マラガCF

スペインのサッカークラブ
CDマラガから転送)

マラガ・クルブ・デ・フトボルスペイン語: Málaga Club de Fútbolスペイン語発音: [ˈmalaɣa ˈkluβ ðe ˈfuðβol])は、スペインマラガに本拠地を置くプロサッカークラブ。2023-24シーズンはプリメーラ・ディビシオンRFEF(3部)に所属している。アンダルシア州で最も歴史あるクラブのひとつである。

マラガCF
原語表記Málaga Club de Fútbol, S.A.D.
愛称Los Boqueronesアンチョビ
クラブカラー    空色
   
創設年1904年
所属リーグプリメーラ・ディビシオンRFEF
所属ディビジョン3部(2023-24)
ホームタウンアンダルシア州マラガ県マラガ
ホームスタジアム
ラ・ロサレーダ
収容人数30,044[1]
代表者スペインの旗 ホセ・マリア・ムニョス
監督スペインの旗 セルヒオ・ペリセル英語版
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史

1992年のチーム交替

1948年5月25日、CDマラガはジュニアクラブのCDサント・トマスを引き継ぐ形でリザーブチームを立ち上げた。CDマラガは1933年にCAマラゲーニョ(Club Atlético Malagueño)を含むマラガの2つのクラブが合併して結成されているが、リザーブチームはこの際に消滅したCAマラゲーニョという名称を譲り受けた。1959-60シーズン、リザーブチームのCAマラゲーニョとトップチームのCDマラガはともにテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)に在籍することになったが、前者は本来ならばリーグ規定により降格するはずであった。これを回避するために、彼らは母体となるクラブから分割され、リザーブチームではなく独立したひとつのクラブとしてスペインサッカー連盟(RSFF)に登録された。

1992年、CDマラガは財政難により解散し、リザーブチームのCAマラゲーニョがCDマラガのリーグ参戦資格を譲り受けて存続した。1992-93シーズンの彼らはテルセーラ・ディビシオン(現4部相当)のグループ9に参戦して成功を収め、セグンダ・ディビシオンB(3部相当)昇格を果たした。しかし、翌シーズンには再びテルセーラに降格となり、さらに財政難に直面して活動停止の危機に追い込まれた。1993年12月19日、クラブのメンバー間の投票によってクラブ名称の変更が選択された。1994年6月29日、CAマラゲーニョはマラガCF(Málaga Club de Fútbol S.A.D.)に改名し、かつてCDマラガと呼ばれていたクラブが公式に前身クラブとなった。また、1990年にCAマラゲーニョのリザーブチームとしてSDマラシターナ(Sociedad Deportiva Malacitana)が設立され、トップチームのマラガCFへの改名と同時にマラガCF Bとなった。なお、2009年からはトップチームの旧称であるCAマラゲーニョを名乗っている。

2000年代初頭の台頭

2000年代初頭のマラガは有望な若手とトップレベルの選手たちを抱えており、より近代的で先進的なスタジアムの所有を誇っていた。UEFAチャンピオンズリーグ出場権には届かなかったが、大きな支持を集めたホアキン・ペイロ監督の下で常に成功を収めた。2002年にはUEFAインタートトカップに出場し、KAAヘント(ベルギー)、ヴィレムII(オランダ)、躍進中のビジャレアルCF(スペイン)を破り、クラブ史上初となる国際大会でのトロフィーを獲得した。2002-03シーズンのUEFAカップではFKジェリェズニチャル・サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、AEKアテネFC(ギリシャ)などを撃破し、準々決勝でボアヴィスタFC(ポルトガル)にPK戦の末に敗れたものの、大会前の期待以上のベスト8という成功を収めた。ペイロ監督の引退後にはチームの解体が緩やかに始まり、ダリオ・シルバキキ・ムサンパフリオ・デリー・バルデスペドロ・コントレラスなどがクラブを去った。2003年夏にはファンデ・ラモス監督が就任した。2003-04シーズンのホームでのFCバルセロナ戦ではサルバがハットトリックを達成するなどし、クラブ史上最高の5-1というスコアでカタルーニャの巨人を粉砕した。また、テルセーラ・ディビシオンに所属していたBチームが2002年にはセグンダB、2003年にセグンダ・ディビシオンと立て続けに昇格を果たしその後3シーズンをセグンダで戦った。

緩やかな後退と財政難

2004年夏にはファンデ・ラモス監督が就任からわずか1シーズンでセビージャFCに去り、グレゴリオ・マンサーノ監督が就任した。経営難によって主力のホセミやサルバを放出せざるを得ず、新戦力のマルシオ・アモローゾパウロ・ワンチョペは使い物にならなかった。10節からの9試合で8敗を喫して降格圏に沈んでいたクラブを救ったのはアントニオ・タピア監督だった。マンサーノ監督からチームを引き継ぐとカンテラ(下部組織)からセサル・ナバスを引き上げ、最終ラインに安定感をもたらした。若手のフアン・ロドリゲスや新戦力のフェルナンド・バイアーノらの攻撃陣を積極的に起用し、最終的に10位に食い込んでみせた。2005年夏にはサルバを買い戻し、ウルグアイ代表リカルド・モラレスを獲得したが、主力の大量放出の穴は埋まらなかった。2005-06シーズンは開幕から黒星を積み重ね、わずか勝ち点24しか挙げられずに最下位でシーズンを終えてセグンダ降格となった。また、セグンダに所属していたBチームも同シーズンは21位に終わり、トップチームの降格とは無関係にセグンダBに降格となった。Bチームは翌シーズンもさらに降格で元のテルセーラに戻ってしまい、その後も度々昇格プレーオフに顔を出しながらいまだ再昇格には至っていない。

2006年、かつてレアル・マドリードの会長を務めたロレンソ・サンスがクラブの株式の97%を取得し、かつて選手としてキャプテンを務めたロレンソの息子フェルナンド・サンスが会長に就任した。2006-07シーズンは良いスタートを切ったが、彼らの調子は劇的に落ち込んだ。ラスト6節のうち2節はセグンダB降格圏に沈んだが、この困難な状況を何とか打開し、セグンダ降格初年度を乗り切って残留を果たした。2007-08シーズンも7連勝するなどしてスタートダッシュを決め、昇格への軌道に乗っているように思われたが、やはり調子を崩し、首位の座をCDヌマンシアに奪われた。最終節はホームでのCDテネリフェ戦であり、プリメーラ昇格を決定づけるには勝利が必要であったが、アントニオ・イダルゴの2得点で2-1と勝利して2位の座を守り、3シーズンぶりのプリメーラ復帰を決めた。

2008年夏にはタピア監督を復帰させ、プリメーラ昇格に貢献したDFヘスス・ガメスやMFアポーニョを引き留めつつ、以前に所属経験のあるMFセルジオ・ドゥダ、FWアルベルト・ルケなどを獲得。2008-09シーズン開幕から4試合は無得点で1分3敗と苦戦したが、5節のバリャドリード戦で初勝利を挙げると、8節のアウェーでのセビージャ戦まで4連勝し、その後は安定して一桁順位をキープした。A・ルケは途中出場が多いながらも8得点と復活し、ドゥダはチームトップの8アシストを決めるなど、シーズン前に補強した選手が期待に応えた。プリメーラ初挑戦のアポーニョとFWナビル・バハはそれぞれ9得点を挙げ、55得点はリーグ6位の成績だった。最終的に8位でシーズンを終え、昇格組として最高の成績を残した。2009年にアンダルシア州のセビージャウエルバヘレス・デ・ラ・フロンテーラマラガを開催地として行われたピース・カップでは、アストン・ヴィラFC(イングランド)に勝利したが、アトランテFC(メキシコ)に敗れ、グループリーグ最下位に終わった。2009-10シーズンのリーグ戦は前シーズンと一転して17位と苦戦した。

アル=タニの到着

2010年6月11日、カタール王室の一員でもあるシェイク・アブドゥラ・ビン・ナッサル・アル=タニが、3600万ユーロ(約39億8000円)と報じられる金額でF・サンス会長からクラブを買収した[2]。7月28日、アル=タニはクラブの会長に就任した[3][4]FCポルトなどを率いた経験のあるジェズアウド・フェレイラ監督が登用されたが、低迷が続いたために2010-11シーズン途中で解任された。ビジャレアルCFレアル・マドリードを率いた経験があるマヌエル・ペジェグリーニ監督が後任監督に就任し、2011年1月にエンツォ・マレスカマルティン・デミチェリスジュリオ・バチスタなどを獲得すると、シーズン終盤戦に一気に順位を上げて11位でシーズンを終えた[2]。2011年夏にはマラガ出身であるフェルナンド・イエロをGMとして招聘し、11人の選手を放出するとともに、ルート・ファン・ニステルローイヨリス・マタイセンジェレミー・トゥラランサンティ・カソルラホアキン・サンチェスなど、確かな実力のあるベテランを中心に補強を施した。ペジェグリーニが初めてフルシーズン指揮した2011-12シーズンは、カソルラの大活躍もあってリーグ4位となり、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

一方でオーナーを筆頭とする経営陣の怠慢な資金繰りによる給与や移籍金の未払いが2012年頃より表面化し始め、2011-12シーズン終了後には主力であったカソルラをアーセナルFCへ売却した。2012-13シーズンの戦力低下は不可避であったが、それでもホアキンや新加入のハビエル・サビオラらベテラン勢の活躍やペジェグリーニの戦術の浸透もあり、CLではプレーオフを勝ち抜くだけでなくACミランFCゼニト・サンクトペテルブルクなどを抑えグループリーグを首位突破した。しかしながら資金難が改善されることはなく、UEFAによって今後4シーズンの欧州カップ戦参加禁止の処分が下されることとなった。

2013年夏にはイスコをレアル・マドリード[5]、ホアキンをフィオレンティーナ、ジェレミー・トゥラランをモナコへ売却し[6]、監督もベルント・シュスターが後任に就任した[7]

2部降格とアル=タニ独裁の終焉

2017-18シーズン、プリメーラ残留に向けて夏の移籍市場では12人、冬には8人もの選手を補強したが、いずれも実ることはなく、開幕5連敗を喫するなど、不安定なスタートとなった。1月中旬のヘタフェCF戦に敗れ、降格圏の19位に転落すると、監督のミチェルを解任し、後任にホセ・ゴンサレスを据えた。しかし、状況は改善されるどころか就任後リーグ戦7連敗など悪化の一途をたどり、後半戦は20位から一度も抜え出すことなく、11シーズンぶりのセグンダ降格が決定した。降格の要因には、サンドロ・ラミレスに代わるエース候補とされたボルハ・バストンの不調、カタール人オーナーのアル=タニによるワンマン経営などがあった。降格後も杜撰な経営が続き、2019-20シーズンにはレスター・シティからフリーで加入した岡崎慎司やレンタル先から復帰したホセ・ロドリゲスがサラリーキャップの問題で選手登録が開幕に間に合わない事態となった。クラブは抗議したものの岡崎はわずか1ヶ月で退団(その後同じスペインのウエスカに加入)、ロドリゲスはフエンラブラダにレンタル移籍となった。2020年2月19日、アル=タニはクラブの資金を私的に利用した横領などの容疑で一時的に解任され、後任には裁判所が指名したホセ・マリア・ムニョスが就任した[8]

26シーズンぶりの3部降格

クラブの不祥事発覚以降も財政難は解消されることなく、成績は低迷。2021-22シーズンはリーグ成績18位と辛うじて降格を免れるも、その翌年の2022-23シーズンはシーズン中に3度も監督を交代しつつ、最終的に20位でプリメーラ・ディビシオンRFEFに降格することとなった。マラガが3部リーグに降格するのは1997-98シーズン以来、26シーズンぶりのことであった[9]

対外関係

東アンダルシア・ダービー

同じアンダルシア州内に本拠地を置くグラナダCFとライバル関係にあり、彼らとの対戦は東アンダルシア・ダービー(デルビ・オリエンタル、デルビ・アンダルス)と呼ばれる。プリメーラ・ディビシオン(1部)での対戦成績は互角であるが、通算対戦成績ではグラナダCFが優位である。

トロフェオ・コスタ・デル・ソル

1961年から1983年までプレシーズンにトロフェオ・コスタ・デル・ソルというトーナメント大会を組織していた。当時のCDマラガは決勝でレアル・マドリードレッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア)、ダービー・カウンティFC(イングランド)を破って3回優勝している。この大会は2003年に復活し、マラガCFは決勝でニューカッスル・ユナイテッドFC(イングランド)、レアル・ベティスパルマFC(イタリア)を破って3回優勝している。マラガCFのトロフィールームには、CDマラガ時代の3個も含めて計6個のトロフィーが飾られている。

スポンサー

2009年8月27日、イギリスのブックメーカーであるウィリアムヒルと3年契約を結んだと発表し、ウィリアムヒルがユニフォームの胸スポンサーとなった[10]。しかし、イスラーム教徒である新オーナーが宗教上の理由から契約を履行することを拒否したため、この契約は2010年9月17日に打ち切られ、2011年6月に国連教育科学文化機関(UNESCO)が新スポンサーとなった。

提携クラブ

以下のクラブはマラガCFと提携関係にある。

タイトル

CDマラガ時代

国内タイトル

1987-88
1951–52, 1966–67
  • トロフェオ・コスタ・デル・ソル : 3回
1963, 1971, 1974

マラガCF時代

国内タイトル

1998-99
1997-98
  • トロフェオ・コスタ・デル・ソル : 5回
2005, 2008, 2010, 2011, 2012

国際タイトル

2002

合計

国内タイトル

1987-88, 1998-99
1951–52, 1966–67
1997-98
  • トロフェオ・コスタ・デル・ソル : 8回
1963, 1971, 1974, 2005, 2008, 2010, 2011, 2012

国際タイトル

2002

成績

近年の成績

シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ備考
2013–14プリメーラ11位3812917394645ベスト32
2014–159位3814816424850準々決勝敗退
2015-168位38121214383548ベスト32
2016-1711位38121016495546ベスト32
2017-1820位385528246120ベスト32降格
2018-19セグンダ3位422111105131742回戦敗退
2019-2014位421120113533531回戦敗退
2020-21 12位42141117374753ベスト32
2021-22 18位421112193657452回戦敗退
2022-23 20位421014183744442回戦敗退降格
2023-24プリメーラRFEF

過去の成績

FCマラゲーニョとして
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1929/30テルセーラ2位
1930/31テルセーラ2位
1931/32テルセーラ3位
1932/33テルセーラ1位
CDマラシターノとして
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1933/34テルセーラ3位
1934/35セグンダ5位5回戦敗退
1935/36セグンダ5位3回戦敗退
1939/40セグンダ3位1回戦敗退
1940/41セグンダ5位3回戦敗退
CDマラガとして
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1941/42セグンダ4位ベスト32
1942/43セグンダ5位ベスト32
1943/44テルセーラ1位
1944/45テルセーラ2位
1945/46テルセーラ1位
1946/47セグンダ9位ベスト16
1947/48セグンダ4位6回戦敗退
1948/49セグンダ2位5回戦敗退
1949/50プリメーラ12位ベスト16
1950/51プリメーラ13位
1951/52セグンダ1位準々決勝敗退
1952/53プリメーラ15位
1953/54セグンダ3位
1954/55プリメーラ16位
1955/56セグンダ11位
1956/57セグンダ5位
1957/58セグンダ14位
1958/59セグンダ15位1回戦敗退
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1959/60テルセーラ1位
1960/61セグンダ12位1回戦敗退
1961/62セグンダ2位ベスト16
1962/63プリメーラ16位準々決勝敗退
1963/64セグンダ9位ベスト32
1964/65セグンダ2位1回戦敗退
1965/66プリメーラ13位ベスト16
1966/67セグンダ1位ベスト32
1967/68プリメーラ10位ベスト16
1968/69プリメーラ14位準々決勝敗退
1969/70セグンダ2位ベスト32
1970/71プリメーラ9位準々決勝敗退
1971/72プリメーラ7位5回戦敗退
1972/73プリメーラ10位準決勝敗退
1973/74プリメーラ7位5回戦敗退
1974/75プリメーラ16位ベスト16
1975/76セグンダ3位ベスト16
1976/77プリメーラ18位3回戦敗退
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1977/78セグンダ13位3回戦敗退
1978/79セグンダ2位4回戦敗退
1979/80プリメーラ18位4回戦敗退
1980/81セグンダ6位2回戦敗退
1981/82セグンダ3位ベスト16
1982/83プリメーラ10位4回戦敗退
1983/84プリメーラ9位4回戦敗退
1984/85プリメーラ16位3回戦敗退
1985/86セグンダ11位4回戦敗退
1986/87セグンダ6位3回戦敗退
1987/88セグンダ1位4回戦敗退
1988/89プリメーラ16位ベスト32
1989/90プリメーラ17位ベスト16
1990/91セグンダ4位5回戦敗退
1991/92セグンダ18位5回戦敗退
(CDマラガのリザーブチームとしての)CAマラゲーニョ
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1948/49地域リーグ
1949/50地域リーグ
1950/51テルセーラ12位
1951/52テルセーラ14位
1952/53テルセーラ16位
1953/54テルセーラ15位
1954/55テルセーラ7位
1955/56テルセーラ11位
1956/57テルセーラ12位
1957/58テルセーラ7位
1958/59テルセーラ5位
1959/60テルセーラ6位
1960/61テルセーラ7位
1961/62テルセーラ4位
1962/63テルセーラ2位
1963/64テルセーラ1位
1964/65テルセーラ4位
1965/66テルセーラ4位
1966/67テルセーラ5位
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1967/68テルセーラ8位
1968/69テルセーラ12位
1969/70地域リーグ
1970/71テルセーラ13位1回戦敗退
1971/72テルセーラ11位3回戦敗退
1972/73テルセーラ19位1回戦敗退
1973/74地域リーグ
1974/75地域リーグ
1975/76地域リーグ
1976/77地域リーグ
1977/78テルセーラ14位
1978/79テルセーラ12位1回戦敗退
1979/80テルセーラ11位2回戦敗退
1980/81テルセーラ15位
1981/82テルセーラ4位
1982/83テルセーラ12位1回戦敗退
1983/84テルセーラ6位
1984/85テルセーラ4位1回戦敗退
1985/86テルセーラ5位1回戦敗退
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1986/87テルセーラ9位2回戦敗退
1987/88テルセーラ2位
1988/89テルセーラ3位
1989/90テルセーラ5位
1990/91テルセーラ6位
1991/92テルセーラ4位
(独立したクラブとしての)CAマラゲーニョ
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1992/93テルセーラ1位1回戦敗退
1993/94セグンダB18位1回戦敗退
マラガCFとして
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1994/95テルセーラ1位1回戦敗退
1995/96セグンダB5位1回戦敗退
1996/97セグンダB5位2回戦敗退
1997/98セグンダB1位
1998/99セグンダ1位3回戦敗退
1999/00プリメーラ12位2回戦敗退
2000/01プリメーラ8位2回戦敗退
2001/02プリメーラ10位ベスト32
2002/03プリメーラ13位ベスト32
2003/04プリメーラ10位ベスト16
2004/05プリメーラ10位ベスト32
2005/06プリメーラ20位3回戦敗退
2006/07セグンダ15位ベスト16
2007/08セグンダ2位ベスト32
2008/09プリメーラ8位ベスト32
2009/10プリメーラ17位ベスト16
2010/11プリメーラ11位ベスト16
2011/12プリメーラ4位ベスト16
2012/13プリメーラ6位準々決勝敗退
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
2013/14プリメーラ11位ベスト32
2014/15プリメーラ9位準々決勝敗退
2015/16プリメーラ8位ベスト32
2016/17プリメーラ11位ベスト32
2017/18プリメーラ20位ベスト32
2018/19セグンダ3位2回戦敗退
2019/20セグンダ14位1回戦敗退
2020/21セグンダ12位ベスト32
2021/22セグンダ18位2回戦敗退
2022/23セグンダ20位2回戦敗退
2023/24プリメーラRFEF

CDマラガとして
20シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
31シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
9シーズン - テルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)
マラガCFとして
17シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
7シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
1シーズン - プリメーラ・ディビシオンRFEF (現3部相当)
4シーズン - セグンダ・ディビシオンB(旧3部相当)
2シーズン - テルセーラ・ディビシオン(当時3部相当、旧4部)
合計
37シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
38シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
1シーズン - プリメーラ・ディビシオンRFEF (現3部相当)
4シーズン - セグンダ・ディビシオンB(旧3部相当)
11シーズン - テルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)

現所属メンバー

2022年3月31日現在[14]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK ダニ・バリオ
2DF ビクトル・ゴメス
3DF ハビ・ヒメネス
4DF ダビド・ロンバン (主将)
5DF フアンデ
6MF ラモン
7MF パウリーノ・デ・ラ・フエンテ
8MF ルイス・ムニョス (副主将)
9FW ブランドン・トーマス ( )
10MF ハイロ・サンペリオ
11FW ヒシャム ★
12FW パブロ・チャバリア ( )
13GK ダニ・マルティン
14MF アレイシュ・フェバス
15FW アントニン
16DF ヘナロ・ロドリゲス
17DF マテュー・ペイベルン
18MF アルバロ・バディージョ
No.Pos. 選手名
19MF ホセベド
20DF イスマエル・カサス (第4主将)
21FW アドリアン・ロペス
22FW セク・ガッサマ ★
23DF アルベルト・エスカシ (第3主将)
24DF ブライアン・クフレ
26MF イスマエル・グティエレス
28DF アレハンドロ・ベニテス
29FW ロレン・スニガ
30MF アルベルト・キンタナ
31DF アンドレス
32FW フリオ
33MF ダビド・ラルビア
34MF ハイタム・アバイダ ( )
37MF ケビン
39MF ロベルト・フェルナンデス
41DF ムサ・ディアラ
42MF ダニ・ロレンソ

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。

監督
  • パブロ・ゲーデ

リザーブチーム

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
27GK ダニエル・ストリンホルム
36GK アントニオ・サントス
No.Pos. 選手名
38DF ビラル・ウアシャラフ

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
2DF ビクトル・ゴメス (エスパニョール)
13GK ダニ・マルティン (ベティス)
14MF アレイシュ・フェバス (マジョルカ)
15FW アントニン (グラナダ)
No.Pos. 選手名
18MF アルバロ・バディージョ (エスパニョール)
22FW セク・ガッサマ (バジャドリード)
24DF ブライアン・クフレ (マジョルカ)
26MF イスマエル・グティエレス (アトレティコ・マドリード)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--GK ゴンサロ (バダホス)
--DF イバン・カレロ (アルコルコン)
No.Pos. 選手名
--DF クリスト・ロメロ (レアル・ソシエダB)

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

外部リンク