旧約聖書

ユダヤ教およびキリスト教の正典

旧約聖書(きゅうやくせいしょ、英語: Old Testament)は、ユダヤ教およびキリスト教正典である。「旧約聖書」は『新約聖書』も正典とするキリスト教による呼び方で、ユダヤ教では「旧約聖書」と呼ばず、正式の名は『律法(トーラー)、預言書(ネビイーム)と諸書(ケスビーム)』で[1][注 1][出典無効]、日常的にはその頭文字をとって『タナハ』あるいは読誦を意味する「ミクラー」と呼ぶ[3]。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、一部にアラム語で記載されている。

イスラム教では「タウラー」(トーラー、律法)と「ザブール」(詩篇)を啓典としてその正統性を認めている[4][注 2]

呼称

『旧約聖書』とは、『新約聖書』の『コリントの信徒への手紙二』3章14節などの「旧い契約」という言葉をもとに、2世紀頃からキリスト教徒によって用いられ始めた呼称である。これは古い契約の書が旧約聖書であって、新しい契約が新約聖書という意味であり、『旧約聖書』という表現はサルディスのメリトン(190年)に見られ、アレクサンドリアのクレメンスがよく用いている[5]。しかし、キリスト教側の観点でしかないために最近では『ユダヤ教聖書』、『ヘブライ語聖書』、『ヘブライ語聖典』などと呼ばれることもある。

ユダヤ教においては、トーラー、ネビイーム、ケトゥビームの頭文字、TNKに母音を付した『タナハ』と呼ばれる他、『ミクラー(Miqra):朗誦するもの』と呼ばれることもある。ミクラーはクルアーンと語源を同じくしている[6]

内容

『旧約聖書』の内容は古代イスラエル人ユダヤ人の思想活動すべてを網羅するごとく多岐に渡っている。以下に旧約聖書に含まれる文書の概略を記す。

天地創造と部族長の物語

旧約聖書の冒頭が創世記である。その冒頭では神が7日間で世界を創り、楽園に男と女(アダムとイブ)を住まわせたが、彼らが蛇の誘惑によって禁忌を犯したので楽園を追放されたという、神による天地創造と人間の堕落が語られる(創世記1-3)。以下、創世記には最初の殺人であるカインとアベルの兄弟の話(創世記4:1-16)、ノアの箱舟(創世記6:5-9:17)、バベルの塔(創世記11:1-9)などの物語が続いていく。

続いて創世記には、アブラハムイサクヤコブの3代の族長の物語が記されている(創世記12-36)。アブラハムバビロニアから出発して、カナン(現在のイスラエル/パレスチナ)にやってきた遊牧民の族長であり、神から祝福を受け諸民族の父になるという約束を与えられた(創世記12:2)。イサクはアブラハムの息子であり、彼にも子孫が栄える旨が神から約束されている(創世記26:24)。さらにその息子がヤコブであり、彼と契約を結んだ神はヤコブとその子孫にカナンの土地を与えると約束している。ヤコブはこの契約でイスラエルと改名し、彼の子孫はイスラエル人と呼ばれるようになった(創世記32:29、35:10)。ヤコブは12人の男子および数人の女子をもうけたが、男子それぞれがイスラエル十二氏族の長とされている(創世記29-30)。つまりヤコブがイスラエル/ユダヤ人の始祖である。

創世記には、この族長の3代記に続けてヤコブの末子のヨセフの物語が記されている(創世記37-50)。兄たちに殺されかけてエジプトに奴隷として売り飛ばされながら、夢占いと実力で立身出世してエジプトの宰相にまで登りつめ、飢饉に苦しむようになった父と兄たちをエジプトに呼び寄せて救う話である。創世記では、これらの他に悪徳の町であるソドムとゴモラの滅亡(創世記18:20-19:28)、ヤコブと神の使者との格闘などの話(創世記32:23-33)が有名である。

また創世記には、多くの系図が含まれておりイスラエル周辺部族の縁起等も語られている。

モーセと律法

創世記は以上で終わり、物語は出エジプト記につながっていく。前述のヨセフの時代にエジプトに移住していたイスラエル人達は、王朝が変ったために、やがて迫害されるようになる(出エジプト1:1-14)。そこに、エジプト人として教育を受けたモーセ(出エジプト2:1-10)が、神から召命を受けて立ち上がり(出エジプト3:1-4:17)イスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し(出エジプト5:1-15:21)、神が族長ヤコブに約束した「乳と蜜の流れる」カナンの地を目指しながら40年間シナイ半島で放浪する(出エジプト15:22-40:38、民数記)。モーセが数々の奇跡でエジプト王を威嚇し(出エジプト7:8-11:10)、追跡するエジプト軍を逃れるために海を二つに割ってその間を通っていくシーン(出エジプト13:17-30)などは有名であり、映像化もされている。現在も続くユダヤ教の行事、たとえば過越祭/除酵祭、仮庵祭などはこの出エジプトおよび荒野流浪の故事にちなむものとされており、ユダヤ文化の中でも特別で象徴的な位置を占める物語である[7]

シナイ山でモーセとイスラエル人は神から十戒を授かり(出エジプト20:1-16)、他にも様々な祭儀規定や倫理規定、法律が言い渡される(出エジプト19:1-34:35)。十戒は多神教の禁止や偶像崇拝の禁止に始まり、殺人・姦淫・窃盗を禁止し、父母への敬愛や隣人愛などの倫理を規定するものであるが、この十戒を基にして神はイスラエル人全体と契約を結ぶ。このシナイ山での契約は、ユダヤ教の重要な原点のひとつとされている。「ヤーウェ(ヤハウェ)」という神の名はモーセの召命時に初めて明かされ(出エジプト3:13-15)、モーセ以前には「アブラハムの神」「イサクの神」「ヤコブの神」という呼ばれ方でしか知られていなかった部族の神が、名前を明かした状態で民衆全体と契約を結んだのである。

出エジプト記の他にもレビ記民数記申命記には、おびただしい量の法律、倫理規定、禁忌規定、祭祀規定が記されており、これらをまとめて律法(トーラー、原義は「教え」)と呼ぶ。たとえば法律としては「ある人の牛が隣人の牛を突いて死なせた場合、生きている方の牛を売って折半し、死んだほうの牛も折半する」など細かな規定に及んでいる(出エジプト21:35)。倫理規定としては「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ19:18)など、禁忌規定としては豚食や鱗のない魚を食べることの禁止(レビ記11章、申命記14章など)であるとか子ヤギの肉を乳で煮てはいけない(申命14:21)だとかの細かな食物規定であり、祭祀については祭壇の寸法までが細かに指示されている(出エジプト25-28章)。レビ記民数記申命記は物語よりは律法の記載がほとんどであり、ユダヤ教の伝統では創世記から申命記までの五書全体を律法と呼んでいる。また、これらの律法はモーセが神から伝えられたものであるし、五書自体もモーセ自身が執筆したという聖書自身の記述と伝承があったためにモーセ五書という呼ばれ方がなされていた。イエス・キリストも「モーセの律法」と呼んだとされる[8][出典無効]

申命記の最後でヨルダン川東岸から約束の地であるカナンを遠く望んだモーセは、そこでヨシュアを後継者に指名して後、モアブの地で没する。

歴史記述

申命記から続けて、ヨシュア記ではヨシュアに率いられたイスラエル人たちによってカナンの諸都市が攻略され、そこに移住していく様子が描かれる。角笛を吹き鳴らすと城壁が崩れ落ちた(ヨシュア記6:20)とされるエリコへの攻略(ヨシュア記2-6)などが有名。

ヨシュアに続いて、デボラ(士師記4-5)、ギデオン(士師記6-8)、サムソン(士師記13-16)といった軍事指導者が続いていくのだが、彼らは士師と称され、部族連合体であったイスラエル人たちの裁判官と軍事指導者の役割を兼ねていた。また、軍事判断によって神の意向を民に伝えていたことから彼らは預言者でもある。これらの士師たちの活躍を描いたのが士師記であり、女性の間諜によって髪を切られて力を失って殺されるサムソンの話などが有名である。

最後の士師サムエルである。ここで物語はサムエル記に移り、イスラエル部族連合体が王制国家に移行する様子が描かれている。民衆の要求に応えて渋々ながらではあるがサムエルはサウルを王に指名するのである(サムエル上9-10)。

サウルアンモン人ペリシテ人との戦争に勝つなど功績をあげるが(サムエル上11-14)、アマレク人との戦いで神の意に背いたためにサムエルから遠ざけられた(サムエル上15)。サウルに次いでサムエルから王に指名されるのが羊飼いであったダビデである(サムエル上16:1-13)。サウルとダビデとの確執は詳細に描かれるが(サムエル上16-30)、最後にサウルは戦死して(サムエル上31)、ダビデが王国を継ぐことになる。

ダビデはまず南部のユダの王となり(サムエル下2:1-7)、次いで北部のイスラエルの王となった(サムエル下5:1-5)。そしてエルサレムに遷都し(サムエル下5:6-12)、外敵を破って(サムエル下5:17-25,8:1-14など)、王国を確立して旧約聖書中最大の賛辞を受けている王である。また、詩篇に収められた歌の多くはダビデの作になるものとされており、文武に秀で神に愛でられた王として描かれている。サムエル記はこのダビデ王の治世までを描いており、そこから先は列王記に渡される。なお、キリスト教の旧約聖書でサミュエル記の前に挿入されているルツ記は外国人であったルツがダビデの曽祖父ボアズに嫁ぐ話で、キリストの贖い(買い戻し)の型であるとされる。

王国はダビデの息子のソロモン王の時代に最盛期を迎える。彼はダビデがエルサレムに運び込んだ「契約の箱」を安置するための壮麗な神殿を建築してユダヤ教の中心地としてのエルサレムを確立し、次いで自らのために豪華な宮殿を造営した。旧約聖書ではその富の噂を聞きつけて遠国からの献納が絶えなかったとしている。その中ではシバの女王の来訪などが有名であろう(列王上10章、歴代下9章)。新約聖書の中でも「ソロモン王の栄華」といった言葉が登場する。またソロモンは知恵に優れた者とされており、格言集である箴言はソロモン王に帰せられている。しかし、ソロモンは神殿や宮殿の造営を過酷な課税で賄っていたために、ことに北部の反感を買った(列王上12:4など)。王の死後、北部のイスラエル王国と南部のユダ王国に分裂することになる。

列王記はこの後、南北の王朝史を綴っていくことになる。それによれば、北部のイスラエル王国は短命な王朝が相次ぎ最後にはアッシリアに滅ぼされてしまう。また南部ユダ王国ではダビデ王の血筋が続くものの最後にはバビロニアに滅ぼされ、神殿は破壊されて多数の国民が連行されてしまう(バビロン捕囚)。ユダ王国では、宗教改革が行われたことが伝えられており、ヨシア王の時代にモーセの律法が再発見されたという(列王下22章)。

歴代誌サムエル記列王記と内容的に重複する歴史書であるが、南王国の立場から書かれていて、北王国については何も書かれていない。

バビロン捕囚での様子は旧約聖書の歴史書には記されず、預言書の中から窺い知るしかない。イザヤ書エレミヤ書エゼキエル書、原ダニエル書がバビロン捕囚の時代に編纂されたと推定されており、流謫の嘆きが語られているし、詩篇の中にも捕囚時代が反映しているとされる歌が収められている(詩篇137:1-6)。また、哀歌はエルサレム陥落を嘆いたとされる歌をまとめたものである。

やがてバビロニアがペルシャに滅ぼされると、ユダヤへの帰還活動が始まる。エズラ記によれば第一次帰還がキュロス王の布告で実施されるのだが、他民族の抵抗により神殿復興は叶わなかった。ダレイオス1世の時代になって神殿建設が許可され、エルサレム神殿は復興する。その後、アルタクセルクセス王の時代に「モーセの律法に詳しい書記官」であるエズラがペルシャ帝国からエルサレムに派遣されて、ペルシャ王の「献酌官」ネヘミヤと共にモーセの律法の復興運動を起こしたことがエズラ記ネヘミヤ記で描かれている。エズラは外国人との結婚を無効宣告し、ユダヤ人の純化運動を進めた。ここで復興された神殿がハスモン王朝時代に拡張され、イエスの時代に至っている。

キリスト教の旧約聖書にあるエステル記は、この時期にペルシャ王の后になったユダヤ人女性エステルについての挿話である。

以上、旧約聖書における歴史記述を概観したが、王国時代の歴史記述が最も詳しく、バビロン捕囚以後の歴史は断片的にしか語られていない。ヘロドトスの『歴史』で有名なペルシャ戦争も、ユダヤは軍隊の通行路に当たっていたと考えられるが、旧約聖書では全く言及されておらず、歴史記述が途切れている。

例外として、ヘレニズム時代のコヘレトの言葉ダニエル書マカバイ戦争とハスモン朝の勃興を描いたマカバイ記がある。ペルシャがアレクサンダー大王によって滅ぼされるとユダヤは大王の死後に成立したセレウコス朝の支配下に入るのだが、アンティオコス4世はエルサレム神殿を略奪し、ユダヤ教を迫害したためにハスモン家の主導で反乱が起こる。ユダヤ人はこの反乱によって再独立を果たし、ハスモン王朝が成立するのである。新約聖書に登場するヘロデ大王もハスモン王朝に連なっている。なお、このマカバイ記はユダヤ教やプロテスタントでは聖書正典とされておらず、カトリック教会正教会が正典とする第二正典の一つである。

預言者たちの事跡と預言書

列王記では王朝史の他に、主に北部イスラエル王国で活躍した預言者たちの様子が描かれている。エリヤ、その弟子であるエリシャ、あるいはアモス、ホセアといった預言者たちは宮廷に属さず、在野にあって神からの言葉を吐き鋭く王政を批判した。預言者たちの批判とは、国家と民衆が神を忘れて偶像崇拝に陥っているとするものである。またミカは南部ユダ王国において神殿が破壊されることを予言した。

そもそも旧約聖書では出エジプト記の時代から、(1)民衆が神を忘れて偶像崇拝に走り、(2)それを神が見て怒るが、(3)義人が神と民衆の間をとりなす、というパターンが繰り返されてきたが、列王記以降の預言者たちの事跡もこれをなぞっている。

旧約聖書の中で三大預言者と呼ばれているのはイザヤエレミヤエゼキエルであり、ことにイザヤは大部のイザヤ書を残している。

旧約聖書にはこの他に12小預言書として、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書などが収められている。

黙示

預言書には、世界の終末と神による新時代の到来を、特異なビジョンで描き出すことがしばしば行われた。イザヤ書24-27章、34-35章、65-66章、ゼカリヤ書9-14章、ヨエル書などにそういった記述が認められるが、もっとも有名なものはダニエル書である。この黙示の記述は新約聖書の時代にも及んでおり、福音書の中にも終末予言が現れ(マルコ13章、マタイ24章、ルカ21:5-33)、ヨハネ黙示録なども書かれた。

知恵文学

箴言は教訓集・格言集であり、1章1節に「イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言」とあり、伝道者の書雅歌と共にソロモンによって書かれたと伝統的に考えられている。

詩歌

モーセ五書などには、古い歌に由来すると推定されるものが散見されるが(たとえば、ミリヤムの歌、デボラの歌など)、イスラエル王国時代になると詩篇雅歌などに多くの詩歌がまとめて編集されるようになった。詩篇はその多くがダビデの作、雅歌はソロモンの作と伝えられているが、実際には様々な著者の作品が時間をかけて編纂されてきたものであろうと批判的な学者は推測している[要出典][注 3]。ユダヤ教・キリスト教の典礼に今も用いられており、ヨーロッパの近代文学にも影響を与えた。なお、雅歌は恋愛歌であり、開放的な描写も多い[注 4]。しかし、ユダヤ教は伝統的にこれをユダヤ民族に対する神の愛と解釈し、キリスト教は教会に対するキリストの愛と解釈してきた。哀歌はエルサレム陥落と神殿破壊を嘆く歌であり、伝統的にエレミヤの作であるとされている[要出典]

内容に対する意義付け

ユダヤ教

ユダヤ教にとっては、『(旧約)聖書』は唯一の正典であり、現在も行動を律する文字通りの法である。民族の歴史を伝え、イスラエルの地を民族の故地とする精神的な基盤を与え、行為と歴史の両面において文化的な一体性を与える書でもある。

キリスト教

対して、将来にユダヤを復興するメシア王を約束する『旧約聖書』を、キリスト教徒はイエス・キリストの出現を約束する救済史として読む。『旧約聖書』の代名詞にも使われる「律法」はもはやキリスト教徒の戒律ではないが、キリスト教徒にとっては『旧約聖書』の完成がイエス・キリストとその使信であり依然として重要な意義をもっているとされている。

旧約聖書は「律法と預言者と諸書」、「律法と預言者と詩篇」(ルカ24:44)、「律法」(マタイ5:17-18、ヨハネ10:34)と呼ばれていた。旧約聖書と新約聖書を合わせて「律法と預言者および福音と使徒」(アレキサンドリアのクレメンス、テルトゥリアヌス)、「律法と福音」(クラウディウス、アポリナリウス、エイレナイオス)と呼ぶ表現があり、アウグスティヌスが引用したイグナティウスの「新約聖書は、旧約聖書の中に隠されており、旧約聖書は、新約聖書の中に現わされている。」ということばは有名である[10]

詩篇で祈る伝統は古くからあった。これは、正教会聖詠と呼ぶものである。旧約時代に詩篇は歌われていたが、今日でも詩篇歌があり、改革派教会にはジュネーブ詩篇歌がある[11]

キリストを知るまでは神を知ることは出来ないので、旧約は不必要だとする見解に対し、日本キリスト改革派教会の創立者である岡田稔牧師は次のように述べている。

「キリスト教の宣教の最初は旧約聖書の知識がある人に福音が伝えられたため、イエス・キリストが救い主であると伝えればよかったが、真の神を知らない異教徒の日本人に福音伝道するためには、旧約聖書が必要である」
[12]

中央神学校のチャップマン教授は、「旧約聖書には異教の偶像崇拝について書かれてあるが、戦前の教派はその旧約聖書の知識を欠いていたために、神社を参拝する偶像崇拝に対してもろかった」と指摘する[13]。チャップマン教授は日本で旧約聖書の大切さを早くに主張した[14]

宗教改革者、ピューリタンなどは旧約聖書から説教を行ったが、高等批評自由主義神学の影響により、今日では旧約聖書から説教することが少なくなっていると言われる[15]。これを反映して、日本の旧約聖書のみの一冊版聖書は新日本聖書刊行会による「聖書 新改訳2017」のKindle版と日本聖書協会による新共同訳のKindle版しかなく[16]、紙媒体の旧約聖書のみの出版は途絶えている。かつては旧約聖書のみの関根正雄訳[17]や旧約聖書のみの新改訳第3版が一冊で出されていた。正教会は旧約聖書のみの分売を薦めていない。

成立過程

『旧約聖書』は断続的かつ長い期間に渡り、立場の異なる多くの人々や学派のようなグループが関わり、何度も大きな増補・改訂・編纂が行われ、その過程はかなり複雑なものであったとも推測されるが、異論もあり、いまだに定説を見ないのが現状である。聖書の記述には誤りが無いと信じるプロテスタントの福音派は、旧約聖書は聖書記者によって書かれた時から正典としての権威を持っていたと認め[10]申命記4:2「私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また減らしてはならない」という記述等から、増補・改訂はなかったとする。一方、自由主義神学(リベラル)では聖書は段階的に正典化されていったとする[18][19]

四資料仮説

歴史的キリスト教会が、モーセを記者であるとしてきたモーセ五書創世記出エジプト記レビ記民数記申命記)に関しては、それを否定する四資料仮説が19世紀より唱えられ、リベラル派の旧約聖書学の標準学説として知られている[注 5]。ただし、この四資料仮説はあくまで仮説に過ぎず、細部に至るまで完全に合意されたものではない。近年においては、例えば日本基督教団出版による創世記注解がこの仮説に立たないと明言するなど、プロテスタント主流派(メインライン)においても退けられつつある[21]

ユダヤ教での正典化

ユダヤ教では、ユダヤ戦争後にユダヤ教を再編した1世紀の終わりごろのヤムニア会議で正典が確認された。このヘブライ語本文を、8世紀以降、マソラ学者が母音記号等を加えて編集したものがマソラ本文で、全24書である。現在のところ、これを印刷体で出版した頭字語BHS[注 6]が最も標準的なテキストとして利用されている。

キリスト教での正典化

これとは別に、紀元前250年頃からギリシア語に翻訳された七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)があるが、現代残されている複数の写本はその数が一致しているわけではない[注 7]パウロを含めたキリスト教徒が日常的に用い、新約聖書に引用されているのも主としてこのギリシア語の七十人訳であり、キリスト教は伝統的にこれを正典として扱ってきた。マソラ本文と七十人訳聖書では構成と配列が異なる。

東方教会西方教会も長らくこの七十人訳聖書を旧約聖書の正典と基本的にみなしてきたが、その配列や数え方には一部異なるものがある。また西方教会では、正教会が正典とみなす文書の一部を外典とした。

宗教改革における対立

カトリック教会トリエント公会議1546年)でヴルガータがカトリック教会の公式聖書であると確認し、正典として旧約46巻、新約27巻をあげた。これは伝承によるとされる[5][22]。カトリック教会は、プロテスタントが文書を取り除いたとする[23][24]。カトリック教会が聖書に対する外的権威を「教会が付与」したとするのに対し、プロテスタント教会は「聖書の内的権威を教会が承認」したと考えている[25][10]

その後、16世紀宗教改革時にマルティン・ルターが聖書をドイツ語に翻訳するにあたり、それまで使われていたラテン語の聖書(ヴルガータ)からではなくヘブライ語原典から直接翻訳したため、ヘブライ語聖書に含まれる文書のみを内容とした聖書ができあがった。この「ヘブライ語聖書に含まれる文書のみを内容とした聖書」は、その後多くのプロテスタント諸派に受け継がれることになった。プロテスタント教会は、原語のヘブライ語で書かれた旧約聖書のみが聖書原典にあるとして認めている[26][27]

プロテスタントが「外典」として排除する書物の一部は、カトリック教会とエキュメニカル派の共同訳である『新共同訳聖書』では「旧約聖書続編」として掲載されている。

これに対して、ロシア正教会は、旧約50巻新約27巻の計77巻で聖書を構成している[28]

配列と一覧

マソラ本文の配列

以下の区分に従い、分類また配列する。

  • 律法(モーセ五書)(トーラー、原義は「教え」)
  • 預言者(ネビーイーム)
    • 前の預言者
    • 後の預言者
      • 小預言者
  • 諸書(ケスービーム)
    • 真理(エメス)
    • 巻物(メギロース)

七十人訳聖書の配列

マソラ本文と若干分類法が異なり、そのため配列も異なっている。「歴史書」はユダヤ教聖書の前の預言者・後の預言者・巻物に対応し、加えてユダヤ教で旧約外典とするものを含む。またユダヤ教で認める書でも「補遺」とされるユダヤ教にない部分を含むものがある。正教会カトリック教会では、伝統的に七十人訳聖書の配列に基づいた聖書を使用してきた。詳しくは下記のを参照。

  • モーセ五書
  • 歴史書
  • 教訓書(知恵書)
  • 預言書

諸教派の旧約聖書配列の一覧

ユダヤ教正教会カトリック[表 1]プロテスタント
律法(トーラー)モーセ五書
創世記創世記創世記創世記
出エジプト記エギペトを出づる記出エジプト記出エジプト記
レビ記レヴィト記レビ記レビ記
民数記民数記民数記民数記
申命記復傳律令申命記申命記
預言者(ネビーイーム):
前の預言者
歴史書
ヨシュア記イイスス・ナビン記ヨシュア記ヨシュア記
士師記士師記士師記士師記
ルフ記ルツ記ルツ記
サムエル記列王記第一巻サムエル記サムエル記
列王記第二巻サムエル記サムエル記
列王記列王記第三巻列王記列王記
列王記第四巻列王記列王記
歴代誌略第一巻歴代誌歴代誌
歴代誌略第二巻[表 2]歴代誌歴代誌
エズドラ第一巻[表 3]
エズドラ第二巻エズラ記エズラ記
ネーミヤ書ネヘミヤ記ネヘミヤ記
トビト書[表 4]トビト記[表 4]
イウヂヒ書[表 4]ユディト記[表 4]
エスフィル書[表 5]エステル記[表 5]エステル記
マカウェイ記第一巻[表 4]マカバイ記1[表 4]
マカウェイ記第二巻[表 4]マカバイ記2[表 4]
マカウェイ記第三巻[表 6]
マカバイ記4[表 6]
知恵文学
イオフ書ヨブ記ヨブ記
聖詠[表 7]詩編詩篇
オデス書[表 6][表 8]
箴言箴言箴言
伝道書コヘレトの言葉伝道の書
雅歌(諸歌の歌)雅歌雅歌
ソロモンの知恵書[表 4]知恵の書[表 4]
シラフの子イイススの知恵書[表 4]シラ書[表 4]
ソロモンの詩篇[表 6]
預言者(ネビーイーム):
後の預言者
大預言書
イザヤ書イサイヤの預言書イザヤ書イザヤ書
エレミヤ書イエレミヤの預言書エレミヤ書エレミヤ書
哀歌哀歌哀歌
ワルフの預言書[表 4]バルク書[表 4][表 9]
イエレミヤの達書[表 4][表 9]
エゼキエル書イエゼキイリの預言エゼキエル書エゼキエル書
ダニイルの預言[表 10]ダニエル書[表 10]ダニエル書
小預言者小預言書
ホセア書オシヤの預言書ホセア書ホセア書
ヨエル書イオイリの預言書ヨエル書ヨエル書
アモス書アモスの預言書アモス書アモス書
オバデヤ書アウディヤの預言書オバデヤ書オバデヤ書
ヨナ書イオナの預言書ヨナ書ヨナ書
ミカ書ミヘイの預言書ミカ書ミカ書
ナホム書ナウムの預言書ナホム書ナホム書
ハバクク書アウワクムの預言書ハバクク書ハバクク書
ゼファニヤ書ソフォニヤの預言書ゼファニヤ書ゼファニヤ書
ハガイ書アゲイの預言書ハガイ書ハガイ書
ゼカリヤ書アゲイの預言書ゼカリヤ書ゼカリヤ書
マラキ書マラヒヤの預言書マラキ書マラキ書
諸書
(ケスービーム)
真理(エメス)
詩篇
箴言
ヨブ記
巻物(メギロース)
雅歌
ルツ記
哀歌
コヘレトの言葉
エステル記
ダニエル書
エズラ記ネヘミヤ記[表 11]
歴代誌
表注

翻訳

『旧約聖書』の翻訳は紀元前から行われており、そのような古い翻訳を古代訳という。古代訳は、現存するどのヘブライ語写本よりも古く、当時の解釈だけでなく、テキストそのものを推察する上でも貴重な資料となる。

『旧約聖書』の翻訳で、現在知られている最も古いものはアラム語聖書である。これは捕囚期後、当時のパレスチナで日用語となったアラム語にヘブライ語聖書を翻訳したものである。ついで紀元前4世紀から2世紀までに、ギリシア語への翻訳がアレクサンドリアでなされた。これが「七十人訳聖書(セプトゥアギンタ 、LXX)」である。キリスト教成立後、七十人訳はキリスト教徒の聖書という印象がつよまると、ユダヤ教内部で新たなギリシア語翻訳を求める動きが起き、いくつかのギリシア語翻訳が作られた。またこの時期、シリア語訳の聖書も作られた。

またキリスト教の中で、主にラテン語を使うグループのためにラテン語訳が作られた。これを「古ラテン語訳」という。ヒエロニムスは、ヘブライ語から翻訳したラテン語翻訳聖書を作り、これがラテン教会では公式の翻訳として認められた。ヒエロニムスの翻訳を「ヴルガータ」という。また中世初期にはキュリロスメトディオスによって教会スラブ語訳が作られた。

また中世盛期から末期にかけて、フランスドイツなど西ヨーロッパでは近代語訳の『聖書』が作られたが、これは教会で公認されなかったこと、複製の難しさなどからあまり広まらなかった。中世末期から近世初期の主な翻訳者には、ウィクリフエラスムスルターカルヴァンなどがある。その後、『聖書』の翻訳は主にプロテスタント圏で盛んになり、その必要に後押しされるように、本文批評の発展に伴う校訂版テキストの整備が進んだ。近代に入ると、カトリックでも『聖書』の読書が奨励されるようになったことに伴い、各国語で翻訳がなされるようになった。なお、『聖書』は世界で最も様々な言語に翻訳された書物であり、『新約聖書』に関してはアイヌ語ケセン語にも翻訳されている。

なおユダヤ人は、非キリスト教的な『聖書』翻訳の必要性から、上記とは系統を異にする独自の翻訳された『聖書』を持っている。

歴史

ユダヤ教における聖書

ユダヤ教における聖書とは、紀元前4世紀までに書かれたヘブライ語およびアラム語の文書群。全24巻から成り立つ。紀元前4世紀ごろには、この文書群が、「聖書」つまり統一された1つの書物として認識されるようになった。現存する最古の写本は紀元前1世紀頃書かれたとされる死海写本に含まれている。

拝一神教時代

唯一神教時代

  • 前722年、北王国が滅ぼされる[30]。北王国の滅亡という現実から、南王国にて神の義や罪の概念が生まれ、ユダヤ教が唯一神教に変わっていったとされる[30]
  • 前6世紀前半、南王国がバビロニアによって滅ぼされる[30]。神の唯一性が絶対的になったのは、前6世紀のバビロニア捕囚前後からとされる[31]
  • 前586年、バビロニア帝国は、ユダヤ民族のほとんどを捕囚とし、バビロニアに入植させた[34]。 捕囚時代において神殿は存在していなかったが、ヤハウェ崇拝は続けられていた[注 11]
  • 前539年、アケメネス朝ペルシアは、バビロンに無血入城し、支配下に置いた[35]
  • 前538年、多くのユダヤ人パレスチナに戻る[30]

聖書成立の開始

前6世紀後半~前4世紀後半、ペルシャ時代において第二神殿の建設と聖書成立の開始が為される。この時期にモーセ五書の律法の部分が成立し、聖書が神の言葉としての強い権威を持つに至ったとされる。また、この時代に律法が作成された理由としては、ペルシャ当局の統治政策により、ユダヤ民族が従うべき掟を文書として提出しなければならないという命令が下されたことがあげられるとされる。これによって、公式に提出された律法はもはや変更できないという状況となり、政治的な権威も加わって、モーセ五書が神の言葉としての絶対的権威を持つに至ったとされる[30]

  • 紀元前458年、エズラはペルシア王の許可を得てバビロンからエルサレムに赴いた(「エズラ記」7:1、7:6、7:8、7:11-13。)エズラは、ユダヤ人社会の宗教と法の掟を統合した[36]93-97}}。
  • エズラが作成した絶対に変えられない神の言葉としての律法は、掟集や律法集としてではなく、物語として書かれた[30]。そのため、伝説を多く含んだ物語や、二つの物語を並べて編集した物語まで、神の言葉としての絶対的権威のもとに受け止められるようになった。

ユダヤ戦争以後

  • 1世紀後半までのユダヤ教は、サドカイ派ファリサイ派エッセネ派などに分かれていた。
  • 70年、ユダヤ戦争に敗れ、エルサレム神殿が破壊された。このあとユダヤ教は律法主義に一元化してしまい、エッセネ派のように神との直接的な関係の実現を求める宗派は消滅してしまった。エッセネ派が消滅したことで、タナハは絶対的権威を持つ神の言葉として成立した。その後2000年近く、聖書は神の言葉と考える律法主義が続いている[30]
  • 1世紀の後半、福音書が作られた当時、聖霊は世の終わりに神から与えられると信じられていた救いの霊とされている[37]
  • 聖霊現象と深いかかわりのあるイエス派運動[37]の指導者たちは、「聖霊」に満たされているとし[38]、指導者たちは神と直接的に繋がっていることを信者に説いていた[30]
  • 2世紀の初期、旧約聖書が作られる[39]。聖霊現象によって神の言葉とされた福音書等と合わせて、旧約聖書も絶対的権威を持つ神の言葉として信仰されるようになった。

ユダヤ教の聖典と旧約聖書の内容の違い

ユダヤ教の聖典[注 12][要出典]をキリスト教は、名称を旧(ふるい)約束の意味に変えて用いている[40]。しかし、ヘブライ聖書では、前十世紀ころのヤハウェ信仰が拝一神教であったのに対して、キリスト教が現在用いている旧約聖書では、前十世紀ころのヤハウェ信仰が唯一神教となっている翻訳の違いがある。前十世紀ころのヤハウェとの契約を意味する旧約とは、モーセの十戒を中心とした律法であると見た場合、違った風に訳された神の言葉をキリスト者自身の都合に合わせて旧い約束であるとしていると見ることも出来る[注 13][注 14]

主な旧約聖書

旧新約聖書
  • 『聖書 聖書協会共同訳』日本聖書協会 訳(日本聖書協会、2018年)
  • 『聖書 新改訳』新日本聖書刊行会 訳(いのちのことば社、2018年)
  • 『聖書 口語訳』日本聖書協会 訳(日本聖書協会、2015年)
  • 『聖書 文語訳』日本聖書協会 訳(日本聖書協会、1992年)
  • 『聖書 原文校訂による口語訳』フランシスコ会聖書研究所 訳(サンパウロ、2011年)
  • 『聖書 旧約・新約』フエデリコ・バルバロ 訳(講談社、1980年)
旧約聖書
  • 『聖詠経』ハリストス正教会本会 訳(ハリストス正教会本会、1901年)
  • 旧約聖書翻訳委員会 訳『旧約聖書』。 (岩波書店、全4巻、2004年-)
英語日本語対訳旧新約聖書
  • 『ダイグロットバイブル』(日本聖書協会、2016年):新共同訳+ESV(English Standard Version)
  • 『バイリンガル聖書』(いのちのことば社、2015年):新改訳+ESV
ヘブライ語日本語対訳旧約聖書
  • 『ヘブライ語聖書対訳シリーズ』全45巻、ミルトス・ヘブライ文化研究所 編(ミルトス、1990年-)逐語訳
ヘブライ語旧約聖書
ラテン語訳旧新約聖書
七十人訳旧約聖書
  • 秦剛平 訳『七十人訳ギリシア語聖書(第1期:モーセ五書)』全5巻(河出書房新社、2002年-)
  • 秦剛平 訳『七十人訳ギリシア語聖書(第2期:その他)』全9巻(青土社、2016年-)
ギリシア語七十人訳旧約聖書

参考文献

脚注の書誌情報、主な執筆者、編者の順。

  • 「補注、用語解説」『新約聖書』岩波書店、2004年。 
  • 泉田 昭『新聖書辞典』いのちのことば社。 
    • 1985年、ISBN 4264007062NCID BN00902410
    • 2014年、ISBN 9784264032571NCID BB1696023X
  • 矢内 昭二『ウェストミンスター信仰告白講解』新教出版社 
    • 『ウェストミンスター信仰告白講解 : わたしたちの信仰告白』(新教出版社〈新教新書148〉、1969年)NCID BB16780158
    • 『ウェストミンスター信仰告白講解』第1版第5刷(新教出版社〈新教新書255〉、1999)ISBN 4400542556NCID BA45681312
  • 宇田進『現代福音主義神学』いのちのことば社 
    • 宇田 進『総説現代福音主義神学』(いのちのことば社、2002年)ISBN 4264020492NCID BA58962187
    • 宇田 進『総説現代福音主義神学』第2版(いのちのことば社、2005年)ISBN 4264020492NCID BA77834901。別題『Contemporary introduction to evangelical theology』。
  • 岡田稔『キリストの教会』小峯書店、1970年。 NCID BN1526719X
    • 改版改題。岡田 稔『キリストの教会』(いのちのことば社〈岡田稔著作集4〉、1993年)ISBN 4264014190NCID BN09399389
  • 尾山令仁『クリスチャンの和解と一致』地引網出版〈地引網新書002〉、2007年。 ISBN 9784901634144NCID BA81617022
  • 尾山令仁『聖書の権威』(再版)羊群社、100頁。 
  • 加藤隆『旧約聖書の誕生』。 ISBN 9784061496095NCID BA56799788
  • 木幡藤子、山我哲雄 訳『旧約聖書〈Ⅱ〉』岩波書店、2000年。 
    • 木幡藤子「出エジプト記」の解説、P=402
    • 山我哲雄「レビ記」の解説、P=60
  • ジョアン・コメイ東洋書林、1996年。 
  • 黒川知文、山我哲雄、関根清三『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2003年。 
    • 黒川知文「エルサレム」の項目、P158。
    • 関根清三「旧約聖書」の項目、P274。
    • 宮本久雄「捕囚」の項目、P1037。
    • 山我哲雄「拝一神教」の項目、P869。
  • 中央神学校史編集委員会 編『中央神学校の回想:日本プロテスタント史の一資料として』中央神学校同窓会、聖燈社(発売)、1971年。 NCID BN15131799
  • 月本昭男 著、日本基督教団・宣教委員会「"現代の宣教"のための聖書注解書」刊行委員会 編『創世記注解』日本基督教団出版局(発売)、1996年。 
    • (日本基督教団・宣教委員会「"現代の宣教"のための聖書注解書」刊行委員会リーフ・バイブル・コンメンタリーシリーズ 、1996年)ISBN 4990019733NCID BN14329633
  • 中村敏『日本における福音派の歴史 : もう一つの日本キリスト教史』いのちのことば社、2000年。 
  • R・E・フリードマン 著、松本英昭 訳『旧約聖書を推理する』海青社、1989年。 ISBN 4-906165-28-1
  • A・E・マクグラス 著、高柳俊一 訳『宗教改革の思想』教文館、2000年。 ISBN 4-7642-7194-X
  • アリスター・マクグラス 著、神代 真砂実 訳『キリスト教神学入門』教文館、2002年。 ISBN 9784764272033NCID BA5543121X
  • 森川甫『フランス・プロテスタント:苦難と栄光の歩み : ユグノー戦争、ナント勅令、荒野の教会』西部中会文書委員会、1999年。 ISBN 4880771023NCID BA40957802
  • 山我哲雄『新聖書辞典』いのちのことば社 ▲発行年
  • 山我哲雄『聖書時代史 旧約篇』岩波書店〈岩波現代文庫〉、2003年、III-Vほか頁。 ISBN 4-00-600098-7
  • マーティン・ロイドジョンズ、Lloyd-Jones, David Martyn 著、中台 孝雄 訳『旧約聖書から福音を語る』いのちのことば社、2008年。 ISBN 9784264026129NCID BA84771390
  • 和田幹男『私たちにとって聖書とは何なのか:現代カトリック聖書霊感論序説』女子パウロ会、1986年。 ISBN 478960229XNCID BN04411840

脚注

出典

関連資料

脚注に未使用の資料、発行年順。

正教会における聖書名について

コストロマの主教プラトン 著(Platon, Metropolitan of Moscow)、堀江 訳

  • 伝教師パウェル松井 編『「正教会入門」 - 正教会機密 - 』(東京復活大聖堂教会、1878年(明治10年))……※但し当記事内容と配列・内容に相違がある。
  • プラトン 著、堀江 復 訳『正教定理略解 』(正教会、1877年)NCID BA35316660
  • プラトン 著、堀江 復 訳『修身神学』(正教会、1881年)NCID BA60596387
    • プラトン 著、堀江 復 訳『修身神学』3版(正教会、1890年)NCID BA39088943


関連項目

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外部リンク