瀋陽市

中国遼寧省の省都

瀋陽市(しんよう-し/シェンヤン-し、中国語:沈阳市、英語:Shenyang、満洲語:simiyan hoton、šen yang hecen[1]、mukden hoton)は、中華人民共和国遼寧省省都。前名は奉天市。欧米諸語では、ムクデン (mukden) の名もよく用いられる。市名は、「瀋水ノ陽」の意味で、市内の南部を流れる渾河の古名・瀋水の北に位置することから由来する。

中華人民共和国 遼寧省 瀋陽市
渾河と瀋陽のスカイライン
渾河と瀋陽のスカイライン
渾河と瀋陽のスカイライン
略称:
旧称:奉天(フォンティエン)、盛京(ムクデン)
遼寧省中の瀋陽市の位置
遼寧省中の瀋陽市の位置
遼寧省中の瀋陽市の位置
中心座標 北緯41度47分44秒 東経123度26分53秒 / 北緯41.79556度 東経123.44806度 / 41.79556; 123.44806
簡体字沈阳
繁体字瀋陽
拼音Shěnyáng
カタカナ転写シェンヤン
満洲語ᠮᡠᡴ᠋ᡩᡝᠨ
満洲語ローマ字転写Mukden
満洲語読みムクデン
国家中華人民共和国の旗 中華人民共和国
遼寧
行政級別副省級市
政府所在地渾南区
市委書記王新偉
市長呂志成
面積
総面積12,924 km²
市区3,495 km²
海抜55 m
人口
総人口(2020)907 万人
市区人口(2009)398 万人
経済
GDP(2009)4,359 億元
一人あたりGDP56,172元
電話番号24
郵便番号110000
ナンバープレート遼A
行政区画代碼210100
市樹油松
市花玫瑰
公式ウェブサイト https://www.shenyang.gov.cn/

瀋陽市の常在人口は825万人(その中、都市部人口625万人)、従来より東北地方の最大規模の都市であり、東北地方の経済・文化・交通および商業の中心地である。北京から東北3省、朝鮮半島へ繋ぐ枢要地を占めるため、高速道路、高速鉄道・鉄道在来線が放射線状で密集しており、東北地方の最大級の鉄道と空路の運輸能力を持つ。瀋陽を中心に、周辺の鞍山、撫順、営口、鉄領などの衛星都市と瀋陽経済区を形成している。「一朝発祥の地、二代帝王の城」のように言われ、清の時代を中心とした遺跡が多数残っている。国家歴史文化名城に指定される観光都市である。

歴史

古代

瀋陽の歴史は大変古く、7200年前には定住集落(新楽遺跡)があったことが知られている。その後はしばらく地域の重要地方都市的な位置にあった。

遼代は瀋州が置かれ、元代には瀋陽路、明代には瀋陽中衛が設置された。

清朝

17世紀初、サルフの戦いに勝利した満洲族ヌルハチ後金を建国、瀋陽を都城と定め、1634年天聡8年)には盛京(せいけい[2][3]又はせいきょう[4]満洲語:mukden hoton、ムクデン・ホトン)と改称された。その後と国号を改めた後金は1644年順治元年)に明朝の滅亡後の全部の中国を支配し、北京遷都するが、盛京はその後も副都とされた。1657年には奉天府 (abkai aliyangga fu) が設置され、形式的ながら中央政府に準拠した官制が整備され、現在でもホンタイジ時代に主要部分が建設された瀋陽故宮が残っている。1664年康熙3年)には承徳県 (erdemu be aliha hiya) が新設され、奉天府の府治とされた。

1740年から漢民族の移動が認められなかった満洲が、19世紀後半以降、ロシア帝国南下政策に対抗すべく、禁地政策が解禁され開発が急速に推進されると、瀋陽は地域の中心としての役割を担うようになった。1903年には東清鉄道南満洲支線が完成してロシア帝国の勢力下に入り、日露戦争中の1905年奉天会戦の舞台となる。

1911年宣統3年)には承徳県が廃止され、県域は奉天府の直轄とされ、1912年民国元年)、辛亥革命により清朝が滅亡すると、1913年(民国2年)2月に奉天県と改称され、4月に承徳県と改称されたが、河北省に同名の承徳県が存在したことから5月には瀋陽県と改称された。

中華民国

その後は中華民国臨時政府を巡る混乱の中、1923年(民国12年)には奉天市が設置され奉天省の省会とされた。1929年(民国18年)にはそれぞれ瀋陽市遼寧省と改称されている。その後は張作霖張学良を代表とする奉天軍閥の拠点となった。しかし鉄道駅を中心とする市街地の大半は南満洲鉄道の付属地とされ、日本が行政権や警察権を掌握していた。

満洲国時期

1931年満洲事変により関東軍に占領され日本の植民地となり、関東軍土肥原賢二を首班とする奉天市政府が成立した。同年10月15日、趙欣伯が奉天市市長に就任している。1937年康徳3年)3月26日、市政が公布され統治範囲が確定している。瀋陽県も当初奉天市に位置していたが、1944年(康徳11年)1月1日に分割され奉天市と撫順市に編入された奉天市と再度改称、1945年(民国34年)日本敗戦後、満洲国も日本の支持がなくなって崩壊した。それと共に奉天市政府も自然消滅した。

国共内戦時期

東北光複の後、中華民国政府は1947年に再びに瀋陽と改称し、直轄市とも指定したが、国共内戦の結果1948年11月2日には中国共産党の勢力圏に入った。

中華人民共和国

中華人民共和国が成立した1949年には中央直轄市に昇格、1954年に地級市に改編され遼寧省の省会として、1994年地級市から副省市に昇格して、現在に至る。中華人民共和国初期、以上の歴史原因より、未確認のままの残留邦人が多数住んでいた。2004年に、瀋陽故宮ならびに東陵(清太祖ヌルハチの墓廟)、北陵(清太宗ホンタイジの墓廟)などが「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」というかたちでユネスコ世界遺産に追加登録された。

気候

1月の平均気温は-10.9℃、7月の平均気温は24.7℃、年平均気温は8.5℃、年降水量は690.3mmである。

瀋陽の気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
平均最高気温 °C°F−4.8
(23.4)
−0.9
(30.4)
6.8
(44.2)
16.5
(61.7)
23.0
(73.4)
27.2
(81)
29.1
(84.4)
28.4
(83.1)
23.6
(74.5)
15.7
(60.3)
5.7
(42.3)
−1.9
(28.6)
14.0
(57.2)
平均最低気温 °C°F−16.1
(3)
−12.2
(10)
−3.8
(25.2)
4.2
(39.6)
11.2
(52.2)
17.0
(62.6)
20.6
(69.1)
19.3
(66.7)
12.1
(53.8)
4.2
(39.6)
−4.2
(24.4)
−12.1
(10.2)
3.5
(38.3)
降水量 mm (inch)6.0
(0.236)
7.0
(0.276)
17.9
(0.705)
39.4
(1.551)
53.8
(2.118)
92.0
(3.622)
165.5
(6.516)
161.8
(6.37)
74.7
(2.941)
43.3
(1.705)
19.2
(0.756)
9.8
(0.386)
690.3
(27.177)
湿度60555352556778787165636163
平均月間日照時間162.5179.3221.8236.3256.0238.6206.8218.8228.4212.3161.0146.22,468
出典:[5] 2009-09-19
中国地名の変遷
建置1664年
使用状況瀋陽市
五代瀋州(遼)
北宋/瀋州
南宋/瀋州
瀋州
瀋陽路
瀋陽中衛
盛京
承徳県(1664年)
中華民国奉天県(1913年)
承徳県(1913年)
瀋陽県(1913年)
奉天市(1923年)
瀋陽市(1929年)
満洲国奉天市
現代瀋陽市

行政区画

瀋陽市は地級市(地区クラスの市)として10市轄区・1県級市・2県を管轄する。

瀋陽市の地図

年表

この節の出典[6][7][8]

瀋陽市

  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国瀋陽市が発足。瀋河区大東区北関区北市区南市区鉄西区皇姑区和平区蘇家屯区新城子区深井子区馬三家子区陳相屯区官立堡区白塔舗区蒲河区財落堡区旧站区祝家屯区沙嶺堡区を設置。(20区)
  • 1950年2月 - 遼西省鉄嶺県の一部が財落堡区に編入。(20区)
  • 1951年12月1日 (12区)
    • 蘇家屯区・陳相屯区・官立堡区・白塔舗区が合併し、蘇家屯中心区が発足。
    • 新城子区・蒲河区・財落堡区が合併し、新城子中心区が発足。
    • 深井子区・旧站区・祝家屯区が合併し、深井子中心区が発足。
    • 馬三家子区・沙嶺堡区が合併し、馬三家子中心区が発足。
  • 1952年8月1日 (28区1鎮)
    • 蘇家屯中心区を分割し、王綱堡区十里河区官立堡区姚千戸区陳相屯区白塔舗区蘇家屯鎮が発足。
    • 新城子中心区を分割し、新城子区清水台区蒲河区財落堡区尹家屯区望浜区が発足。
    • 深井子中心区を分割し、深井子区旧站区祝家屯区古城子区が発足。
    • 馬三家子中心区を分割し、馬三家子区沙嶺堡区平羅堡区潘建台区が発足。
  • 1953年2月17日 (10区)
    • 蘇家屯鎮が区制施行し、蘇家屯区となる。
    • 王綱堡区・十里河区・官立堡区・姚千戸区・陳相屯区・白塔舗区・新城子区・清水台区・蒲河区・財落堡区・尹家屯区・望浜区・深井子区・旧站区・祝家屯区・古城子区・馬三家子区・沙嶺堡区・平羅堡区・潘建台区が合併し、市郊区が発足。
  • 1954年3月16日 - 市郊区を分割し、東郊区西郊区南郊区北郊区が発足。(13区)
  • 1954年6月19日 - 遼寧省に編入され、遼寧省瀋陽市となる。

遼寧省瀋陽市

瀋陽市街地(崇山中路)
  • 1955年3月13日 - 蘇家屯区が南郊区に編入。(12区)
  • 1956年5月23日 (12区1県)
    • 東郊区の一部が撫順市望花区に編入。
    • 東郊区・南郊区・西郊区・北郊区の各一部が撫順市撫南区の一部と合併し、瀋陽県が発足。
  • 1956年6月22日 - 瀋陽県が遼陽専区に編入。(12区)
  • 1956年8月4日 (9区)
    • 東郊区が遼陽専区瀋陽県に編入。
    • 北郊区が大東区に編入。
    • 西郊区・南郊区が合併し、蘇家屯区が発足。
  • 1958年12月20日 - 鉄嶺専区鉄嶺県法庫県康平県開原県昌図県西豊県、遼陽専区瀋陽県遼中県新民県台安県を編入。(9区10県)
  • 1959年2月18日 (6区10県)
    • 北市区が和平区に編入。
    • 南市区が瀋河区に編入。
    • 北関区が大東区に編入。
  • 1960年1月7日 (7区9県)
    • 瀋陽県の一部が和平区・瀋河区・大東区・皇姑区・鉄西区・蘇家屯区に分割編入。
    • 瀋陽県の残部が区制施行し、新城子区が発足。
  • 1960年8月15日 - 台安県が遼中県に編入。(7区8県)
  • 1961年7月9日 - 遼中県の一部が分立し、台安県が発足。(7区9県)
  • 1964年2月12日 - 鉄嶺県・開原県・昌図県・康平県・法庫県・西豊県・遼中県・台安県・新民県が瀋陽専区に編入。(7区)
  • 1964年4月2日 (9区)
    • 和平区・瀋河区・大東区のそれぞれ一部が合併し、東陵区が発足。
    • 皇姑区・鉄西区のそれぞれ一部が合併し、于洪区が発足。
  • 1966年8月10日 (11区)
    • 東陵区・新城子区のそれぞれ一部が合併し、輝山区が発足。
    • 東陵区・蘇家屯区のそれぞれ一部が合併し、祝家屯区が発足。
  • 1968年6月24日 (9区)
    • 輝山区が東陵区・新城子区に分割編入。
    • 祝家屯区が東陵区・蘇家屯区に分割編入。
  • 1968年12月26日 - 瀋陽専区遼中県を編入。(9区1県)
  • 1969年12月18日 - 鉄嶺専区新民県を編入。(9区2県)
  • 1992年12月12日 - 鉄嶺市康平県法庫県を編入。(9区4県)
  • 1993年6月14日 - 新民県が市制施行し、新民市となる。(9区1市3県)
  • 2004年9月11日 - 東陵区の一部が和平区に編入。(9区1市3県)
  • 2006年10月8日 - 新城子区が瀋北新区に改称。(9区1市3県)
  • 2014年6月17日 - 東陵区が渾南区に改称。(9区1市3県)
  • 2016年1月7日 - 遼中県が区制施行し、遼中区となる。(10区1市2県)

瀋陽専区

  • 1964年2月12日 - 瀋陽市鉄嶺県開原県昌図県康平県法庫県西豊県遼中県台安県新民県撫順市新賓県清原県を編入。瀋陽専区が成立。(11県)
  • 1968年12月26日 - 瀋陽専区が鉄嶺専区に改称。
    • 遼中県が瀋陽市に編入。
    • 台安県が盤錦墾区に編入。
    • 新賓県・清原県が撫順市に編入。

軍事

中国人民解放軍の七大軍区の一である瀋陽軍区司令部所在地である。市内の瀋陽飛機工業集団は、J-15J-16J-31を含む戦闘機を設計・製造している。

軍事機関

瀋陽軍区司令部の所在地。

軍事学校

瀋陽砲兵学院

軍事空港

  • 瀋陽東塔空港
  • 瀋陽於洪全勝空港
  • 瀋陽蘇家屯紅宝山空港
  • 瀋陽北陵空港
  • 新民農用空港

交通

瀋陽の交通は大きく発達している。

国際空港

瀋陽桃仙国際空港
市の東南にある中国東北地方最大の国際空港である。2019年に新しい路面電車ができて、鉄道瀋陽南駅まで約40分、地下鉄2号線渾南の世紀大道駅まで約40分、市内までバスかタクシーで40分から50分。2023年10月10日地下鉄2号線南延伸線が瀋陽桃仙国際空港まで延伸し、直接地下鉄に乗り換えることができるようになった[9]

  日本へ空の便は全日空中国南方航空などが東京大阪名古屋札幌福岡への定期直行便を運航している。

国内定期便
香港マカオを含め国内(中国の範囲内)には30以上の定期便がある。
国際定期便
日本東京/成田大阪/関西名古屋/中部札幌/新千歳福岡
韓国ソウル/仁川釜山大邱光州清州済州
北朝鮮平壌
シンガポールシンガポール
ドイツフランクフルト
タイ:バンコク
カナダバンクーバー
アメリカ:ロサンジェルス
ロシアイルクーツクノヴォシビルスク

鉄道

瀋陽鉄路局の所在地である。瀋陽鉄路局の管理する線路の総括的な延長の長さは約17173km、営業キロは、8809.2 km。長春、瀋陽、錦州、通遼、吉林、通化の6箇所の支局がある。

国内鉄道ハルビン北京天津大連などへと向かう東北地方の主要幹線鉄道5本すべてが経由する。その主要幹線鉄道は、秦瀋旅客専用線哈大旅客専用線瀋丹旅客専用線哈大線瀋大線京哈線瀋丹線瀋吉線 がある。

国際鉄道

北京 - 瀋陽 - 満洲里 - モスクワ
北京 - 瀋陽 - 平壌
近年は瀋陽 - シンガポールの国際列車の建設可能性が研究されている。その計画とは、瀋陽 - 北京 - ハノイベトナム) - ホーチミン・・プノンペンカンボジア) - バンコクタイ) - クアラルンプールマレーシア) - シンガポールと見通られる。 もしその計画が実現すれば、瀋陽の国際影響力がより高まることが期待される。

主な駅には、瀋陽駅瀋陽北駅瀋陽南駅がある。
瀋陽駅
東清鉄道南満洲支線の駅として1899年に開業。1904年に奉天駅に改名、1906年より南満洲鉄道(満鉄)の駅となる。1910年10月1日、新駅舎が建設される。1950年に瀋陽駅の名に定着した。東京駅を模したと言われる駅舎(但し、東京駅の開業は1914年であるので設計書等を流用したものか)の設計は太田毅(1908年)。建築風格は辰野式(建築家・辰野金吾の名前に由来する)。哈大旅客専用線も通る。
瀋陽北駅
市街地北部にあるである。1927年,奉系軍閥張作霖が南満洲鉄道奉天駅と対立するために、京奉鉄道の終点である奉天で、新駅舎が建設され、旧称奉天総駅。1999年、同時東北地方最大の新駅舎が開業。秦瀋旅客専用線哈大旅客専用線が通っている。
瀋陽南駅
瀋陽桃仙国際空港から約8キロ離れ、渾南区にある中国東北部最大のである。主にCRH等の高速鉄道の専用駅となり、哈大旅客専用線瀋丹旅客専用線および建設中の京瀋旅客専用線が通っている。

道路

市街地には中街、青年大街、北陵大街、南京街、黄河大街などがある。中国東北部の大都市、遼寧省の中心都市として古くから道路網が充実しており、普通道路としてはG101国道(西の彰武・朝陽・承徳から北京へ)、G102国道(南西へ錦州から北京、および北へ長春とハルビンへ)、G202国道(北のハルビン、および南の大連へ)、G203国道(北西の松原から綏化へ)、G304国道 (南東の丹東、および西の通遼へ)などが通じている。

最近は高速道路も発達していて、京哈高速道路 (北京およびハルビンへ)、瀋海高速道路瀋大高速道路、大連へ)、丹阜高速道路 (丹東および阜新へ)、瀋吉高速道路 (吉林へ)が完成している。環状道路には、瀋陽環状高速道路があり、その外側の遼中環状高速道路も2018年末に開通している。

地下鉄

  • 2005年11月18日:瀋陽地下鉄(1号線)が正式着工。
  • 2006年11月18日:2号線が正式着工。
  • 2008年の新たな計画(日本中央復建工事コンサルティング株式会社・CFKより)は11本で400km以上となった。
  • 2010年9月27日:1号線十三号街黎明広場間27.8kmが開通。10月から一般向けの運営が始まった。
  • 2011年12月30日:2号線三台子~全運路間21.86kmが開通。
  • 2013年3月22日:9号線10号線が正式着工。
  • 2013年12月30日:2号線航空航天大学~三台子間5.3kmが開通。
  • 2015年11月18日:4号線が正式着工。
  • 2018年4月8日:2号線蒲田路~航空航天大学間5.3kmが開通。
  • 2019年5月25日:9号線が開通。
  • 2020年4月29日:10号線が開通。
  • 2023年9月29日:4号線が開通。
  • 2023年9月29日:2号線全運路~桃仙空港の南延伸線が開通

路面電車

瀋陽桃仙国際空港前の路面電車停留所

渾南区において瀋陽有軌電車が運行されている。一号線(興隆大奥莱~会展中心、全長12km)、二号線(興隆大奥莱~桃仙飛行場、14.8 km)、三号線(世紀大廈~会展中心、11.3 km)、四号線(世紀大廈~瀋陽南駅)、五号線(奥体中心~瀋撫新城、21.4 km)、六号線(瀋陽南駅桃仙飛行場)の6路線である[10][11]。 2013年8月31日に開幕した第12回全運に併せて、8月15日から乗客を乗せる無料の試運行を開始[12][13]、10月8日から有料での正式運行を開始する[14]

経済

工業が盛んであり、市の郊外には多くの重化学工場が立ち並んでいる。瀋陽市内のみならずその近隣都市圏は撫順石炭鞍山鉄鉱石、やや遠いながら黒竜江省大慶市油田などの豊富な資源を生かした一大コンビナートであり、20世紀後半の中国を工業面で支えた。この中には、戦闘機生産(瀋陽飛機工業集団)、自動車関連(華晨汽車=自社ブランドとドイツBMWミシュラン)などもある。

しかし近年外資を導入した長江デルタ珠江デルタ地域の経済発展に比べ、瀋陽を始めとする満洲は取り残された感が否めない。このため中国政府は東北振興を旗印に東北開発を重点的に支援しており、瀋陽も近代都市に変貌しつつある。中国最大のソフトウェア開発ITサービス会社(東軟グループ)も本社を置いている。2003年の全市生産総額 (GDP) は1,602億人民元で、全省の4分の1を占める。

瀋陽に本社を置く最大の銀行盛京銀行(もと瀋陽市商業銀行)である。

外交

在瀋陽総領事館は8カ国が設置している。その総領事館は、相関法律の規則により、管轄する範囲が中華人民共和国遼寧省吉林省および黒竜江省である。

在瀋陽総領事館

観光

九・一八歴史博物館
世界文化遺産。後金の皇居で、の入関後の離宮。
世界文化遺産。後金の2代目皇帝ホンタイジの陵墓。
世界文化遺産。後金の建国者で初代皇帝ヌルハチの陵墓。
瀋陽の歴史ある繁華街で、歩行者空間になっている。老辺餃子館中華老字号)など。
7200年前の定住集落遺跡。
張作霖張学良ら張氏軍閥の官邸および私邸。
満洲事変の発端となった柳条湖事件の現場近くに建設された博物館。
市街地南部にある高さ305.5mのテレビ塔。
2008年北京オリンピックのサッカー予選がここで開催された。
東郊外に瀋陽植物園・瀋陽世博会公園(2006中国瀋陽世界園芸博覧会の会場で、ヌルハチサルフの戦いの実演もある)、棋盤山、秀湖、別荘地帯など。

[1] 中山広場の歴史的建築物[2] 歴史的建築物[3] 遼寧賓館

スポーツ

スタジアム

教育

出身有名人

市長

各時代によって市政府の編成や名称が異なるが、ここでは奉天市政公所(1923年8月1日最初成立)、瀋陽市政府(1929年4月2日改名)、奉天市政府(1931年9月20日改名)と瀋陽市人民政府(1948年11月2日成立)の歴任市長を列挙する。

中華民国時代

奉天市時代

中華民国時代(第二次世界大戦後)

  • 白希清(1945年10月 - 1947年
  • 董文琦(1947年 - 1948年
  • 金鎮(1948年)
  • 朱其文(1948年11月 - 1949年9月)

中華人民共和国時代

姉妹都市

関連項目

参考文献

脚注

外部リンク