほんちょう一丁目1967年6月1日相生町(全)、本町通1
本町二丁目1967年6月1日朝日ケ丘、東郷町、本町通2
本町三丁目1967年6月1日朝日ケ丘、東郷町、道玄町、本町通3
本町四丁目1967年6月1日道玄町、宮里町、西町、本町通3・4・5
本町五丁目1967年6月1日千代田町(全)、宮里町
本町六丁目1967年6月1日西町、本町通5・6
松が丘まつがおか一丁目1963年10月1日江古田1、新井町
松が丘二丁目1963年10月1日江古田1、新井町
丸山まるやま一丁目1964年12月1日江古田4
丸山二丁目1964年12月1日江古田4、鷺宮3
南台みなみだい一丁目1967年6月1日新山通1、栄町通1
南台二丁目1967年6月1日前原町(全)、新山通1、栄町通2
南台三丁目1967年6月1日多田町(全)、栄町通2・3
南台四丁目1967年6月1日新山通2・3(全)、八島町、新山通1
南台五丁目1967年6月1日雑色町(全)、八島町、栄町通3
大和町やまとちょう一丁目1965年7月1日大和町、野方町2
大和町二丁目1965年7月1日大和町、野方町2
大和町三丁目1965年7月1日大和町
大和町四丁目1965年7月1日大和町、鷺宮1
弥生町やよいちょう一丁目1967年6月1日本郷通1(全)、向台町(全)、栄町通1
弥生町二丁目1967年6月1日本郷通2(全)、本郷通3
弥生町三丁目1967年6月1日川島町(全)、栄町通1
弥生町四丁目1967年6月1日新明町(全)、栄町通2
弥生町五丁目1967年6月1日富士見町(全)、本郷通3、栄町通2・3
弥生町六丁目1967年6月1日広町(全)、栄町通3
若宮わかみや一丁目1965年7月1日鷺宮1、野方町1、大和町
若宮二丁目1965年7月1日鷺宮1、大和町
若宮三丁目1965年7月1日鷺宮1・3

文化

年代別人口構成がひょうたん型であり、高齢者と若者が多く、若者は出入りが多い。来るもの拒まず、去るもの追わずという雰囲気の中、沖縄出身者やアイヌ民族の文化が融合した祭や、コスプレ・アニメ文化などのサブカルを活かしたまちの賑わい創出イベントが行われたり、ミャンマー人のコミュニティ、ゲイ・タウンなどを包含し、多様性にあふれたダイバシティ・タウンである。

地域

祭事・催事

  • 江古田獅子舞
  • 鷺宮囃子
  • チャランケ祭
  • 中野通り桜まつり(4月上旬)
  • 中野区伝統工芸展(6月上旬)
  • 中野チャンプルーフェスタ(7月中旬)
  • 起創展街 中野にぎわいフェスタ(10月中旬)
  • 東北復興大祭典(10月上旬)
  • なかのまちめぐり博覧会(11月上旬〜下旬)

ナンバープレート

中野区は、練馬ナンバー(東京運輸支局)を割り当てられている[18]

メディア

行政

区長

  • 区長:酒井直人 (2期目)
    • 任期:2018年(平成30年)6月15日 - 2026年(令和8年)6月14日[19]
  • 副区長:横山克人[20]
  • 副区長:白戸純[21]
  • 教育長:田代雅規[22]
歴代区長
  1. 杉椙三(1932年10月-1933年11月)
  2. 野中富三郎(1933年11月-1936年10月)
  3. 加藤守道(1936年10月-1937年12月)
  4. 福島正守(1937年12月-1938年12月)
  5. 斎藤助昇(1938年12月-1942年9月)
  6. 沖塩正夫(1942年9月-1943年7月)
  7. 富田繁昭(1943年7月-1944年6月)
  8. 山口喬蔵(1944年6月-1945年10月)
  9. 皆川五郎(1945年10月29日-1963年1月31日) 1947年の公選制開始から1955年の公選制廃止までは2期
  10. 上山輝一(1963年3月22日-1971年3月27日)
  11. 大内正二(1971年10月8日-1979年4月26日) 1975年の公選制再開後は1期
  12. 青山良道(1979年4月27日-1986年4月23日)2期
  13. 神山好市(1986年6月15日-2002年6月14日)4期
  14. 田中大輔(2002年6月15日-2018年6月14日)4期[23]

環境への取組み

地域事務所・区民活動センター

中野区の出先機関。2011年7月19日に、従来の「地域センター」から「地域事務所」及び「区民活動センター」に再編[24]

地域事務所

区の行政機構の一部を分担し、「地域の区役所」的な機能を果たす。住民異動届の受付や証明書の発行、福祉サービスなどの受付、各種公金の収納などの窓口サービスを行う。以下の5ヵ所に設置。

南中野地域
南中野地域事務所 所在地:南台三丁目6番17号
東部地域
東部地域事務所 所在地:中央二丁目18番21号
江古田地域
江古田地域事務所 所在地:江原町二丁目3番15号
野方地域
野方地域事務所 所在地:野方五丁目3番1号
鷺宮地域
鷺宮地域事務所 所在地:鷺宮三丁目22番5号

区民活動センター

地域住民による地域自治の活動の拠点として、地域活動の支援や集会室の貸し出しなどを行う。運営は、自治会などを中心とした地域別の運営委員会の協議を踏まえて区が定めている。以下の15ヵ所に設置。

※は地域事務所を併設

  • 南中野※
  • 弥生
  • 鍋横
  • 東部※
  • 桃園
  • 昭和
  • 東中野
  • 上高田
  • 新井
  • 江古田※
  • 沼袋
  • 野方※
  • 大和
  • 鷺宮※
  • 上鷺宮

姉妹・提携都市

議会

中野区議会

東京都議会

2021年東京都議会議員選挙
  • 選挙区:中野区選挙区
  • 定数:3人
  • 任期:2021年7月23日 - 2025年7月22日
  • 投票日:2021年7月2日
  • 当日有権者数:279,101人
  • 投票率:43.56%
候補者名当落年齢党派名新旧別得票数備考
西沢圭太41立憲民主党35,749票
荒木千陽39都民ファーストの会32,743票2022年6月22日に自動失職[25]
高倉良生64公明党24,364票
出井良輔48自由民主党22,527票
沢口祐司66無所属3,826票
2017年東京都議会議員選挙
  • 選挙区:中野区選挙区
  • 定数:3人(※2017年の選挙から4人→3人に変更)
  • 投票日:2017年7月2日
  • 当日有権者数:273,400人
  • 投票率:50.72%
候補者名当落年齢党派名新旧別得票数
荒木千陽35都民ファーストの会44,104票
高倉良生60公明党24,647票
西沢圭太37民進党23,874票
川井重勇69自由民主党22,535票
浦野智美36日本共産党20,106票
白柏貴子33幸福実現党1,118票

衆議院

東京都第7区
  • 選挙区:東京7区渋谷区、中野区の一部、杉並区方南品川区の一部、目黒区の一部)
  • 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
  • 当日有権者数:459,575人
  • 投票率:56.47%
当落候補者名年齢所属党派新旧別得票数重複
長妻昭61立憲民主党124,541票
松本文明72自由民主党81,087票
辻健太郎35日本維新の会37,781票
込山洋47無所属5,665票
猪野恵司38NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で3,822票
東京都第10区
  • 選挙区:東京10区(新宿区の一部、中野区の一部、豊島区の一部、練馬区の一部)
  • 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
  • 当日有権者数:479,088人
  • 投票率:56.50%
当落候補者名年齢所属党派新旧別得票数重複
鈴木隼人44自由民主党115,122.887
比当鈴木庸介45立憲民主党107,920.109
藤川隆史65日本維新の会30,574票
小山徹46無所属4,684票
沢口祐司67新党日本のこころ4,552票

商業ランドマーク

文化施設・名所・旧跡

資料館

  • 中野区立歴史民俗資料館

図書館

中野区内の図書館のうち、一般利用が可能な公立の施設は7箇所ある。

  • 中野区立中央図書館
  • 中野区立野方図書館
  • 中野区立南台図書館
  • 中野区立鷺宮図書館
  • 中野区立江古田図書館
  • 中野区立上高田図書館
  • 中野区立中野東図書館

体育館

ホール

もみじ山文化センター(なかのZERO)

公園

哲学堂公園(写真は四聖堂)

神社

仏教寺院

梅照院(新井薬師)
宝仙寺

交通

鉄道路線

東日本旅客鉄道(JR東日本)

西武鉄道

東京地下鉄(東京メトロ)

東京都交通局

バス

道路

放射道路
北から
青梅街道で新宿区から中野区に入る境界を示す道路標識。
中野通り
環状道路
都心側から

東京23区で唯一、区内に国道が通っていない。

交通渋滞問題

中野通りは区内を南北に貫く骨格となる道路であるものの、幅員が15m程度となっており片側1車線の区間も多い。なお、道路そのものは計画幅員20mの都市計画道路である。

蓮華寺下交差点(新青梅街道交点)から中野五差路交差点(大久保通り交点)までは概ね4車線(片側2車線)だが、車線の幅が狭いほか駐停車の車両が多いため渋滞することも多い。また、1999年9月ごろまでは新井交差点(早稲田通り交点)に右折専用レーンが無かったが、のちに一部の交差点の拡張は行われているほか、中野駅北口周辺、中野五差路交差点、杉山公園交差点(青梅街道交点)など部分的な拡張事業が継続中である。このほか、西武新宿線では開かずの踏切問題も存在し、連続立体交差事業による解消が進められている[27]

公共機関

警察・消防

医療

動物病院

  • 野村獣医科Vセンター(〒165-0024 東京都中野区松ヶ丘2-5-1)

教育

大学・短期大学

明治大学と帝京平成大学
早稲田大学 中野国際コミュニティプラザ
国立
私立

高等学校

都立
私立

中等教育学校

国立

中学校

都立
  • 高等学校が併設されているものは高等学校の項に記す。
区立
私立
  • 高等学校が併設されているものは高等学校の項に記す。

小学校

区立
私立

小規模保育園

認可
  • 子ごころ園都立家政
  • 子ごころ園沼袋
  • 子ごころ園大和町
  • おうち保育園なかの大和
  • おうち保育園なかの新橋

その他

フリースクール

住宅団地

  • 東京都住宅供給公社江古田団地 - 昭和41年 : 東京都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 東京都住宅供給公社鷺宮西団地 - 昭和37年 : 東京都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 中野坂上サンブライトツインビル
  • 中野新井町団地(松ヶ丘 市街地住宅 賃貸24 1962年 現存現松ヶ丘二丁目アパート。譲渡返還)
  • 中野桃園町団地(中野 市街地住宅 賃貸40 1962年 現存 譲渡返還)
  • 東中野団地(東中野、分譲60 1957年)
  • 鷺宮団地(白鷺、分譲20 1957年)
  • 鍋屋横町団地(本町 市街地住宅 賃貸45 1962年 現存 譲渡返還)
  • 都営丸山二丁目アパート(丸山 2-24、1969年)
  • 都営江古田アパート(江古田 3-1、1954年)
  • 都営江古田一丁目第2アパート(江古田 1-25、1996年)
  • 都営江古田三丁目アパート(江古田 3-8、1998年)
  • 都営江古田四丁目第2アパート(江古田 4-14、1990年)
  • 都営鷺の宮アパート(白鷺 1-4、1959 - 1964年 : 東京都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 都営鷺ノ宮三丁目団地 : 東京都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 都営若宮三丁目アパート(若宮 3-57、1997年 - 2000年)
  • 都営若宮二丁目アパート(若宮 2-56、1995年)
  • 都営上高田四丁目アパート(上高田 4-27、2001年 - 2005年)
  • 都営上鷺宮四丁目アパート(上鷺宮 4-12、1996年 : 東京都市計画事業〈一団地の住宅施設〉)
  • 都営上鷺宮四丁目第2アパート(上鷺宮 4-14、1998年)
  • 都営上鷺宮二丁目アパート(上鷺宮 2-4、1993年)
  • 都営大和町四丁目アパート(大和町 4-51、1995年 - 1998年)
  • 都営第2鷺の宮アパート(白鷺 1-12、1964年)
  • 都営第3江古田アパート(江古田 4-14、1960年)
  • 都営中野中央二丁目アパート(中央 2-22、1968年)
  • 都営中野本町五丁目アパート(本町 5-8、1971年)
  • 都営南台五丁目アパート(南台 5-7、1977年)
  • 都営南台四丁目アパート(南台 4-41、1975年)
  • 都営南台二丁目アパート(南台 2-29、1969年)
  • 都営白鷺一丁目アパート(白鷺 1-7、1993年)
  • 都営白鷺一丁目第2アパート(白鷺 1-14、2000年)
  • 都営弥生町三丁目アパート(弥生町 3-35、1973年)
  • 都営弥生町二丁目アパート(弥生町 2-50、2003年 - 2005年)
  • 野方団地(野方、賃貸92 1959年 現存 全面建替)

企業

アニメ制作

中野区が舞台の作品

Benza Englishポスター
上高田にある『たきび』の歌発祥の地。歌詞冒頭の垣根の風情を現在も見ることができる。

ゆかりのある人物

出身者・居住歴・事業所のある人物を示す。

実業家

  • 鈴木九郎室町時代の商人。商売などで成功し「中野長者」と呼ばれていた。現在の中野坂上に邸宅を構えていた(現在の成願寺付近)。首都高速道路中央環状線の出入口「中野長者橋」も、これにゆかりがある。
  • 青木湯之助:実業家。「紅花」創業者。かつては「郷宏之」の芸名で俳優、タップダンサーをしていた。
  • 青木廣彰 - 実業家。冒険家。「BENIHANA」オーナーだった。通称「ロッキー青木」。モデル、女優としてアメリカで活躍するデヴォン青木の父。
  • 田中綾華ROSE LABO創業者。
  • 金子明雄 - テレビプロデューサー。元テレビ東京ミュージック社長。

諸分野の学者・文化人

芸能

芸能事務所

スポーツ

放送

1960年代から1970年代にかけては、多くの著名人が「中野ブロードウェイマンション」に居住していた。

大きな事件・事故など

新型コロナウイルス感染

  • 2020年4月14日、中野江古田病院で、入院患者や医師ら計92人が新型コロナウイルスに感染した。都は、「大規模なクラスター(感染集団)」として、中野区の保健所を支援する。医師や看護師の約100人の入院患者の検査を進め、87人の感染が確認された。患者は70歳代以上の高齢者だという[37]

脚注

注釈

出典

外部リンク