AZアルクマール

オランダのサッカークラブ

アルクマール・ザーンストレークオランダ語: Alkmaar Zaanstreek)は、オランダの西部、北ホラント州の都市アルクマールに本拠地を置くサッカークラブである。AZ(アーゼット)の呼称で知られる。

AZアルクマール
原語表記Alkmaar Zaanstreek
愛称Kaaskoppen(チーズ頭)
De Kaasboeren(チーズ農家)
クラブカラー   
   
創設年1967年
所属リーグエールディヴィジ
所属ディビジョン1部(2023-24)
昨季リーグ順位4位(2022-23)
ホームタウンアルクマール
ホームスタジアム
AFASスタディオン
収容人数17,023
代表者オランダの旗 ディルク・シェリンガー
監督ベルギーの旗 マールテン・マルテンス
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史

1976年から2009年までのリーグ戦成績
2008/09シーズンのエールディヴィジで優勝し、祝杯を挙げる選手達

1960-90年代

AZは、北ホラント州に拠点を置くプロクラブだったアルクマール'54とアマチュアクラブだったFCザーンストレークの合併により設立された。アルクマール'54は、国内初のプロリーグを創設する際のメンバーとして1954年にプロサッカークラブとして設立された。FCザーンストレークは、KFCとZFCという両クラブの合併計画が失敗に終わった後、KFCがアマチュアクラブとして存続するために設立された。FCザーンストレークは1964年にモレナール兄弟の画期的な経営と戦術の下、着実に力をつけ、プロクラブになる資格を得たことでKFC後を継ぐクラブとして再編された。1967年、アルクマール'54とFCザーンストレークは両社ともに深刻な経営難に陥っており、それを改善すること、国内最強だったアヤックス1強を崩すため、という目的の下合併した。しかし、1972年、再び経営難になり、成績も低迷。この時救いの手を差し伸べたのは、FCザーンストレークを強豪へと押し上げたモレナール兄弟と当時国内でもトップクラスの利益を生み出していた電化製品会社「ワストラ」だった。これを機に、AZは国内でも好成績を残し始めた。1978年にKNVBカップ初優勝、1980-81シーズンにはリーグ優勝・KNVBカップ優勝の2冠を果たすとともに、UEFAカップ決勝に進出したが、イングランドのイプスウィッチ・タウンに2試合合計4-5のスコアで敗れた。

しかし、1980年代に入ると、ボスマン判決や財政悪化、スター選手の退団など次第に実力が低下。1987-88シーズン、ついにエールステ・ディヴィジに降格してしまった。その後、2部暮らしが続いたものの、1995-96シーズンに優勝、1部へ復帰した。しかし、翌1996-97シーズンは18位で2部へ逆戻り。1997-98シーズンは再び2部で優勝し、改めて1部復帰となった。

2000年代

2002-03シーズン、成績不振のヘンク・ファン・ステーの後任で、コー・アドリアーンセがシーズン途中で監督に就任。このシーズンは10位だった。

2003-04シーズン、アヤックス・フェイエノールト・PSV・ヘーレンフェーンに次いで5位となり、UEFAカップ出場権を得た。チーム得点王は14ゴールのアリ・エル・ハッタビであった。

2004-05シーズン、リーグで大躍進し、PSV・アヤックスに次ぐ3位の成績を収めた。チーム得点王は13ゴールのケネス・ペレスだった。UEFAカップでは、1回戦はPAOK(ギリシャ)に合計5-3で勝利。グループステージを3勝1敗の首位で通過すると、決勝トーナメント1回戦アーヘン(ドイツ)に合計2-1、2回戦シャフタール・ドネツク(ウクライナ)に合計5-2、準々決勝・ビジャレアル(スペイン)に合計3-2と順調に勝ち上がり、準決勝進出を果たした。準決勝ではスポルティングCP(ポルトガル)と対戦し、第1戦はアウェーで1-2、第2戦はホームで2-1で決着付かず、延長戦へ突入。延長後半3分のケウ・ヤリエンスのゴールで一時は決勝進出を手繰り寄せるも、延長後半ロスタイムにミゲル・ガルシアのゴールで追い付かれ、合計4-4。アウェーゴールルールのため敗戦となり、決勝進出を逃した。

2005-06シーズン、それまで指揮をとっていたコー・アドリアーンセが退任したため、新たにルイ・ファン・ハールが監督に就任。グルジア代表FWのショタ・アルベラーゼレンジャーズから、オランダ人FWのダニー・クーフェルマンススパルタから迎えた。最終的な順位はアヤックスに次ぐ2位。チーム得点王のアルベラーゼは合計22ゴールで、得点ランク第2位となった。UEFAカップでは、1回戦をクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ(ロシア)に合計6-6、アウェイゴールルールで勝利。続くグループステージを3勝1分の2位で通過したが、決勝トーナメント第1戦でレアル・ベティス(スペイン)に合計3-2の敗戦となった。

2006-07シーズンにはバリー・ファン・ハーレンが引退。ペレス、ヘンク・ティメルヨリス・マタイセンデニー・ランツァートといった主力選手が移籍する事態となった。だが、チームは躍進を見せる。アヤックス・PSVと勝ち点72で並び、得失点差による首位を維持して最終節を迎えた。しかし、最終節では下位のエクセルシオール相手に大苦戦。開始早々、GKのボイ・ヴァーテルマンアンドウェレ・スロリーを倒して一発退場となるなどの波乱もあり、2-3で敗戦。最終的には3位に転落、26年ぶりの優勝を逃す結果となった。クーフェルマンスが合計22ゴールでチーム得点王となった。UEFAカップでは、1回戦をカイセリスポル(トルコ)に合計4-3で勝利。グループステージも3勝1分の首位で通過した。決勝トーナメント第1戦はフェネルバフチェ(トルコ)に合計5-5、第2戦はニューカッスル(イングランド)に合計4-4、共にアウェイゴールで勝利したが、準々決勝でブレーメン(ドイツ)に合計1-4と敗北した。なお、このシーズンの開幕前に1万3500人収容の新スタジアムDSBスタディオンが完成し、このシーズンから使用している。

2007-08シーズンは、アルベラーゼ、クーフェルマンスといったベテランが移籍。その一方で、ブラジル人FWのアリ、イタリア人FWのグラツィアーノ・ペッレベルギー人DFのセバスチャン・ポコニョーリといった若手主体の補強を行なった。しかし、第19節ではアヤックスに1-6の大敗するなど、シーズンを通して精彩を欠いた。第20節のヘーレンフェーン戦から第30節のデ・フラーフスハップ戦の2ヶ月間に至っては、12戦連続勝ち星から遠ざかってしまった(5分7敗)。最終的な順位は11位。UEFAカップでは、1回戦をパソス・デ・フェレイラ(ポルトガル)に合計1-0で勝利。しかし、グループステージでは1勝1分2敗と奮わず4位となり、グループステージ敗退となった。

2008-09シーズン、開幕2連敗したものの、その後はエース、ムニル・エル・ハムダウィが得点を量産、また守護神セルヒオ・ロメロの活躍などでシーズン終盤まで28試合連続無敗記録を打ち立てるなど快進撃を続け、28シーズンぶり2回目の優勝を決めた。

2009年7月、オランダのスーパーカップであるヨハン・クライフ・スハールヘーレンフェーンと対戦し、5-1で勝利してヨハン・クライフ・スハール初制覇を果たした。リーグ戦で初優勝した1981年にはスーパーカップは創設されていなかったため、初のスーパーカップ出場だった。

2010年代

2010-11シーズン、ヘルトヤン・フェルベークが新監督に就任し、クラブのメインスポンサーをAFASソフトウェアに変更させ、AZはクラブの改革を行った。夏の移籍市場でムニル・エル・ハムダウィムサ・デンベレといった主力選手を放出したが、リーグ戦は3強に次ぐ4位であった。

2011-12シーズンもリーグ戦は4位でフィニッシュしたが、UEFAヨーロッパリーグではアンデルレヒトウディネーゼらを下して、ベスト8にまで勝ち進んだ。

2012-13シーズン、リーグ戦は期待に沿う結果は残せなかったが、KNVBカップでは決勝でPSVアイントホーフェンを破って31年ぶりの優勝を飾った。

2019-20シーズン、クラブの監督に新しくアルネ・スロットを招集し、欧州の舞台で戦う準備を始めた。夏の移籍市場ではFCスパルタク・モスクワに移籍したフース・ティルの代役としてアヤックスからダニ・デ・ウィトやMFヨルディ・クラーシさらにはクラブ史上初の日本人選手としてDF菅原由勢らを獲得した。リーグ戦ではAZユース出身のFWマイロン・ボアドゥやMFトゥーン・コープマイネルス、FWケルヴィン・ステングスの活躍もあって、アヤックス・アムステルダムに次ぐリーグ戦2位でシーズンを終えた。一方、UEFAヨーロッパリーグではマンチェスター・ユナイテッドFCらと同組だったのにも関わらず、グループステージを突破した。ベスト32の対戦相手はLASKリンツとなった。1戦目はホームで1-1の引き分け、アウェイ2戦目は2-0で完敗を喫し、2試合合計3-1で大会を去った。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

  • なし

親善大会

  • ブルーフセ・メッテン : 1回
    • 1978
  • マリティーム・トゥールノーイ : 3回
    • 1989, 1990, 1997

その他

  • リーグフェアプレー賞 : 3回
    • 2003-04, 2004-05, 2006-07
  • VVCSフェルデンコンペティティエ : 1回
    • 2013

※その年、最もクラブ設備、施設が整っているクラブに贈られる賞。

クラブ記録

試合

選手

公式戦通算得点
公式戦通算出場

過去の成績

Eredivisie
シーズンリーグKNVBカップ
ディビジョン順位
1967-68エールステ・ディヴィジ36181445725502位GS敗退
1968-69エールディヴィジ345131627532316位2回戦敗退
1969-70348121431482812位準々決勝敗退
1970-7134392224761517位2回戦敗退
1971-72エールステ・ディヴィジ40221176831552位1回戦敗退
1972-73エールディヴィジ34891732582515位準決勝敗退
1973-74341013113739337位準々決勝敗退
1974-7534141285032405位準々決勝敗退
1975-7634159104639395位準々決勝敗退
1976-773419877529463位準決勝敗退
1977-783419967530473位優勝
1978-793419788443454位準々決勝敗退
1979-803420777736472位準々決勝敗退
1980-8134276110130601位優勝
1981-823421587440473位優勝
1982-83341181549403011位2回戦敗退
1983-8434149116450376位準々決勝敗退
1984-85348141259703013位1回戦敗退
1985-86341112114055349位2回戦敗退
1986-87347131431572715位2回戦敗退
1987-88349101544642816位1回戦敗退
1988-89エールステ・ディヴィジ3619988042475位準々決勝敗退
1989-90361291548463312位1回戦敗退
1990-9138151585638454位1回戦敗退
1991-923814111355403913位2回戦敗退
1992-933411101354523210位3回戦敗退
1993-9434161086031423位ベスト16
1994-9534167115940395位ベスト16
1995-9634211036426731位ベスト16
1996-97エールディヴィジ34672127522518位準々決勝敗退
1997-98エールステ・ディヴィジ3421948131721位1回戦敗退
1998-99エールディヴィジ341212105260489位ベスト16
1999-0034174136959557位準決勝敗退
2000-0134981745633513位準々決勝敗退
2001-02341271543454310位2回戦敗退
2002-03341281450694410位2回戦敗退
2003-0434176116542575位2回戦敗退
2004-053419787141713位ベスト16
2005-063423567832742位準決勝敗退
2006-073421948331723位準優勝
2007-083411101343484311位2回戦敗退
2008-093425546622801位準々決勝敗退
2009-1034195106434625位4回戦敗退
2010-113417895544594位4回戦敗退
2011-123419876435654位準決勝敗退
2012-13341091556543910位優勝
2013-1434138135450478位準決勝敗退
2014-1534195106356623位準々決勝敗退
2015-1634185117053594位準決勝敗退
2016-1734121395652496位準優勝
2017-183422577238713位準優勝
2018-1934177106443584位準決勝敗退
2019-202518255417562位準々決勝敗退
2020-213421857541713位3回戦敗退
2021-223418796444615位準決勝敗退
2022-233420776835674位ベスト16
2023-2434

欧州の成績

2022-23シーズン時点で、AZはUEFA主催の大会に通算21シーズン参加しているが、タイトル獲得はない。UEFAランキングの最高位は2008年の20位である。また、UEFAのコンペティションでは、2007年にホームでエヴァートンFCに敗れるまでホームゲーム32試合連続で無敗だった。この32試合無敗という記録はマンチェスター・ユナイテッドFCが1996年まで保持していた56試合無敗に次ぐ記録である。

現所属メンバー

2024年2月1日現在[1]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK マシュー・ライアン
2DF 菅原由勢
3DF ヴァウテル・フース
4DF ブルーノ・マルティンス・インディ
5DF アレクサンドレ・ペネトラ
6MF ティアゴ・ダンタス
8MF ヨルディ・クラーシ (副主将)
9FW ヴァンゲリス・パヴリディス
10MF ダニ・デ・ウィト
11FW イブラヒム・サディク
12GK ホビー・フェルハルスト
13GK セム・ヴェステルフェルト
14MF クリスティヤン・べリッチ
15FW ルベン・ファン・ボメル
No.Pos. 選手名
16MF スフェン・マイナンス
18DF ダヴィド・メラー・ウォルフェ
19FW マイロン・ファン・ブレデローデ
20GK ロメ=ヤイデン・オウス=オドゥロ
21FW エルネスト・ポク
22DF マキシム・デッカー
23FW マイケル・ラード
24MF ルイス・スハウテン
25DF リーシェドリー・バズール
27DF ゴンサロ・エステヴェス
28FW レクインシオ・ゼーファイク
30DF デンソ・カシウス
34DF メース・デ・ヴィト
監督

歴代監督

AZ'67時代
  • レスリー・タルボ 1967-1968
  • ヴィム・ブロクラント 1968-1969
  • ロベルト・ハインツ 1969-1971
  • コル・ファン・デル・ハルト 1971-1973
  • ヨープ・ブレント 1973-1976
  • ハンス・クラーイ 1976-1977
  • ヤン・ノテルマンス 1977
  • コル・ファン・デル・ハルト 1977-1978
  • ゲオルク・ケスラー 1978-1982
  • ハンス・アイケンブルーク 1982-1983
  • ピート・デ・フィセール 1983-1985
  • フリッツ・スーテクーヴ 1985-1986
AZ時代
クラブの黄金期を作ったアドリアーンセ
ルイス・ファン・ハール

歴代所属選手

脚注

外部リンク

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