サッカーアイルランド共和国代表

アイルランドの男子サッカーナショナルチーム

サッカーアイルランド共和国代表(サッカーアイルランドきょうわこくだいひょう、: Republic of Ireland national football team: Foireann sacair náisiúnta Phoblacht na hÉireann)は、フットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド(FAI)によって構成される、アイルランドサッカーナショナルチームである。

サッカーアイルランド共和国代表
国または地域アイルランドの旗 アイルランド
協会フットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド
愛称The Boys in Green
監督アイルランドの旗 スティーヴン・ケニー英語版
最多出場選手ロビー・キーン(146試合)
最多得点選手ロビー・キーン(68得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合1926年3月21日イタリア
0-3
最大差勝利試合1983年11月16日マルタ
8-0
最大差敗戦試合1982年3月27日ブラジル
0-7
FIFAワールドカップ
出場回数3回(初出場は1990
最高成績ベスト8 (1990)
UEFA欧州選手権
出場回数3回
最高成績ベスト16 (2016)

一般的には「サッカーアイルランド代表」と呼称されるが、1922年アイルランド自由国が成立する以前のアイルランド全域を代表したナショナルチームのアイルランド代表、およびその後継であるサッカー北アイルランド代表と区別するため、ここでは「en:Republic of Ireland national football team」に倣って項目名を『サッカーアイルランド共和国代表』とする。

概要

アビバ・スタジアム

ユニフォームの色は緑。国旗の色であり、アイルランドにキリスト教を伝えた聖パトリック三位一体を説いたときに使用したシャムロックの色である。このシャムロックはアイルランド代表のシンボルになっている。また、ホームゲームは原則としてダブリンにあるアビバ・スタジアム(旧名ランズダウン・ロード)で開催している。なお、ランズダウン・ロードが改修中の時期は、ゲーリック体育協会が所有するクローク・パークを一時的に使用していた。

選手の選考

アイルランドは小国であり、または有望な選手が少年期よりイングランドスコットランドのチームのユースにスカウトされて海外に渡ってしまうため、代表選手には国内でプレーする選手がほとんどいない。国内リーグの規模や予算も小さなもので、トップの数チームを除けばセミプロ状態のチーム・選手がほとんどである。なお、ほとんどの代表選手は国内リーグを経ずに直接イングランドのプレミアリーグおよびその下部組織から選手生活を始める。いずれにせよ、何人かの代表選手はイングランド生まれ、イングランド育ちの選手ではあるが、アイルランド系の選手を積極的に発掘するという方針により、多くのイギリス国籍の選手がアイルランド代表に招集されている。

2002年日韓W杯の直前キャンプにおけるチーム内部の衝突の原因の一つも、アイルランド系イギリス人である監督のミック・マッカーシーとその出自に不満を抱くアイルランド生まれ・アイルランド育ちでもある主将のロイ・キーンとの対立であった(サイパン事件)。国内リーグの人気は低く、ほとんどのアイルランド人は隣国のプレミアリーグ(中でもアイルランドとのつながりが強いリヴァプールFCマンチェスター・ユナイテッドFC)、およびスコットランドのケルト系チームであるセルティックFCに熱狂している。

サポーター

W杯や欧州選手権などでのアイルランドサポーターの多さは有名である。アイルランドは人口500万人程度の小国にもかかわらず、地元での試合ばかりか敵地や中立地での試合にも多くのサポーターが観戦に訪れる。二三四拍子での「アイルランドコール」や、好プレーには大きな拍手を送るなど、アイルランドサポーターの応援スタイルは隣国のイングランドとほぼ同じといっていい。つまり、暴力沙汰を起こす事はなく他国サポーターにも非常に友好的なため、各方面で絶賛される事が多い[1]

歴史

代表チームの誕生

現在、アイルランドに相当するアイルランド26県が英愛条約によってアイルランド自由国としてイギリスから分離したのは1922年である。それ以前はアイルランド全島で、統一された協会アイリッシュ・フットボール・アソシエーション(IFA)と「アイルランド代表」を有していた。しかし、アイルランド26県がイギリスから分離したため、これらの地域では英愛条約締結後の1921年にアイリッシュ・フットボール・アソシエーションから分離したサッカー協会が設立された。これがフットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド(FAI)である。

一方でアイリッシュ・フットボール・アソシエーションはイギリスに残ったアルスター6県で存続したため、それまでの協会とその協会によって編成されていた「アイルランド代表」の経歴はIFAと、「北アイルランド代表」と呼称されることになったナショナルチームに継承されることになった。

アイルランド自由国では独立後も、条約容認派と反対派によってアイルランド内戦が引き起こされ情勢が安定しなかった。国内情勢が影響したことから国際試合の開催は遅れに遅れ、1926年3月21日に初めての国際試合がダブリンで開催された。相手はイタリアでこの試合でアイルランド自由国代表は0-3で敗れたが、これが新興国家アイルランド自由国代表の第一歩であった。

国際大会への挑戦

その後アイルランド自由国は1937年に「エール」、1949年にはイギリス連邦から完全に独立して「アイルランド共和国」に国名を変更した。この間絶え間なく国際大会への挑戦が続いていたが、ことごとく退けられていた。

W杯1990年イタリア大会で本大会初出場を決め、ベスト8入りを果たした。1994年アメリカ大会でもベスト16入り。1998年・フランス大会では予選プレーオフベルギーに敗れ、3大会連続本大会出場はならなかったものの、2002年・日韓共催大会予選ポルトガルオランダと同じグループという激戦区の中、オランダを蹴落としてグループ2位となりプレーオフに回る。プレーオフではアジア予選第3位[2]イランと対戦し、1勝1敗ながら総得点で上回り[3]2大会ぶりの本大会出場権獲得。本大会のグループリーグではドイツカメルーンという、またしても激戦区を突破。決勝トーナメント一回戦ではスペインと対戦、1-1で延長戦でも決着せずPK戦にまでもつれたが2-3で敗退した。2006年・ドイツ大会の予選では、フランススイスなどと同組になり、イスラエルの躍進で激戦区となった。結果、2位とは勝ち点1差の4位で敗退した。

2010年・南アフリカ大会の予選では、前回優勝国のイタリアと2試合とも引き分けるなど健闘し、グループ2位でプレーオフへ回った。そのプレーオフではフランスと対戦したが、1勝1敗に終わる。総得点数ならびにアウェーゴール数も並んだため延長戦にもつれ込んだが、その延長前半に相手の「決勝ゴール」を許し、2大会ぶりの本大会出場を逃した。だが、その「決勝ゴール」はフランスFWティエリ・アンリの左手に当たってのアシストによるものだったことが確認されており、これが物議となった[4]。その後2014年大会2018年大会2022年大会はともに欧州予選で敗退している。

UEFA EURO(欧州選手権)は1988年・西ドイツ大会で初出場し、グループステージ最終戦で引分以上なら準決勝進出だったが優勝したオランダを相手に0-1で敗れ、敗退した。以降、5大会続けて予選敗退となったが、2012年ウクライナ・ポーランド共催大会で6大会ぶりに本大会出場権を獲得した。しかし、本大会では3連敗でグループリーグ敗退となった。2016年フランス大会も2大会連続で本大会に出場し、初めてグループリーグを突破したもののベスト16でフランスに敗れた。

成績

FIFAワールドカップ

開催国 / 年成績
1930不参加
1934予選敗退
1938
1950
1954
1958
1962
1966
1970
1974
1978
1982
1986
1990ベスト8504123
1994ベスト16411224
1998予選敗退
2002ベスト16413063
2006予選敗退
2010
2014
2018
2022
合計 出場3回132831010

UEFA欧州選手権

UEFA欧州選手権UEFA欧州選手権・予選
開催国/年結果試合勝利引分敗戦得点失点試合勝利引分敗戦得点失点
1960予選敗退210124
19646222912
1968621358
19726015317
19766312115
1980823398
198484132010
1988グループリーグ敗退3111228431105
1992予選敗退6240136
1996115241713
200010532157
200483231011
2008124531714
2012グループリーグ敗退30031912741208
2016ベスト1641123612642228
2021予選敗退935176
合計3/1610226617129524136189141

歴代監督

歴代選手

主要大会のメンバー

主な代表選手

歴代記録

得点数ランキング

2022年9月27日[5]現在
  水色は現役代表選手
選手得点数試合数期間
1ロビー・キーン681461998-2016
2ナイアル・クイン21911986-2002
3フランク・ステープルトン20711976-1990
4ドン・ギヴンズ英語版19561969-1981
トニー・カスカリーノ19881985-1999
ジョン・オルドリッジ19691986-1996
7シェーン・ロング17882007-
8ノエル・キャントウェル英語版14361954-1967
ケヴィン・ドイル14622006-2017
ジョン・ウォルターズ14542010-2018

脚注

関連項目

外部リンク

🔥 Top keywords: メインページ宮崎麗果特別:検索豊後水道松本忠久土居志央梨若葉竜也能登半島地震 (2024年)田中雄士長谷部誠井上道義The GazettE若林志穂服部百音黒木啓司REITA虎に翼平井理央出口夏希サーブ (盲導犬)三鷹事件セウォル号沈没事故白眞勲三淵嘉子高橋克也 (オウム真理教)ME:Iルーシー・ブラックマン事件佐藤ありさ杉咲花蜜谷浩弥水野真紀亀井亜紀子 (政治家)熊本地震 (2016年)水原一平井川意高中川安奈 (アナウンサー)内藤剛志いなば食品YOSHIKI