ジロ・デ・イタリア

ジロ・デ・イタリア: Giro d'Italia)は、毎年5月にイタリア全土を舞台にして行われるプロ自転車ロードレース1909年から開催されている。主催はイタリアのスポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルト』等を発行するメディアグループ・RCSの関連会社であるRCSスポルト社。

ジロ・デ・イタリア
概要
開催時期5月上旬-5月下旬
(23日間、年によって6月にまたがる)
開催地域イタリアの旗 イタリア
地域名Giro d'Italia (イタリア語)
愛称ジロ
分野ロードレース
カテゴリーUCIワールドツアー
グランツール
形態ステージレース
主催者RCSスポルト
歴史
初回開催年1909年
開催回数106回(2023年)
初代優勝者イタリアの旗 ルイジ・ガンナ
最多優勝者5回:
イタリアの旗 アルフレッド・ビンダ
イタリアの旗 ファウスト・コッピ
ベルギーの旗 エディ・メルクス
直近優勝者スロベニアの旗 プリモシュ・ログリッチ(2023年)
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Giro d'Italia のイタリア語での発音は「ジーロ・ディターリア」である。「ジロ・デ・イタリア」という表記は日本独特なものだが、最近は日本でもイタリア語が知られるようになったため、イタリア語の発音を基にした「ジーロ・ディターリア」や、「ジロ・ディ・イタリア」という表記も見られるようになってきた[1]。通称は「ジロ」。

概要

2008年のコース

毎年5月に約3週間かけて行われるステージレースで、コースは毎年新たに設定される。「イタリアを一周する」という表現がされることもあるが各ステージは地理的には連続していないことも多く、サルデーニャ島シチリア島など島でのステージもある。ステージ数は通常21。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ(個人、チーム)と多彩なステージ設定がされている。

総合成績1位の選手にはピンク色のジャージ「マリア・ローザ」が与えられるほかスプリント賞、山岳賞、新人賞といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。

賞金総額は年によって上下するが、2004年の場合で約133万ユーロ。配分は各ステージ25位までの勝者に支払われる金額が合計47万4000ユーロ。総合優勝者15万ユーロやインテルジロ賞13万ユーロなど各賞の合計が62万3000ユーロ。チームへの賞金が合計23万3000ユーロとなっている。

特徴

厳しい坂が続くステルビオ峠

ツール・ド・フランスに比べ勾配の厳しい坂を登る山岳ステージが多いため[2]、上りを得意とするクライマーが活躍する機会が多い。1990年クラウディオ・キアプッチ1995年トニー・ロミンゲル1998年マリアーノ・ピッコリ2003年ジルベルト・シモーニ2009年ダニーロ・ディルーカ2010年カデル・エヴァンスのように厳しい山岳コースが設定された年は山岳賞はおろかポイント賞すらクライマーやオールラウンダーが獲得してしまうこともあるが、これは2013年まではツール・ド・フランスとは異なり山岳ステージも平坦なステージも同じポイントが設定されていたためでもある。また平坦ステージであってもゴール直前だけ上り坂であったり、ゴールまで1kmを切ったところに急カーブが登場するなど危険かつ癖のあるコースレイアウトがしばしば採用される。

また5月はドロミーティを始めとしたアルプス山脈及びアペニン山脈にはまだ雪の残っている場所もあり、選手は坂だけでなく厳しい寒さや悪天候とも戦うことになる[3]。そのためイタリア人からは「ツール・ド・フランスが世界最大のレースなら、ジロ・デ・イタリアは世界最高のレース」と評される。

イタリア人選手の多くがこのレースをシーズン中の最大目標としており、歴代優勝者に占めるイタリア人の割合も圧倒的に多い。イタリア以外の選手が初めて優勝したのが1950年で、2017年現在31回しかない。近年は1997年以降、2007年までの総合優勝者はすべてイタリア人で、国際化が著しく優勝者の国籍も多様になる傾向があるロードレースの世界において、これは非常に珍しいケースである。

歴史

第1回大会は1909年に行われミラノから出発し、合計走行距離は2,408kmだった。8区間で争われ、優勝選手の平均走行時速27.26kmだった。1915年から1918年までは第一次世界大戦により中断されている。

1933年は17ステージ・合計3,343kmで行われ、この時はアルフレッド・ビンダが通算5回目となる優勝を飾っている。

1941年から1945年までは第二次世界大戦により再び中断。1947年は19ステージ・合計3,843kmで行われ、この時はファウスト・コッピが2回目の優勝を果たした。以後もコッピの活躍は続き、1953年には史上2人めの5回目の優勝を達成している。

1970年代前半はエディ・メルクスの独擅場となり、1972年から1974年には3連覇を達成。1974年は史上3人目となる5回目の優勝に加えてツール・ド・フランスと世界自転車選手権プロロードレースも制覇しており、史上初のトリプルクラウン達成を遂げた。

1980年代前半はベルナール・イノーが3回の優勝を遂げている。また1987年の優勝者ステファン・ロッシュは史上2人目のトリプルクラウン達成者となった。

1990年代に活躍した選手としてはミゲル・インドゥラインマルコ・パンターニがあげられインドゥラインは1992年1993年、パンターニは1998年にツール・ド・フランスでも優勝してダブルツールを達成している。

2004年は合計走行距離3,423.9 km、20区間で行われ参加選手169名のうち140名が完走した。総合優勝は22歳の新人ダミアーノ・クネゴジルベルト・シモーニのアシストとして働く予定だった彼がステージ4勝をあげて総合優勝するとは誰も予想しておらず、大きなニュースとなった。

2005年パオロ・サヴォルデッリとシモーニの争いとなり、終盤シモーニが猛追するも結局サヴォルデッリが2002年以来2度目の優勝を飾った。

2006年イヴァン・バッソが他を寄せ付けない強さで、2007年ダニーロ・ディルーカが堅実なレース運びで総合優勝を遂げている。

2008年は前年度のツール・ド・フランスを制したアルベルト・コンタドールがイタリア人以外では12年ぶりの総合優勝者となった。

2009年デニス・メンショフがディルーカとの熾烈な争いを制して優勝した。

2010年は相次ぐ大波乱の展開の末、バッソが2回目の総合優勝を飾った。

2011年は第3ステージでワウテル・ウェイラントが落車により死亡する事故が発生し、第4ステージがノーコンテストステージとなる波乱があった。総合優勝は当初アルベルト・コンタドールが獲得したが、後にスポーツ仲裁裁判所(CAS)により2010年のツール・ド・フランスでのクレンブテロール陽性を認定されて2年間の出場停止処分が下され、2011年の大会は出場停止期間中に該当するため成績無効となり、ミケーレ・スカルポーニが繰り上がって総合優勝者に認定された。

2012年は最終日の個人タイムトライアルでの逆転という劇的な形でライダー・ヘシェダルカナダ人初となるグランツール優勝を成し遂げた。

2013年ヴィンチェンツォ・ニバリが圧勝を収め、2014年ナイロ・キンタナが同胞のリゴベルト・ウランとの激戦を制しコロンビア人選手として初のジロ総合優勝を飾る。

2015年は区間優勝がないながらも堅実なレース運びでアルベルト・コンタドールが2度目の総合優勝を果たす。

2016年ステーフェン・クラウスヴァイクの肋骨骨折による失速で混沌とした総合争いをヴィンチェンツォ・ニバリが制した。

2017年は2012年と同様、最終日の個人TTでの再逆転でトム・デュムランオランダ人初のジロ総合優勝を果たした。

2018年イスラエルエルサレムからスタート。ヨーロッパ外からのスタートは初となる[4]クリス・フルームが激戦を制しグランツールで三連勝を達成した。

2020年は当初5月9日からハンガリーでの開幕を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により延期され、10月3日から、開幕地をイタリアのシチリア島に移して開催された。[5]
第20ステージのスタート時点で、総合2位であったテイオ・ゲイガンハートがステージ優勝しボーナスタイムを得た結果、総合1位であったジェイ・ヒンドレーと総合タイムが並ぶ事になった。よって翌日の21ステージではグランツール史上初の最終ステージで総合1、2位が同タイムでスタートすることになった。
また、最終ステージの個人TTでヒンドレーにタイム差を付けフィニッシュし、総合優勝したゲイガンハートは、全ステージでマリアローザを着用することなく、最終ステージ終了後に初めてマリアローザに袖を通した。

各賞とリーダージャージ

数種の賞が設定されており、リーダージャージと呼ばれる各賞に応じた色別のジャージがある。前日のステージ終了時点で各賞の成績第1位の選手がそのジャージを着用する権利(と義務)を手にいれる。

マリア・ローザ(個人総合時間賞)

総合優勝者に贈られるトロフェオ・センツァ・フィーネ

ピンク色のジャージ「マリア・ローザ (Maglia Rosa)」は総合成績1位の選手に与えられる。各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少ない選手が「マリア・ローザ」着用の権利を得る。最終ステージの終了時点で「マリア・ローザ」着用の権利をもっている選手がジロの総合優勝者となる。色の由来はレース主催者のガゼッタ・デッロ・スポルトの紙面がピンクであるため。

マリア・チクラミーノ(ポイント賞)

紫色のジャージ「マリア・チクラミーノ (Maglia Ciclamino)」(シクラメン)は「ポイント賞」に対して与えられる。各ステージのゴール、およびステージ途中の中間スプリント地点の通過順位に応じてスプリントポイントが加算されスプリントポイント1位の選手が「マリア・チクラミーノ」着用の権利を得る。以前はツール・ド・フランスと異なり平地ステージも山岳ステージもゴール地点で与えられるポイントは同じであった上に前述の通りスプリンターが活躍しづらいコース設定がされることも多く、山岳ステージを上位でゴールする総合成績上位のクライマーやオールラウンダーがこのジャージを獲得してしまうことも珍しくない[6][7]。ただし2014年以降はツール・ド・フランスと同様、平地ステージで高ポイントを与える加点設定が行われている[8]1966年に初登場。2010年からは「マリア・ロッソ」と呼ばれる赤色のジャージが使われ、非公式に「情熱の赤」を意味する「マリア・ロッソ・パッショーネ」とも呼ばれていた。2017年よりスポンサーがセガフレード・ザネッティに変わり、元のマリア・チクラミーノに戻った。

マリア・アッズーラ(山岳賞)

青色のジャージ「マリア・アッズーラ (Maglia Azzurra)」は「山岳賞」に対して与えられる。登り坂の勾配と長さに応じて点数が設定された[9] 山岳ポイント地点の通過順位に応じて山岳ポイントが加算され、山岳ポイント1位の選手が「マリア・アッズーラ」着用の権利を得る。1933年から2011年までの山岳賞は緑色のジャージ「マリア・ヴェルデ」であったが、2012年から「マリア・アッズーラ」となった。かつて1989年から2005年までは「マリア・アッズーラ」は「インテル・ジロ賞」(後述)のジャージとして用いられていた。2015年のジャージスポンサーは「メディオラヌム銀行」。

マリア・ビアンカ(新人賞)

白のジャージ「マリア・ビアンカ (Maglia Bianca)」は「新人賞」に対して与えられる。開催年中に25歳以下[10] になる選手が対象となり各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少なかった選手が「マリア・ビアンカ」着用の権利を得る。2015年のジャージスポンサーはスーパーマーケットの「ユーロスピン」。

1976年に初登場。1994年以来消滅していたが、2007年に復活した。

マリア・ネラ

黒のジャージ「マリア・ネラ」はかつて総合成績最下位の選手に与えられた。1946年に初登場し悪趣味、屈辱的などの理由で1952年には廃止されたが1993年にはレース中盤でダリオ・マリウッツォがジョークで着用して登場、2008年にジャージではなく黒いゼッケン「ヌーメロ・ネロ」という形で復活した。同様のものに、ツール・ド・フランスにおける「ランタンルージュ」がある。ちなみに1951年にマリア・ネラを獲得したジョヴァンニ・ピナレッロの興したバイクメーカーピナレロから、同名の黒いジャージが発売されている。2019年に果敢な逃げなどで大会を盛り上げ、最下位完走を果たした初山翔に主催者側からマリア・ネラが送られた。

そのほかの賞

特別なジャージはないが、コース中間に設定された地点の通過順位によるポイントを加算し、合計所要ポイントの最も多い選手には「個人総合中間スプリント賞」が与えられる(2008年の名称は、エキスポミラノ2015賞)。長距離をこなした後のスプリントや山岳コースでは勝ち目の無いトラックレース出身のスプリンターが狙ってくることが多い。

他にも総合成績・山岳・スプリントなどすべての賞で上位にいる選手に与えられる「敢闘賞(複合賞)」、ファウスト・コッピの名を冠した賞でその年の最大標高の山岳を1位で通過した選手に与えられる「チマ・コッピ賞」などその年ごとにさまざまな賞が設定される。また獲得ポイントの総合トップのチームに与えられる「スーパーチーム賞」、進路妨害や危険行為、ドーピングなどの不正行為がもっとも少ないチームに与えられる「フェアプレー賞」などチームを対象にした賞も設定される。

ちなみに中間スプリント賞と同様なものとしてかつては「インテルジロ賞」が存在し、こちらは順位によるポイントではなくその地点の通過時間の合計で争われていた。レース前半の展開を活性化させるために1989年から設けられ、序盤からの逃げを得意とするスピードマンなどが狙ってくることが多かった。トップの選手は「マリア・アッズーラ」と呼ばれる青いジャージを着用していたが、2005年を最後に廃止された。スプリント賞としての格はマリア・チクラミーノより上で、両方でトップに立った選手はマリア・アッズーラの着用を優先されていた[11]2006年は複合賞に「マリア・ブル」という青いジャージが与えられたが、この年のみで姿を消している。

用語

チマ・コッピ英語版
同一年のジロのレース中で、最も標高の高い峠。前述の通りファウスト・コッピにちなんだ名称である。
モンターニャ・パンターニイタリア語版
2004年制定。1998年のジロ優勝者であるマルコ・パンターニ(2004年2月死去)にちなんで命名された。同一年のジロのレース中で、主催者側が「最も重要な山岳」と判断した地点に与えられる。

歴代総合優勝者

開催期間総合優勝者国籍チーム区間数距離
(km)
平均速度
(km/h)
11909年5月13日30日ルイジ・ガンナ イタリア王国アタラ・ダンロップ82,44527.260
21910年5月18日6月5日カルロ・ガレッティ イタリア王国アタラ・コンチネンタル102,98426.113
31911年5月15日6月6日カルロ・ガレッティ(2) イタリア王国ビアンキ123,52626.216
41912年5月19日6月2日-
(カルロ・ガレッティ)
(ジョヴァンニ・ミケレット)
(エベラルド・パヴェージ)
イタリア王国アタラ・ダンロップ92,44327.323
51913年5月6日22日カルロ・オリアーニ イタリア王国マイノ92,93226.379
61914年5月24日6月7日アルフォンソ・カルツォラーリ イタリア王国ストゥッキ・ダンロップ83,16223.374
第一次世界大戦のため中断
71919年5月21日6月8日コスタンテ・ジラルデンゴ ストゥッキ・ダンロップ102,98426.440
81920年5月23日~6月6日ガエターノ・ベローニ ビアンキ102,63225.640
91921年5月25日6月12日ジョバンニ・ブルネーロ レニャーノ・ピレリ103,10725.592
101922年5月24日6月11日ジョバンニ・ブルネーロ(2) レニャーノ・ピレリ103,09525.856
111923年5月23日~6月10日コスタンテ・ジラルデンゴ(2) マイノ103,20225.895
121924年5月10日6月1日ジュゼッペ・エンリーチ 123,61325.138
131925年5月16日~6月7日アルフレッド・ビンダ レニャーノ・ピレリ123,52025.600
141926年5月15日~6月6日ジョバンニ・ブルネーロ(3) レニャーノ・ピレリ123,43025.113
151927年5月15日~6月6日アルフレッド・ビンダ(2) レニャーノ・ピレリ153,75625.850
161928年5月12日6月3日アルフレッド・ビンダ(3) ウォルシット・ピレリ123,04426.750
171929年5月19日~6月9日アルフレッド・ビンダ(4) レニャーノ・トーピード142,92027.290
181930年5月17日~6月8日ルイジ・マルキジオ レニャーノ・ピレリ153,09526.880
191931年5月10日~31日フランチェスコ・カムッソ グローリア・ウッチンソン123,01229.330
201932年5月14日6月5日アントニオ・ペゼンティ ウォルシット・ウッチンソン133,23530.594
211933年6月6日~28日アルフレッド・ビンダ(5) レニャーノ・クレメント173,343
221934年5月19日~6月10日レアルコ・グエラ マイノ・クレメント173712.7
231935年5月18日~6月9日ヴァスコ・ベルガマスキ マイノ・ジラルデンゴ183,577
241936年5月16日~6月7日ジーノ・バルタリ レニャーノ・ウォルシット193,766
251937年5月8日~30日ジーノ・バルタリ(2) レニャーノ193,840
261938年5月7日6月2日ジョヴァンニ・ヴァレッティ フレジュス183,645.8
271939年4月28日~5月18日ジョヴァンニ・ヴァレッティ(2) フレジュス173,011.4
281940年5月17日~6月9日ファウスト・コッピ レニャーノ203,574
第二次世界大戦のため中断
291946年6月15日7月7日ジーノ・バルタリ(3) レニャーノ・ピレリ163,039.5
301947年5月24日~6月15日ファウスト・コッピ(2) ビアンキ203,843
311948年5月15日~6月6日フィオレンツォ・マーニ ウィリエール・トリエスティーナ194,164
321949年5月21日~6月12日ファウスト・コッピ(3) ビアンキ・ウルサス194,088
331950年5月24日~6月13日ユーゴ・コブレ ゲラ・ウルサス183,981
341951年5月19日~6月10日フィオレンツォ・マーニ ゲラ・ウルサス204,153
351952年5月17日~6月8日ファウスト・コッピ(4) ビアンキ・ピレリ203,964
361953年5月12日~6月2日ファウスト・コッピ(5) ビアンキ・ピレリ214,035.5
371954年5月21日~6月13日カルロ・クレリーチ ゲラ・ウルサス224,337
381955年5月14日~6月15日フィオレンツォ・マーニ(2) グレマン・フックス213,871
391956年5月19日~6月10日シャルリー・ゴール ファエマ・ゲラ223,523.45
401957年5月18日~6月9日ガストネ・ネンチーニ レオ・クロロドン213,926.7
411958年5月18日~6月8日エルコーレ・バルディーニ レニャーノ203,341.1
421959年5月16日~6月7日シャルリー・ゴール(2) EMI223,657
431960年5月19日~6月9日ジャック・アンクティル ファインセック・ヘリエット213,481.2
441961年5月20日~6月11日アルナルド・パンビアンコ フィデス214,004
451962年5月19日~6月9日フランコ・バルマミオン カルパノ214,180
461963年5月19日~6月9日フランコ・バルマミオン(2) カルパノ214,063
471964年5月16日~6月7日ジャック・アンクティル(2) サンラファエル・ジタン・ダンロップ224,119
481965年5月15日~6月6日ビットリオ・アドルニ サルバラーニ224,051
491966年5月16日~6月9日ジャンニ・モッタ モルテーニ223,976
501967年5月20日~6月11日フェリーチェ・ジモンディ サルバラーニ223,572
511968年5月20日~6月12日エディ・メルクス ファエマ22+P3,917.3
521969年5月16日~6月8日フェリーチェ・ジモンディ(2) サルバラーニ233,851
531970年5月18日~6月7日エディ・メルクス(2) ファエミノ・ファエマ203,292
541971年5月20日~6月10日イェスタ・ペーテルソン フェレッティ20+P3,567
551972年5月21日~6月11日エディ・メルクス(3) モルテーニ203,725
561973年5月18日~6月9日エディ・メルクス(4) モルテーニ20+P3,801
571974年5月16日~6月9日エディ・メルクス(5) モルテーニ224,001
581975年5月17日~6月7日ファウスト・ベルトリオ ヨルジュ・セラミカ213,963
591976年5月21日~6月9日フェリーチェ・ジモンディ(3) ビアンキ・カンパニョーロ224,161
601977年5月20日~6月12日ミシェル・ポランティエール フランドリア・ヴェレダ・ラティーナ アッシクラツィオーニ22+P3,884
611978年5月7日~28日ヨハン・デミュインク ビアンキ・ファエマ20+P3,610.5
621979年5月17日~6月6日ジュゼッペ・サローニ サイクリック・ボッテキア19+P3,301
631980年5月15日~6月7日ベルナール・イノー ルノー・ジタン22+P4,025
641981年5月13日~6月7日ジョバンニ・バッタリン イノックスプレン22+P3,895.6
651982年5月13日~6月6日ベルナール・イノー(2) ルノー・エルフ・ジタン22+P4,010.5
661983年5月12日~6月5日ジュゼッペ・サローニ(2) デル・トンゴ=コルナゴ22+P3,922
671984年5月17日~6月10日フランチェスコ・モゼール GIS GELATI22+P3,808
681985年5月16日~6月9日ベルナール・イノー(3) ラ・ヴィ・クレール22+P3,998.6
691986年5月12日~6月2日ロベルト・ヴィセンティーニ カレラ22+P3,858.6
701987年5月21日~6月13日ステファン・ロッシュ カレラ22+P3,915
711988年5月23日~6月12日アンドリュー・ハンプステン セブンイレブン213,579
721989年5月21日~6月11日ローラン・フィニョン スーパーU223,418
731990年5月21日~6月11日ジャンニ・ブーニョ CHATEAU D'AX19+P3,450
741991年5月26日6月16日フランコ・キオッチョーリ デル・トンゴ213,715
751992年5月24日~6月14日ミゲル・インドゥライン バネスト223,843
761993年5月23日~6月13日ミゲル・インドゥライン(2) バネスト213,702
771994年5月22日~6月12日エフゲニー・ベルツィン GEWISS-BALLAN223,730
781995年5月13日~6月4日トニー・ロミンゲル マペイ-GB ラテキスコ223,736
791996年5月18日~6月9日パヴェル・トンコフ パナリア223,990
801997年5月17日~6月8日イヴァン・ゴッティ サエコ・エストロ223,912
811998年5月17日~6月7日マルコ・パンターニ メルカトーネ・ウノ22+P3,868
821999年5月15日~6月6日イヴァン・ゴッティ(2) チーム・ポルティ223,757
832000年5月13日~6月4日ステファーノ・ガルゼッリ メルカトーネ・ウノ21+P3,676
842001年5月19日~6月10日ジルベルト・シモーニ ランプレ21+P3,356
852002年5月11日~6月2日パオロ・サヴォルデッリ インデックス20+P3,354.5
862003年5月10日~6月1日ジルベルト・シモーニ(2) サエコ213,476.5
872004年5月8日~30日ダミアーノ・クネゴ サエコ20+P3,423.9
882005年5月7日~29日パオロ・サヴォルデッリ(2) ディスカバリー・チャンネル プロ・サイクリングチーム20+P3,447.15
892006年5月6日~28日イヴァン・バッソ チーム・CSC213,526.2
902007年5月12日~6月3日ダニーロ・ディルーカ リクイガス213,486
912008年5月10日6月1日アルベルト・コンタドール アスタナ213,407
922009年5月9日~31日デニス・メンショフ ラボバンク213,456.5
932010年5月8日~30日イヴァン・バッソ(2) リクイガス・ドイモ213,485
942011年5月7日~29日ミケーレ・スカルポーニ[12] ランプレ・ISD213,434
952012年5月5日~27日ライダー・ヘシェダル ガーミン・バラクーダ213,502.1
962013年5月4日~26日ヴィンチェンツォ・ニバリ アスタナ・プロチーム213,405
972014年5月9日6月1日ナイロ・キンタナ モビスター・チーム213,445.5
982015年5月9日~31日アルベルト・コンタドール(2) ティンコフ・サクソ213,481.8
992016年5月6日〜29日ヴィンチェンツォ・ニバリ(2) アスタナ・プロチーム213,463.15
1002017年5月5日〜28日トム・デュムラン チーム・サンウェブ213,609.1
1012018年5月4日〜27日クリス・フルーム チーム・スカイ213,572.4
1022019年5月11日6月2日リチャル・カラパス モビスター・チーム213,546.8
1032020年10月3日10月25日テイオ・ゲイガンハート イネオス・グレナディアス213,361.4
1042021年5月8日5月30日エガン・ベルナル イネオス・グレナディアス213,410.9
1052022年5月6日5月29日ジャイ・ヒンドリー ボーラ=ハンスグローエ213,445.6
1062023年5月6日5月28日プリモシュ・ログリッチ チーム・ユンボ・ヴィスマ213,489.2
  • 第4回のみ総合優勝はチームに与えられた。
  • 区間数に「+P」を記載の回次は、ステージに数えないプロローグステージを実施。

区間優勝回数

  • 通算
マリオ・チポリーニ 42勝(1989年~2004年)
  • 一大会
アルフレッド・ビンダ 12勝(1927年)

日本人選手

  • 市川雅敏 1990年完走(最終成績個人総合50位) 1993年第15ステージでリタイア(肺炎によるドクターストップ)
  • 今中大介 1995年第14ステージでリタイア
  • 野寺秀徳 2001年第13ステージでリタイア(発熱によるドクターストップ) 2002年完走(最終成績個人総合139位)
  • 新城幸也 2010年2014年2020年2021年2023年完走。(最終成績2011年個人総合93位、2014年総合127位、2020年総合89位、2021年総合77位、2023年総合123位)2010年第5ステージ3位 フーガ賞(逃げ賞)獲得
  • 別府史之 2011年2012年2014年2015年完走(最終成績2011年個人総合67位、2012年総合121位、2014年総合82位、2015年総合117位)2011年第1ステージ総合8位(チームタイムトライアル)・第10ステージ フーガ賞(逃げ賞)獲得、2012年第3ステージ9位
  • 石橋学 2015年第9ステージでリタイア
  • 山本元喜 2016年完走(最終成績個人総合151位)
  • 西村大輝 2019年第1ステージでタイムオーバーによりリタイア。
  • 初山翔 2019年完走。第3ステージ フーガ賞(逃げ賞)獲得。

日本での放送

  • 以前は2002年より有料放送のJ SPORTSにて全ステージの録画中継が行われ、2006年から2016年までは生中継が行われていた。
  • 2011年TBS系列の『世界・ふしぎ発見!』にて「風になれ! ジロ・デ・イタリア 自転車紀行」のタイトルにて特集され、同大会に出場していた別府史之の活躍も取り上げられた。またスタジオゲストとして今中大介が出演した。
  • 2017年から2019年までは、DAZNにてインターネット動画配信による生中継と見逃し配信が行われていた。しかし、2020年にDAZNは自転車ロードレースの配信から撤退した[13]
  • 2020年グローバル・サイクリング・ネットワーク (GCN)のレースパスアプリ[14]による日本語実況付きインターネット動画ライヴ配信が行われた[15]
  • 2021年からはJ SPORTSが生中継を再開し、またGCNも引き続き日本語実況付きインターネット動画ライヴ配信を行っている。

関連項目

参考文献

  • 砂田弓弦『GIRO(ジロ) イタリア一周自転車ロードレース写真集』未知谷、2002年
  • 安家達也『ジロ・ディ・イタリア 峠と歴史』未知谷、2009年

脚注

外部リンク