森永製菓

日本の東京都港区にある菓子メーカー

森永製菓株式会社(もりながせいか、: Morinaga & Co., Ltd.)は、東京都港区本社を置く日本の大手菓子製造業者。森永乳業とは兄弟会社の関係で、モリナガグループを形成している。コーポレートメッセージは「おいしく たのしく すこやかに」。

森永製菓株式会社
Morinaga & Co., Ltd.
種類株式会社
市場情報
東証プライム 2201
1949年5月16日上場
大証1部(廃止) 2201
2003年10月上場廃止
名証1部 2201
2003年10月上場廃止
略称森永,森菓 ,Morinaga
本社所在地日本の旗 日本
105-8309
東京都港区芝浦一丁目13番16号
設立1910年(明治43年)2月23日
(創業:1899年明治32年))
業種食料品
法人番号1010401029660 ウィキデータを編集
事業内容菓子、食品、冷菓の製造、仕入れ及び販売
代表者太田栄二郎(代表取締役社長)
資本金186億1,200万円
売上高連結:1,812億5,100万円
単独:1,554億2,500万円
(2022年3月期)
経常利益連結:182億4,700万円
単独:137億1,400万円
(2022年3月期)
総資産連結:2,143億0,000万円
単独:1,974億0,500万円
(2022年3月31日現在)
従業員数連結:2,937名
単独:1,453名
(2022年3月31日現在)
決算期3月31日
主要株主
主要子会社株式会社アントステラ
関係する人物
外部リンクwww.morinaga.co.jp ウィキデータを編集
テンプレートを表示

概説

1899年明治32年)に創立された、当時洋菓子と言われていたキャラメルなどを製造している老舗メーカーである。トレードマークに「エンゼル」が使用されている。

ロゴについて

社名ロゴは、「永」の上の「丶」が「一」になっている旧字体を使用している。実はロゴだけではなく、同じ社の商品に記されている「森永製菓(株)お客様相談室」の一文や製造者の欄にも同じ旧字体が使用されている。1986年昭和61年)7月に実施されたCIの変更までは、社名ロゴの「株式会社」の「社」も「礻」が「示」の旧字体を用い[注 1][注 2]、「会」も1960年代中期まで旧字体の「會」を使用した。ただし、登記上の商号は旧字体を使用していない「森永製菓株式会社」である。これは森永乳業なども同様である。

英文ロゴも、1949年4月から1974年3月までは筆記体に近いタイプの「morinaga」を使用していたが、1974年4月から1986年6月までは、やや横長のゴシック体の大文字で「MORINAGA」に変更された。1986年7月より現在のエンゼルマークに変更されるとともに字体も変更、エンゼルマークとのセット表記となり、マークの下に「MORINAGA」と表記されている(製品などによってはエンゼルマークの横に表記される場合もある)[注 2]

明治との関係

明治グループ」は、かつて森永と同様に「乳業」と「製菓」があり、設立時期が近く、製菓と乳業の2部門間は歴史的に似た経緯があり、かつ似た商品構成であるため、業績面でよく比較される。明治グループは2011年(平成23年)4月に事業再編を行い、明治製菓の食品部門(OTC医薬品を含む)が株式会社 明治(旧明治乳業)に統合され、医療用医薬品部門だけが残った明治製菓がMeiji Seika ファルマと改称された。

江崎グリコとの関係

また、江崎グリコと森永も業績面で比較されることが珍しくない。森永と江崎グリコは共に創業者が佐賀県(旧肥前国)出身であること、佐賀県に子会社や製造工場を構えていること、キャラメル・アイスクリーム・乳製品など主力商品面で競合関係にあることなどの共通点が見られる。江崎グリコも2015年(平成27年)までは森永と同様に製菓と乳業で分社化していた。

2018年(平成30年)には佐賀駅南側に、森永製菓創業者・森永太一郎と、江崎グリコ創業者・江崎利一の等身大の銅像が並んで建てられた[2]。森永太一郎の銅像は森永ミルクキャラメルを、江崎利一の銅像はグリコキャラメルをそれぞれ手に持っている。

森永乳業との経営統合報道

2017年2月24日に、兄弟会社である森永乳業との間で2018年4月をめどに持株会社形態で経営統合すると日本経済新聞により報じられた[3]。仮に経営統合が実現すれば明治グループに次ぐ規模の総合製菓・乳業メーカーとなるところであったが、1か月後に森永乳業との経営統合は沙汰止みとなってしまった[4]

その後、2019年7月16日に共同通信が「森永乳業が森永製菓との経営統合を視野に諮問委員会の導入を検討している」と報じた。森永製菓は即日、「経営統合や諮問委員会の導入を検討している事実はない」と発表した[5]

特色

ビスケットソフトキャンディーの製造、販売を基幹とする。森永ビスケットシリーズは知名度のある売上の高い商品、特にマリーやムーンライト、チョイスは基幹商品。ハイチュウはキャラメルの技術を活かした他社の追従を許さない森永の売れ筋商品。グレープ味は一番人気。次にキョロちゃんで知られる「チョコボール」は、子供を中心に人気である。なかでも「チョコボール」シリーズを買い、一定の条件を満たした応募者全員に贈られる「おもちゃのカンヅメ」キャンペーンは、菓子会社の懸賞の中でも歴史が古い。

その他

戦後日本で、女性が男性にチョコレートを贈るといったバレンタインの習慣が広まった起源のひとつに森永製菓の宣伝がきっかけとなった説がある。詳しくはバレンタインデーを参照。

主な製品

(現在)

※現在発売中の製品全てについては商品カタログを参照のこと。
※部署の特別表記がない場合、すべて菓子事業部が担当している。

チョコレート

ビスケット/パイ菓子

スナック

キャラメル

キャンディ

ケーキミックス

食品事業部が担当。

アイス

森永アイスクリームの販売用ケース(陳列台、エンゼルマーク入り、2007年)

冷菓事業部が担当。

飲料

食品事業部が担当。

ココア

健康・美容

ウイダー

ウイダー事業本部が担当 - 製品CMに出演している太田雄貴も同事業部に在籍していた。現時点でウイダー社との契約は2030年までとなっている[8]

美容

ヘルスケア事業部が担当。「天使の健康」ブランドの健康補助食品を製造販売している - 通信販売のみ。

その他

  • にがいのとんでけ - 服薬用チョコレート、2015年11月発売、通信販売『天使の健康』で販売[9]

キャラクター商品

過去に販売された主な製品

過去に発売された製品の一部は森永ミュージアムで閲覧可能。

チョコレート

ビスケット

  • フラワー - 1950年代の贈答用のビスケット詰め合わせ。
  • コンサート - 同上、昭和30年代

キャンディ

スナック

アイス

森永アイスクリームの販売用ケース(1980年代までのもの。店によっては現在も使用している場合がある)
  • バケバケバー(1983年昭和58年)。アイスバーにプリントされたオバケの絵が特徴)
  • 三角バー(1986年(昭和61年))[注 4]

飲料

茶類
  • 森永宇治かほる(大正末期に発売された緑茶
コーヒー
ココア
  • まんがココア
  • ブレクファストココア
清涼飲料
果実入り飲料

その他

過去のキャラクター製品

など、多数

沿革

岡崎工場(愛知県岡崎市[13]。1980年9月30日に閉鎖。
不二越ビルにあったネオンサイン
(通称「銀座の地球儀」)
(注)森永製菓の社名の変遷、乳業事業(現在の森永乳業)の変遷は、森永乳業のページの沿革部分にて説明されている。
  • 1899年(明治32年) - 前身の森永西洋菓子製造所を設立(創立者は森永太一郎。ビスケットの森永チョイスに「MT」と浮き彫りになっているのはMorinaga Taichirohにちなむ)。マシュマロの生産販売を始める。
  • 1905年(明治38年)
    • 経営実務担当のパートナーとして松崎半三郎を招聘する。以後は近年まで森永家と松崎家が交代で社長に就任していた。トレードマークにエンゼルマークを制定する。マークは、創業時の主力商品のマシュマロが英語で「エンゼルフード」と呼ばれていたことと、太一郎自身がキリスト教徒だったことによる。
  • 1910年(明治43年)2月23日 - 株式会社森永商店として会社組織に改める。
  • 1912年(大正元年)11月1日 - 森永製菓株式会社に商号変更。
  • 1914年(大正3年) - 箱入りのミルクキャラメルの製造販売を開始
  • 1915年(大正4年) - ビスケットの生産販売を開始(当初は輸出向けで、国内向けは1923年(大正12年)から)。
  • 1918年(大正7年) - ミルクチョコレートの一貫生産を始め、販売を開始。
  • 1919年(大正8年) - ミルクココアの生産販売を開始。
  • 1921年(大正10年) - 粉ミルクを国産化。
  • 1925年(大正14年) - 塚口工場(兵庫県尼崎市)、鶴見工場(神奈川県横浜市)新設。最新機械設備による大量生産体制を本格化。
  • 1930年(昭和5年) - 赤ちゃん専用ビスケット「マンナ」を発売開始。
  • 1931年(昭和6年) - チューインガムの生産販売を開始。
  • 1932年(昭和7年) - 第1回「キャラメル藝術」キャンペーン。1937年(昭和12年)まで6回続き、応募総数186万6,400点に上る。
  • 1937年(昭和12年) - 「森永母を讃える会」を設立。母の日の普及活動を全国展開。
  • 1942年(昭和17年) - 系列会社の(旧)森永乳業、森永食品工業、東海製菓、森永関西乳業の4社を合併。
  • 1943年(昭和18年)11月13日 - 森永食糧工業株式会社に商号変更。
  • 1944年(昭和19年) - ペニシリンの国産化に初めて成功。
  • 1945年(昭和20年) - 終戦後から1952年(昭和27年)の占領解除までの間、占領軍兵士向けの菓子類を生産納入。
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月13日 - 森永食糧工業から森永乳業が独立。
    • 8月 - 森永食糧工業から森永商事(販売会社)が独立。
    • 10月1日 - 森永製菓株式会社に商号変更。
  • 1951年(昭和26年) - 初のラジオ提供番組「森永エンゼルタイム」放送開始。同時にエンゼルのテーマ曲『エンゼルはいつでも』を製作。翌1952年(昭和27年)に『やっぱり森永ネ』も作られている。
  • 1953年(昭和28年)
    • 東京銀座の不二越ビル(9階建)屋上に球形のネオンサインを設置。東海道線山手線京浜東北線の車窓からも見えるこの広告塔は当地のランドマークの一つとなり、以降、1983年(昭和58年)に撤去されるまで、「銀座の地球儀」として親しまれる。
    • 「小中学生ヘリコプター試乗サービス」と題して日本全国数十ヶ所にて抽選で選ばれた合計数千人の小中学生を実際にヘリコプターに乗せるキャンペーンを実施した。このキャンペーン当時はキャラメルの空き箱裏側が応募用紙になっていて子供達はそれに書いて応募した。
    • 7月1日 - 醸造部門を分離し、森永醸造株式会社を設立。
  • 1954年(昭和29年)
  • 1955年(昭和30年)6月頃 - 森永乳業が森永ヒ素ミルク中毒事件を起こす。
  • 1956年(昭和31年) - アイスクリームの生産販売を本格開始。
  • 1957年(昭和32年) - ホットケーキの素を商品化。
  • 1960年(昭和35年) - 日本で初めてインスタントコーヒーを製造発売。バレンタインデーの企画を大々的に展開。ベルマーク運動に参加。
  • 1961年(昭和36年)
  • 1962年(昭和37年) - フジテレビ音楽番組森永スパーク・ショー」の番組提供となる。
  • 1963年(昭和38年) - NETテレビ(現:テレビ朝日)のテレビアニメ狼少年ケン」の番組提供となる。「まんがココア」発売。
  • 1964年(昭和39年) - 「ハイクラウンチョコレート」、清涼飲料「森永ネクター」発売開始。
  • 1965年(昭和40年)
    • 3月 - 大和食品(現:森永エンゼルデザート)を設立。
    • 8月 - 米国ゼネラルミルズ社との合弁会社「森永ゼネラルミルズ(Morinaga General Mills)」(現:森永スナック食品)を設立。スナック菓子の製造業務を開始。
  • 1966年(昭和41年)8月 - 小中高生が主に夏の海水浴場での恒例だった「学生キャンプストア」が13年の歴史に幕を下ろした。
  • 1967年(昭和42年)
  • 1969年(昭和44年)
    • ミルクキャラメル「森永ハイソフト」、スナック菓子「スピン」発売開始。
    • 森永チョコボールの「おもちゃのカンヅメ」プレゼント企画開始。大人気となり、現在まで継続されている。
  • 1970年(昭和45年)3月15日 - 大阪千里で開かれた日本万国博覧会にて、空中ビュッフェを出店。(~9月13日
  • 1970年(昭和45年)12月 - 建設中の新本社ビル(森永製菓・森永乳業の本社が入居)を運営管理するために森永開発株式会社を設立。
  • 1971年(昭和46年) - 「小枝 (チョコレート)」発売開始。
  • 1972年
  • 1973年(昭和48年) - 「森永ラムネ」発売。
  • 1974年(昭和49年)
  • 1975年(昭和50年) - ガム菓子「森永ハイチュウ」発売開始。
  • 1977年(昭和52年) - 「チュッパチャップス」キャンディーの輸入発売開始。
  • 1978年(昭和53年) - スナック菓子ポテロング」発売開始。
  • 1979年(昭和54年)
  • 1980年(昭和55年) - 「森永デザート」を設立。
  • 1982年(昭和57年) - スナック菓子「おっとっと」発売開始。
  • 1983年(昭和58年)
    • 「銀座の地球儀」として長年親しまれた球形ネオンサイン撤去。
    • チョコスナック菓子「つくんこ」と「チョコパッパ」を発売。
  • 1984年(昭和59年)10月 - この年世間を騒がせた「グリコ・森永事件」に巻き込まれ、多大な損害を出す。[注 10]
  • 1986年(昭和61年)7月 - CIを導入、エンゼルマークを現在のものに変更。
  • 1987年(昭和62年)4月 - 小山新工場落成。
  • 1989年(平成元年)
    • ICE BOX発売開始。
    • 11月 - 子会社の森永開発、株式を店頭登録。
  • 1991年(平成3年)
  • 1993年(平成5年) - 12粒入チョコレート「ソリッドダース」発売開始。
  • 1994年(平成6年)
  • 1996年(平成8年)10月 - 森永ホームページ開設。
  • 1998年(平成10年) - 小山工場、業界初のISO14001認証を取得。2000年(平成12年)に全工場で取得が完了。
  • 1999年(平成11年)
    • 4月 - 森永開発を吸収合併。
    • 7月 - 小中学生向け自然体験事業として、第1回「リトルエンゼル無人島探検隊」実施(2016年より「チャレンジ!無人島探検隊」と改題、2018年で終了)。
  • 2001年(平成13年)
    • 1月 - 子会社の福徳長酒類を合同酒精(現:オエノンホールディングス)に売却。
    • 7月 - レストラン森永から営業権を委譲、新会社「エンゼルフードシステムズ」設立(2004年12月株式譲渡)。
  • 2002年(平成14年) - チョコレート菓子「カレ・ド・ショコラ」発売。
  • 2003年(平成15年) - 日本テレビミニ番組エンゼルのいる星』提供開始(2009年(平成21年)3月まで放送)。
  • 2004年(平成16年)
    • 「マリー」の商標権を取得。ハイチュウ、中国・上海市で製造開始。
  • 2006年(平成18年) - 森永剛太が会長、矢田雅之が第7代代表取締役社長にそれぞれ就任。
  • 2007年(平成19年) - 米国バリーカレボー社と業務提携を結ぶ。
  • 2008年(平成20年)
  • 2009年(平成21年)
  • 2010年(平成22年)12月 - 中国アジア事業の拡大に向け生産能力を増強する目的で、中国浙江省平湖経済開発区に現地新法人「森永食品(浙江)有限公司」を設立。2011年(平成23年)12月より製造業務開始[15]
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日 - 東日本大震災が発生。これにより小山工場が被災し、小山工場では主要品目であるチョコボール、キャラメル、エンゼルパイの生産ラインがストップしてしまう。震災により社員1名が死亡した[16]
    • 4月 - 高崎第一工場(群馬県高崎市宮原町)竣工。新生産部門として「高崎森永株式会社」設立。
  • 2012年(平成24年)
    • 3月 - 群馬県高崎市宮原町に総額約100億円を投じた第二工場の建設を開始。2013年(平成25年)6月生産開始[17]
    • 5月22日 - 高木貞男元会長が老衰により逝去。享年91。[18][19]
  • 2013年(平成25年)
  • 2014年(平成26年)
    • 創業115周年を迎える。
    • 健康美容志向者向け新商品として「マクロビ派」シリーズ(ビスケット、他)発売。
  • 2016年(平成28年)- 長年輸入販売していた「チュッパチャプス」の森永製菓での販売を終了。日本国内での販売権をクラシエフーズ株式会社へ移管。
  • 2017年(平成29年)
    • 2月24日 - 日本経済新聞により、兄弟会社である森永乳業との間で2018年4月をめどに持株会社形態で経営統合すると報じられた。3月、統合しないと結論した。
    • 7月1日 - 森永エンゼルカントリー株式会社を合併。
    • 9月29日(金曜日) - この日、日本記念日協会に、29日が金曜日になる日を「筋肉を考える日」という新たな記念日として申請し正式登録され、同日より施行[20]
  • 2018年(平成30年)
    • 6月14日 - 群馬県高崎市宮原町に第三工場の建設を開始することを発表。2020年9月に生産開始予定[21]
    • 9月28日 - 森永スナック食品株式会社と森永甲府フーズ株式会社を2020年までに閉鎖し、2社の製造業務を鶴見工場と小山工場へ移管することを発表。同時に「森永チョコフレーク」の生産を終了することも発表[22][23]
    • 10月9日 - 業績不振を理由にインドネシア現地法人(連結決算対象) である「PT. Morinaga Kino Indonesia」の保有株式(持株比率51%)の全てを PT. Kino Indonesia Tbk に売却することを決定。事実上インドネシアでの生産販売業務からの撤退を表明。尚、森永製菓株式会社インドネシア駐在事務所は存続。
  • 2019年(平成31年・令和元年)
    • 4月23日 - 公正取引委員会より、下請法違反により勧告を受ける[24]。    
    • 8月15日 - 創業120周年を記念して、新聞朝刊各紙に1ページで記念広告「おかしなすごろく」を掲載。翌16日から12月13日までの4か月にわたり、公式Twitterから毎日1問ずつ、延べ120日間・全120問に亘りクイズを出題するキャンペーン「クイズ!森永120」を実施[25]
  • 2020年(令和2年)
    • 1月1日 - 森永スナック食品株式会社を吸収合併[26]
    • 3月31日 - 森永製菓株式会社インドネシア駐在事務所を閉鎖。
    • 4月1日 - 森永甲府フーズ株式会社を吸収合併[26]
  • 2022年(令和4年)
    • 1月12日 - 鶴見工場内に見学施設「森永エンゼルミュージアムMORIUM(モリウム)」を開設[27]
  • 2024年(令和6年)
    • 3月18日 - 森永プラザビル建て替えに伴い本社を自社芝浦ビルに移転[28]

製造・研究拠点

森永製菓鶴見工場(横浜市鶴見区)
森永製菓中京工場(愛知県安城市)

研究所

工場

営業拠点

支店・営業拠点

関連企業

日本国内

兄弟会社
食品製造
食品卸売および飲食店
不動産およびシェアードサービス
その他
  • 株式会社森永生科学研究所(神奈川県横浜市)- 生科学研究所
  • 株式会社森栄商会(東京都港区)- 保険代理店
  • 株式会社森永ファイナンス(東京都港区) - 金融

日本国外

台灣森永製菓本社

消滅した企業

  • 株式会社森永キャンデーストア(菓子専門店。独自製品も発売していたことがある)
  • 株式会社レストラン森永(レストラン事業のほか、ファーストフードチェーン森永LOVEも経営していた)
  • 有限会社エンゼルリゾート蓼科管理(長野県茅野市
  • 森永エンゼルカントリー株式会社(千葉県富津市にてゴルフ場を運営していたが、2017年7月1日付で森永製菓に吸収合併)
  • 森永キノインドネシア株式会社(PT. Morinaga Kino Indonesia)(インドネシア バンテン州)は業績不振により、2019年1月に保有株式の全てを PT. Kino Indoneaia Tbkに売却し、森永製菓としてのインドネシア事業から撤退をした。
  • 森永スナック食品株式会社(ポテロング森永チョコフレークを製造していたが、2019年12月に工場を閉鎖。2020年1月1日付で森永製菓に吸収合併)
  • 森永甲府フーズ株式会社(旧・甲府ベルフーズ株式会社。ハイチュウプレミアムを製造していたが、2020年3月に工場を閉鎖。2020年4月1日付で森永製菓に吸収合併)
  • 森永エンゼル株式会社(小田急ロマンスカーの「走る喫茶室」を営業していた)

広告宣伝

主なCM

現在のCM

2021年7月以降のCMの最後に流れるサウンドロゴは白バックに森永のロゴが写された状態で♪も↓り↗︎な↓が↑♪と女性が歌うもので、1995年から1999年にかけて使われたサウンドロゴを彷彿とさせる音程である。なお、ロゴから歌に合わせて音符が出てくる演出が加えられた。実に18年ぶりにリニューアルされた。

同業の菓子メーカーである江崎グリコ明治ロッテなどと並び、メインターゲットである10代~20代に支持のある旬のアイドル歌手などを多数起用することで有名である。同社のCMから人気が爆発したタレントもおり、出演CMに必ずそのタレントの歌う楽曲が使用されたりと、芸能界からも登竜門的なCMとして注目されている。

テレビCMは主に地上波全国放送で流れるが、一部、関東や東北などの地域で放送されるものもある[注 11]スペースシャワーTVスーパー!ドラマTVアニマックスキッズステーションなどといったCS放送チャンネルで放送していることもある。近年ではJR東日本の「トレインチャンネル」向けにもCMを配信している(放送中のテレビCMに字幕スーパーをつけて配信する他、「カレ・ド・ショコラ」の紹介動画を配信している)。

CM出演タレント・キャラクター
男性
女性
キャラクター

ORはオリジナルキャラクター)

過去のCM

CM最後の表示は1967年(昭和42年)から「ピ・ポ・ピ・ポ」のシグナル音[注 12]とともに画面下隅もしくは文字や商品と被らない位置で後ろ向きのエンゼルが左か右の振り向くアニメーションを使用していた[注 13]が、1986年(昭和61年)のマーク変更とともにエンゼルマークが「ポ・ピ・ポ」(少し高い音)とともにフラッシュされてアップされる方式となり、商品の画とともに画面スペース半分のものもあった。この方式は1994年まで使われた。以後シグナル音から出演タレントが「もりなが♪」と締める方式に変更された。

旧エンゼルマーク時代はCM冒頭の隅部分に、エンゼルが逆立ちしながらTM文字を持つエンゼルマークを表示していた(一部のCMでは表示されず)。

旧エンゼル時代、チョコボールなど子供を対象とした製品のCMの最後のテロップは、ブルーバックに「ごちそうさま おくちを きれいに…」の3行メッセージとエンゼルのアニメーション、下部分に企業スローガンである「おいしく たのしく すこやかに」が書かれていた。

1984年(昭和59年)10月17日、関西地区は10月10日から数ヶ月間グリコ・森永事件の影響で、2011年(平成23年)3月12日から4月上旬までの間は東日本大震災の影響で、CM放送を自粛した。

2013年3月以前及び10月、2021年6月までのcmの最後に流れるサウンドロゴは黒バックにエンゼルが踊り♪もりなが♪の優しい歌声で締めるものだった。この声は、シンガー・ソングライターの峠恵子である。ただし、チョコレートのCMでは2007年から2009年まで最後に「SINCE1918 森永チョコレート」が表示されていた(森永ミルクチョコレート発売90周年にちなむ)。ウィダーのCMでは最後に黒バックにウィダーのロゴと「Power Your Life!」のメッセージが流れた。
2013年4月以降(10月のみ上記に戻された)のサウンドロゴは冒頭に♪もりなが♪と男性が歌うもので、真ん中に「日本を元気に」の表記、右に太田雄貴(森永製菓所属(当時))の画像が流れた後CM本編に入る。

過去のCM出演タレント・キャラクター

×は故人

男性

ほか

女性

ほか

男女混成

ほか

ナレーション

ほか

キャラクター

ほか

森永ブランドCM

ブランドCM・オリジナルソング

楽曲『エンゼルはいつでも』

  • 森永エンゼルの歌『エンゼルはいつでも
    「どこかでエンゼルは、いつでも眺めている」のフレーズが特徴の森永の企業CMソング。
    1951年(昭和26年)の民放ラジオ放送開始に合わせて製作され、初期に録音されたバージョンを歌っているのは童謡歌手川田孝子で、当時提供していたラジオ番組『森永エンゼルタイム』の中で流れていた。
    1959年(昭和34年)に、若草児童合唱団の合唱によるバージョンが録音され、以後、1960〜70年代の森永製品のテレビ・ラジオCMで多く使用された。1984年(昭和59年)の特別版CM「ご声援ありがとうございます」編(後述)でもこのバージョンが流れた。
    歌詞全文はこちらを参照
レコード・CD収録
  • 川田孝子版 - 『甦える童謡歌手大全集』(コロムビア、10枚組、通信販売限定)DISC-2の8曲目に収録[31]
  • 若草児童合唱団版 - 『コマソン≪黄金時代≫〜懐しのTV-CM大全集 (1954〜1961) 』[32]キングレコード)22曲目に収録。
  • カバーバージョン - 『心と耳にのこるCMのうた』(キングレコード、KICS-3001。2007年3月発売)13曲目。竹田えりとひまわりキッズが歌っている[33]
  • 松本和子、井上裕子、コロムビアゆりかご会 - EP「雪うさぎ/エンゼルはいつでも」(コロムビア、SC-310、1969年発売)収録。
その他の事項
  • 1970年代キャンディーズが出演していた「チョコフレーク」のCMにおいても、この『エンゼルはいつでも』を歌いながら踊る場面があった。
  • 1990年代、本社前に製品を販売するクレーン式の大きな自動販売機があり、お金を入れて購入ボタンを押すと、行進曲風にアレンジされたこの曲が大音量で鳴る間に内部クレーンに商品が乗る、時代があった。

森永ブランドCM

「ご声援ありがとうございます」バージョン(30秒) - 1984年(昭和59年)冬〜1985年(昭和60年)春
  • 1984年(昭和59年)12月から1985年(昭和60年)春にかけて放送された森永製菓の特別企業CMであり、当時の提供番組内にて放送された。1984年(昭和59年)に起きたグリコ・森永事件の傷痕も生々しい中、どん底からの復活を果たすべく、全国のファンからの温かい支援・激励に感謝の意をこめて「エンゼルはいつでも」にのせて、夕焼けの海に佇むエンゼルと、森永製品を一つ一つずつ映し出し、終盤に「(略)ご声援ありがとうございます」のナレーションが流れると共に、最後はお辞儀をするエンゼルの横に、テロップで「ご声援ありがとうございます。 森永製菓株式会社」を表示。CMは「ピ・ポ・ピ・ポ」音とエンゼルアニメーションはなく、通常CM同様に冒頭下隅にエンゼルマークを表示した。このCMのエンゼルはアニメではなく実写であった。
  • CM放映と同じくして、全国紙各紙に、全国からの励ましのお便りを紹介する広告も掲載された。
「エンゼルのいる星」バージョン(30秒) - 2000年代
  • モリナガグループ(森永製菓・森永乳業の2社共同扱い、提供クレジットは「おいしく、たのしく、すこやかに 森永」と表記)提供のミニ番組エンゼルのいる星 〜あなたの一番たいせつなもの〜」(日本テレビ)の番組内で放映されたモリナガグループの企業合同CM。
  • このCMでは「エンゼルはいつでも」に乗せて、世界の人々を映し出し、アニメのエンゼルが踊る。後期は実写のエンゼルが空を飛ぶものに変更された。
  • 番組とCMの密接な関係を築くため一時期、過去に番組内で放送した映像を使用していたが、2007年(平成19年)以降は、幼稚園の一日に密着したものが使用された。撮影は東京都内の幼稚園で行われた。
  • 2000年代のCMでのエンゼルの歌はアナム・マキ広瀬香美おおたか静流&エレルヘイン少女合唱団、tarachineの岸真由子といった面々が担当してきた。演奏にトイピアノなどが使用された。

番組提供

  • 太字で記載されているものは単独提供番組斜体は複数提供の筆頭スポンサー。稀に特別番組で筆頭提供することもある。
  • G表記があるのはモリナガグループ提供(森永製菓・森永乳業共同提供)番組。W表記があるのはウイダーinゼリー名義で提供されている(された)番組。
  • CCカウキャッチャーHHヒッチハイクPTパーティシペーション
  • 過去提供番組中、◇がついているものは現在も継続中。

テレビ番組

現在の提供番組
日本テレビ
  • 世界まる見え!テレビ特捜部 - 2014年4月から提供開始、「嵐にしやがれ」から移動。2021年9月をもって一時降板したが、2022年1月より提供再開。
フジテレビ
過去の主な提供番組
日本テレビ系
TBS
フジテレビ系
テレビ朝日
テレビ東京
その他

他多数

ラジオ番組

現在の提供番組

ほか

過去の提供番組
民放初期(昭和20〜30年代)

ほか

昭和40年代〜令和

など、多数

スポンサー協賛・イベント

公式スポンサー

など

過去

など

森永主催イベント

  • キョロちゃん夢ファンタジーミュージカル(毎年、全国20ヶ所で開催)
  • 森永リトルエンゼル無人島探検隊(毎年夏、小学生を対象とした野外活動)
  • 伊賀エンゼル自然塾(三重県伊賀上野。2008年(平成20年)より毎年夏に開催している小学生を対象とした野外活動)

など多数

過去
  • 森永母の日大会(昭和10年代、「森永母を讃える会」主催で母の日普及活動を展開)
  • 学生キャンプストア(昭和20~30年代)

など

CSR

  • 2006年より、地方自治体と共同で「防災のしおり」を作成している[35]

関連人物

不祥事・事件・問題

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク