広島県(ひろしまけん)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は広島市。
概要
臨海部を中心に自動車産業、製鉄、造船などの工業が発展(瀬戸内海工業地域)している[3]。県庁所在地の広島市は政令指定都市であり中国・四国地方最大の都市である。一方で海・山の豊富な自然にも恵まれ、農業・漁業も盛んである[3]。
広島都市圏、福山都市圏と県内に二つの都市圏を持ち、中国地方の中心的役割を担う県である。大まかに広島市を中心とする県西部を「安芸」、県東部で岡山県と隣接している福山市を中心とする県東部を「備後」と呼び、現在でも方言・文化の点で一部違いを見せる(広島弁・備後弁)。ただし、近年の広島県の施策では有する都市機能と生活圏などから広島圏域(県西部)、備後圏域(県東部)、備北圏域(県北部)の3つに分ける場合も多い。
第二次世界大戦において世界で初めて核兵器による攻撃を受けた広島市を抱えることから、国際的に知名度が高い。また安芸の宮島(厳島)と原爆ドームの2つのユネスコ世界遺産を有しており[4][5][6]、日本国外からの観光客も多い[4][6][8][9]。また全国一移民を輩出した「移民県」としても知られ、特にハワイは広島県出身者が3割、山口県などを含むと約5割が中国地方出身者となり、広島方言が全国共通語と類似性の高い方言であったため、広島弁がハワイ日系社会の共通語の基盤となった[11]。これは県内に大きな平野が少なく、耕地が少なかったという理由もあるが、祖国を離れて海外で雄々しく活躍しようという、進取の気質に富む県民性によるものといわれる。
地理・地域
地形
瀬戸内海沿岸部に向かって、中国山地と平行に高地から低地へ階段状の地形を形成している点が特徴で、基本的には北(島根・鳥取県側)へ行くほど海抜が高くなる。また、開けた平野部は河川流域と河口付近のみに限られ[13]、海抜そのものは高くないものの山が多数連なる地勢でもある。これは沿岸部でも同様で、海岸のすぐそばまで山が迫っている場所も珍しくない。花崗岩類と花崗岩風化産物であるマサ(真砂)が広域に分布し、表土の下に広がるマサ土の層は最大数十mの厚さに達する[13]。そのため土石流の危険渓流、急傾斜地崩壊の危険箇所も多く指定箇所数は全国一位となっている[13]。
広島県内には太田川水系と江の川水系の2大水系の他、瀬戸内沿岸部に東から高梁川、芦田川、沼田川、黒瀬川、八幡川、小瀬川などがある。太田川流域はほぼ県西部(安芸)に相当し、江の川流域は県北東部(備北)である。県東部(備後)は芦田川、沼田川水系などとなっている。
広島市や福山市など埋め立てによる平野部があるが、山がちの地形であり、内陸部に三次盆地や西条盆地などがある。東部には世羅高原や神石高原が広がっている。
瀬戸内海には大小併せて約140の島を有す。
- 島嶼部を含め山がちの地形のため、2005年現在の棚田の数では日本で群を抜いた1位である[14]。
- 隣接都道府県: 陸上では東から岡山県 - 鳥取県 - 島根県 - 山口県、海上で愛媛県 - 香川県と接している(但し鳶小島、瓢箪島(ひょうたん島)が愛媛県との県境を跨いでいる)。
広袤(こうぼう)
国土地理院地理情報によると広島県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは131.62km、南北の長さは118.79kmである。また、国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、広島県の面積は8478.94平方キロメートルである[15]。
気候
広島県の面積は全国でも11番目と大きいため[3]、地域によって異なるが、1年を通して降水量が少なく、一般的には冬でも温かい気候である[3][16]。
北部は日本海側気候、それ以外の地域は瀬戸内海式気候に分類される。
沿岸部では冬でも晴天日数が多いが北部の一部は豪雪地帯となっている[16]。
北部は緯度の割には冬は低温であり、山間部を中心に降雪量も多い[16]。特に中国山地の山沿いは、北広島町の東八幡原(標高774m)で観測された−28.0°C(1977年(昭和52年)2月19日)を筆頭に、庄原市の高野地区の−26.0°C(1977年(昭和52年)2月19日)など−20°C以下[17]まで下がることもあるほどの厳寒地である。北広島町八幡の592cm、庄原市高野の582cmなど日本海側との脊梁部には降雪量が3mから6m近くに達する豪雪地帯が広がっている。庄原市や三次市などの市街地でも80cm〜120cm程度の降雪量がある。
広島県内各地の平年値(統計期間:1981年 - 2010年、出典:気象庁・気象統計情報)平年値 (月単位) | 南部(瀬戸内海島嶼部) | 南部(瀬戸内海沿岸部) | 中部(瀬戸内海側内陸部) |
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呉市 呉市蒲刈 | 呉市豊町 久比 | 尾道市 生口島 | 広島 | 呉 | 竹原 | 福山 | 大竹 | 府中
| 世羅 |
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平均 気温 (°C) | 最暖月 | | 26.6 (8月) | 27.2 (8月) | 28.2 (8月) | 27.6 (8月) | 26.3 (8月) | 27.6 (8月) | 27.6 (8月) | 26.7 (8月) | 25.0 (8月) |
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最寒月 | | 5.4 (1月,2月) | 5.3 (1月) | 5.2 (1月) | 5.8 (1月) | 5.5 (1月) | 4.3 (1月) | 4.9 (1月) | 3.4 (1月) | 1.3 (1月) |
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降水量 (mm) | 最多月 | | 233.7 (6月) | 167.6 (6月) | 258.6 (7月) | 227.7 (7月) | 193.3 (6月) | 176.7 (7月) | 271.4 (7月) | 195.3 (7月) | 208.3 (7月) |
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最少月 | | 32.8 (12月) | 33.8 (12月) | 41.2 (12月) | 35.6 (12月) | 33.0 (12月) | 31.0 (12月) | 41.8 (12月) | 36.6 (12月) | 43.6 (1月) |
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平年値 (月単位) | 中部(瀬戸内海側内陸部) | 北部(中国山地・吉備高原) |
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三原市 本郷 | 東広島 | 安佐北区 三入 | 廿日市 廿日市津田 | 神石高原 油木 | 庄原 | 三次 | 庄原市 高野 | 北広島 大朝 | 安芸太田 加計 |
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平均 気温 (°C) | 最暖月 | | 25.6 (8月) | 26.9 (8月) | 24.6 (8月) | 23.2 (8月) | 24.6 (8月) | 25.6 (8月) | 22.8 (8月) | 23.7 (8月) | 25.2 (8月) |
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最寒月 | | 2.1 (1月) | 3.5 (1月) | 1.2 (1月) | 0.0 (1月) | 0.8 (1月) | 1.7 (1月) | −0.8 (1月) | 0.4 (1月) | 1.8 (1月) |
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降水量 (mm) | 最多月 | | 236.8 (7月) | 291.4 (7月) | 317.6 (7月) | 230.9 (7月) | 249.1 (7月) | 259.0 (7月) | 303.4 (7月) | 285.6 (7月) | 303.0 (7月) |
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最少月 | | 41.4 (12月) | 56.7 (12月) | 54.5 (12月) | 42.9 (1月) | 64.3 (1月) | 65.2 (1月) | 112.3 (11月) | 95.3 (11月) | 86.7 (11月) |
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- 呉市豊町久比については、1971年から2000年までの平年値(2009年2月24日で観測を終了したため)。
- 呉市呉市蒲刈については、2009年2月25日より観測開始のため、平年値なし。
- 三原市本郷については、2003年1月1日より観測開始のため、平年値なし。
自然公園
- 国立公園
- 瀬戸内海国立公園
- 国定公園
- 比婆道後帝釈国定公園、西中国山地国定公園
- 県立自然公園
- 南原峡県立自然公園、山野峡県立自然公園、三倉岳県立自然公園、竹林寺用倉山県立自然公園、仏通寺御調八幡宮県立自然公園、神之瀬峡県立自然公園
自治体
県下には14市5郡9町が存在する。村は2004年11月5日に消滅した。
かつては県庁によって1つの大都市周辺地域および7つの広域市町村圏の計8つの広域行政圏に区分されていた。ただし、この広域行政圏は実際の都市圏の枠組みとは異なっていた。県内には広島市を中心とする広島都市圏、福山市を中心とする備後都市圏が存在し、それぞれ広域行政圏や県境を越えて広がっている。なお、広域行政圏政策そのものは、2009年(平成21年)3月末に廃止された[18]。
以下、かつての広域行政圏ごとに市町村を記載し、人口を付記する(2015年(平成27年)国勢調査人口)。
- 広島 1,310,256人
- 広島西 142,771人
- 呉 252,891人
- 芸北 54,878人
- 広島中央 227,325人
- 尾三 251,157人
- 福山・府中 514,097人
- 備北 90,615人
越県合併の模索
岡山県笠岡市(旧茂平村)
1963年(昭和38年)ごろ岡山県笠岡市旧茂平村地区が岡山県より分離、日本鋼管進出で経済発展の進む広島県(福山市)への編入を模索していた[19]。旧茂平村地区は旧来より地理的(地区が隣接し境界に河川などの天然障壁がない)、社会的(多くの住民の親戚などが福山市に居住および福山市出身の住民が多い)に福山市との結び付きが強い地域であった。1963年(昭和38年)岡山県の日生町福浦が強い住民運動により兵庫県の赤穂市に合併されたことに刺激を受けた住民が福山市合併協議会を結成し大規模な合併運動を開始(以前より幾度か合併案はあった)。当時広島県議会議員中川弘(のち福山市長に就任)の賛同の下、福山市議会議員数人の賛同も得た。また、城見村内で旧茂平村地区と同じ境遇の旧用之江村地区も福山市との合併に賛同し共同で運動を始めた。その後、合併協議会は有権者9割の署名を集め福山市長、福山市議会に請願書を提出した。[20]
福山市に合併嘆願書が提出されると生活圏を理由に県域が次々と他県に奪われることを危惧した岡山県議会、笠岡市議会からの反対運動が起こった。また翌年(1964年(昭和39年))岡山県の知事に地元出身の加藤武徳が就任すると、知事も合併運動に反対し騒動は終結した。
愛媛県(越智郡上島諸島)
平成の大合併の際、愛媛県越智郡上島諸島の弓削町・生名村・岩城村・魚島村が愛媛県より分離し、広島県因島市との合併を模索していた。
- 愛媛県越智郡の上島諸島は、古来より因島市を中心とした文化圏に含まれている。
- 各島を結ぶ航路も因島を中心に運行されている。
- 因島市の日立造船因島工場を中心として多くの島民が因島市に勤務している。
などの理由により、4町村が広島県の因島市との越県合併を検討。4島のうち最も広島県に近い生名村は昭和30年代にも広島県への併合を模索したことがあった[21]。しかし、島だけではなく、大きな漁域を失うことを恐れた越智郡や今治市の漁師が大規模な海上デモ活動を行った。また、愛媛県、越智郡も反対し決行されなかった経緯がある[21]。生名村は、因島までの距離が300mと近い。また、村営の渡船が1日50往復近く運行されており、因島市のベッドタウン的な立場であった。
2000年(平成12年)5月5市町村の間で連携交流協議会を設置するも、両県市町村間での調整が難航した。結局、愛媛県側4町村で上島町を設立、合併案は事実上凍結された。
なお、現在まで上島町は橋やフェリーなどで愛媛県に接続されておらず、車両で四国に上陸するためには一旦広島県側を経由しなければならない状態になっている[注釈 4]。
土砂災害危険箇所
国土交通省の平成10年および平成14年の報告では、広島県にはがけ崩れや土石流による土砂災害危険箇所が31,987箇所あり、これは都道府県の中で最多である。2位以下は、島根県(22,296)、山口県(22,248)、兵庫県(20,748)、大分県(19,640)、和歌山県(18,487)、高知県(18,112)、愛知県(17,783)となっている。危険箇所の少ない地域は、沖縄県(1,032)、山形県(3,771)、東京都(3,786)、青森県(4,005)などで全国に525,307箇所ある[22]。上位3県が広島、島根、山口と中国地方西部となっておりこれは山がちな地形であるため住宅地が山の裾野まで迫り、さらには山腹まで宅地開発されていることと、花崗岩が風化したまさ土による地質の脆弱さによるものである[23]。
歴史
県名の由来
県名は県庁所在地である広島市に由来する。その広島の由来は、1589年(天正17年)からの毛利輝元による広島城築城の際に、1591年(天正19年)命名されたものである[26]。大江広元(毛利氏の祖)以来、毛利氏は「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字の一つとしていた。毛利元就の時代には、完全に臣従したもの(吉川元春、天野元貞、出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆(平賀広相、阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与えたとされる。この慣習は毛利輝元にも引き継がれ(吉川広家、山内広通、益田広兼など)、毛利氏(特に輝元)の与える「広」は重要な意味合いを持った。従って「広島」は、この「広」とこの地の豪族であり、普請奉行であった福島元長の「島」を併せたとする説が有力である[26]。また他に、デルタのため「広い島」からきたという説もある。
原始・古代
旧石器時代から人々が居住していたと考えられ、広島大学(東広島市)には約2万7千年前に遡る西ガガラ遺跡がある[注釈 5]。倉橋島(呉市倉橋町)の鹿島沖からナウマンゾウの化石などが引き上げられている。
甲立古墳や石槌山古墳群などの古墳もあり、飛鳥時代後期には備後国に寺町廃寺(三次市)などの寺院が建立された。
中世
近世
江戸時代の藩については備後国の福山藩、安芸国の広島藩、広島新田藩。また備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた。
近・現代
明治・大正
昭和
平成
令和
- 2020年(令和2年) - 広島大学が、衛星画像データなどを使って、土石流で崩壊した土砂の量を、短い時間で推計する方法を開発。これにより、広島県は、「復旧や災害に迅速な対応が可能になる」という[36]。
人口
隣接する岡山県同様、瀬戸内海沿岸の都市部(広島都市圏・福山都市圏)は人口増加もしくは微減にとどまる一方、県北部(山間部)や沿岸部でも小都市や離島の自治体は減少が激しい傾向がある。
広島県(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) | 2,436,135人 | | 1975年(昭和50年) | 2,646,324人 | | 1980年(昭和55年) | 2,739,161人 | | 1985年(昭和60年) | 2,819,200人 | | 1990年(平成2年) | 2,849,847人 | | 1995年(平成7年) | 2,881,748人 | | 2000年(平成12年) | 2,878,915人 | | 2005年(平成17年) | 2,876,642人 | | 2010年(平成22年) | 2,860,750人 | | 2015年(平成27年) | 2,843,990人 | | 2020年(令和2年) | 2,799,702人 | |
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総務省統計局 国勢調査より |
政治
県政
県庁の変遷
財政
平成19年度
- 財政力指数 0.59
- Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中9位
平成18年度
- 財政力指数 0.54
- Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中10位
- 標準財政規模 5309億円
- 一般会計歳入 9814億円
- 一般会計歳出 9767億円
- 経常収支比率 91.5%(都道府県平均92.6%)
- 実質収支比率 0.5
- 実質公債費比率 15.6%(都道府県平均14.7)
- 人口一人当たり地方債現在高 64万2081円(普通会計分のみ。都道府県平均62万2416円)
- 人口100,000人当たり職員数 1,083.17人(都道府県平均1,173.11人)
- 平成17年度から平成21年度までの5年間で概ね1割、2,800人程度の削減を目標に人員削減に取り組んでいる
- 人口一人当たり人件費・物件費等決算額 11万4872円(都道府県平均12万4759円)
- 人件費抑制・内部管理経費の削減などにより、前年と比較して2,556円ほど削減している 今後も財政健全化の方向でいく
- ラスパイレス指数 100.2(都道府県平均99.6)
- 平均職員給与(普通会計分) 給料451万3691円 職員手当 84万9782円 期末・勤勉手当 192万2761円
地方債残高
- 1普通会計分の地方債現在高 1兆8411億円
- 2上記以外の特別会計分の地方債現在高 2854億円
- その他に第3セクター等に対する債務保証等に係る債務残高がある(団体数40)
普通会計分と特別会計分の地方債合計 2兆1265億円
平成17年度
- 財政力指数 0.48
- IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中3位
平成16年度
- 財政力指数 0.46
- IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中7位
国政
経済・産業
古代、瀬戸内海は、先進地域である大陸や九州と都を結ぶ唯一の交通路であり、長く西日本の経済にとって最も重要な交通路でもあった[37]。広島はその中央部に位置することから、当然ながら交通の要衝として発展してきた。軍都としての歴史もこれに起因するものである。広島は江戸期にはたたら製鉄による日本有数の鉄の産出地であった。浅野藩時代に砂鉄を利用した針細工が普及し、京阪の商人によって全国に販路が拡大されたが、現在の広島市西区で広島針の生産が盛んになり、この針を使うゴム関連企業が軍需部品を中心に発展し、当地でモルテン・ミカサという世界的なスポーツ競技用ボールメーカーが生まれた。
近代には日本陸軍・海軍の主要拠点が置かれた広島県は、呉の海軍工廠を始め、多くの軍需施設が置かれた[31][32][39]。敗戦後もそれらに携わった技術者・職人らによって技術が継承されモノ作りが盛んである[31][32][40]。戦後の日本にとって最も重要な課題は船舶の拡充であった。日本の船舶は太平洋戦争によって大部分、失われていた。輸出輸入(貿易)とも製品を運ぶのは船のため、戦後の広島は造船業にリードされて復興した。これが高度経済成長期に広島が急成長する環境を整えた[31][41]。日本は資源の乏しい島国であったため、輸出産業を伸ばす必要があった[41]。海外から出来るだけ安い原料を探して船で日本に持って来て、日本で加工製造し、また海外に輸出する加工貿易を船舶が支えた[41][42]。また当時の重化学工業に於ける革新技術の多くは、臨海工場によって開花する性格を持っていた。さらにエネルギー需要の拡大に於いて、エネルギー源を石炭から石油への転換をすすめたことで[41]、タンカー需要が急伸の一途をたどり、広島県内に大型ドックが続々建設され、広島の造船業は驚異的な成長を遂げた[31][32][40]。
自動車産業・造船、そしてのちに加わった鉄鋼業を中心に、瀬戸内工業地域の中核として発展。1975年(昭和50年)には、製造業が75%近くを占め、高度経済成長の恩恵を一手に受けたかに思われたが、それに対する大きな代償も払った。これは日本各地の状況と共通するものであるが[41]、花形産業に大きく偏りを見せた発展であったため、農業・漁業を中心とする第一次産業は衰退し、山間部と都市部の地域格差が広がり、都市への人口流出が続いた。また今日、厳島や尾道、鞆の浦など、瀬戸内の多島美は評価も高いが、公害や海砂利採取等でそれ以外の海岸線に多く見られた美しい白砂青松の自然景観は失われている。
1973年(昭和48年)のオイルショック以降、日本が低成長時代に移ると、広島経済も低迷を始めた。軽薄短小の時代に変わるとともに生産は伸び悩んだ。この場合の例としては、日本鋼管福山工場や造船所の不振、好調な売り上げを見せていたマツダのロータリーエンジン搭載車が燃費の悪さが叩かれ、内外市場で不振に陥ったことが挙げられる。また重厚長産業に偏重した反省から、半導体製造のエルピーダメモリや日東電工などIT・デジタル関連機器メーカーを積極的に誘致し対応を図っている。
県東部の備後地方は常石造船に代表される造船業、昭和30年代に立地したJFEスチール西日本製鉄所福山地区を中心とした鉄鋼業、シャープ福山工場などのIC・半導体産業、古くからの地場産業である繊維産業が集積している。
県内に本社を置く主要企業
広島県発祥の主要企業
他府県に拠点を移した企業。
- 建築業
- 金融業
- 製造業
- 小売業
- その他
現在消滅した広島県の主要企業
生活・交通
警察
広島県警察本部の管轄にあり、以下の26警察署が置かれている。
交通
空港
鉄道路線
人口規模の割には私鉄路線がほとんどなく、私鉄路線は路面電車、新交通システムや第三セクター鉄道のみで、1967年に井笠鉄道が廃線から1999年に井原鉄道が開通まで普通鉄道の私鉄路線が一切存在しなかった[注釈 7]。
- ※ 2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で寝台特急「はやぶさ」「富士」が廃止され、以降は通常ダイヤにおいて広島県内の在来線では特急・急行の旅客列車は1本も走っていない(2024年3月現在、JRの路線がある46都道府県では岩手県[注釈 8]・栃木県[注釈 9]も該当する)
廃止された鉄道路線
道路
- 国道
- 県道
- 高速道路
医療・福祉
- 災害拠点病院
- 保育所
教育
- 専修学校
- 特別支援学校
- 高等学校
- 中学校
- 小学校
- 幼稚園
マスメディア
新聞
- 地方紙
- 全国紙
- 一般紙は全て大阪本社の管轄となっている。
- 最近では県内で印刷されているものもある。
- スポーツ紙は九州スポーツを除いて全てが大阪本社の管轄である。
- 以下のうち、スポニチ、デイリー、ニッカンの3紙の県内発売分は、一面がカープ関連となることが多い。
放送
- テレビ局・ラジオ局兼営
- テレビ局
- ラジオ局
- 県域放送局舎外観
中国放送 (RCC)
(広島市中区)
広島ホームテレビ (HOME)
(広島市中区)
広島エフエム放送(HFM)
(広島市南区)
- コミュニティFM放送局
- 備考
- ケーブルテレビ局
文化・スポーツ
方言
広島県内の方言は中国方言に分類されるが、県の東西で違いがある。
- 広島弁 - 広島県全体の方言を指すこともあるが、一般には広島市を中心とした旧安芸国にあたる県西部の方言(安芸弁)を指す。山口弁や石見弁と同じカテゴリー(西中国方言)に分類される。
- 備後弁 - 福山市や尾道市を中心とした旧備後国にあたる県東部の方言。福山弁など。岡山弁と同じカテゴリー(東山陽方言)に分類される。
食文化
- 郷土料理
伝統工芸
- 経済産業大臣指定伝統的工芸品
- 伝統工芸品
特産品
音楽楽団
スポーツ
広島東洋カープが設立時に親会社を持たずに、市民球団として球団を作り上げたという「出世の秘密」は普通ではないトピックである。広島は元々、古くからスポーツが盛んな土地柄で[39][45]。野球・サッカー・バレーボール・陸上競技・水泳などの先進地であった[45]。またそれらの競技の礎を築いた人材を多数輩出してきた[45]。これは京阪神からも離れた、独立した中核都市としてのプライドがパワーになったという見方がある。
- 2020年夏季オリンピック誘致関係
- 当初は広島市・長崎市共催での五輪開催を提案するも国際オリンピック委員会が共催不可とする判断から長崎市が招致断念。その後広島市単独で招致を目指したが、ヒロシマ五輪反対派が広島市長に当選したことや東日本大震災後の世相から広島市も招致を断念した。
観光
県の施設に関しては文頭に「★」を入れている。
文化財建造物
- 世界遺産
- 日本の20世紀遺産
- 日本遺産
- 尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市(尾道市)[9]
- 鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜(呉市)
- "日本最大の海賊"の本拠地:芸予諸島 -よみがえる村上海賊"Murakami KAIZOKU"の記憶-(尾道市)
- 国宝
- 厳島神社 - 本社本殿・幣殿・拝殿、本社祓殿、摂社客神社本殿・幣殿・拝殿、摂社客神社祓殿、廻廊(東廻廊)、廻廊(西廻廊)
- 向上寺(尾道市瀬戸田町) - 三重塔
- 浄土寺(尾道市) - 多宝塔、本堂
- 不動院(広島市) - 金堂
- 明王院(福山市) - 五重塔、本堂
- 重要伝統的建造物群保存地区
史跡・旧跡
名所
祭事・イベント
- 広島三大祭り
- とうかさん(6月第1金曜日から3日間)(広島市・慈善院圓隆寺)
- 住吉祭(旧暦6月14・15日、広島市・住吉神社)
- 胡子講(11月17日 - 11月20日)(広島市・胡子神社)
- 広島三大祭り以外
観光スポット・テーマパーク
博物館・美術館など
展示施設
広島産業会館 東館
広島産業会館 西館
広島産業会館 本館
多目的ホール
便宜上1000人以上収容施設を記載している。
対外関係
広島県は1984年(昭和59年)9月17日に中華人民共和国四川省と、1997年(平成9年)5月30日にアメリカ合衆国ハワイ州と友好提携を締結し、交流を行っている。また、大韓民国慶尚南道との交流も行われている。
広島県を舞台とした作品
人物
広島県名誉県民
広島県名誉県民の称号は、「社会文化の興隆に卓越した功績があり、県民の誇りとして等しく尊敬を受ける」者へ贈られる[46]。
広島県県民栄誉賞受賞者
広島県県民栄誉賞は、「輝かしい業績をあげ、広く県民に夢と希望を与え」た者へ贈られる[48]。
脚注
注釈
出典
参考文献・ウェブサイト
関連項目
外部リンク
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