トニ・クロース

ドイツのサッカー選手

トニ・クロース: Toni Kroos, 1990年1月4日 - )は、東ドイツグライフスヴァルト出身のサッカー選手レアル・マドリード所属。ドイツ代表。ポジションはミッドフィールダー。トーニ・クロースとも表記されることがある[2]

トニ・クロース
レアル・マドリードでのクロース (2018年)
名前
ラテン文字Toni Kroos
基本情報
国籍ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1990-01-04) 1990年1月4日(34歳)
出身地東ドイツの旗 東ドイツグライフスヴァルト
身長183cm[1]
体重76kg[1]
選手情報
在籍チームスペインの旗 レアル・マドリード
ポジションMF[1]
背番号8
利き足右足
ユース
1997-2002ドイツの旗 グライフスヴァルダー
2002-2006ドイツの旗 ハンザ・ロストック
2006-2007ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン
クラブ1
クラブ出場(得点)
2007-2008ドイツの旗 FCバイエルン・ミュンヘンII 13 (4)
2008-2014ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 130 (13)
2009-2010ドイツの旗 レヴァークーゼン (loan) 43 (10)
2014-スペインの旗 レアル・マドリード 301 (22)
代表歴2
2005-2007 ドイツ U-1734 (17)
2009 ドイツ U-195 (3)
2008-2009 ドイツ U-2110 (2)
2010-ドイツの旗 ドイツ108 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年3月27日現在。
2. 2024年3月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

FCバイエルン・ミュンヘンの下部組織出身。ブンデスリーガDFBポカールなどの国内タイトルのほか、UEFAチャンピオンズリーグFIFAクラブワールドカップなどの国際タイトルも獲得した。2014年に移籍したレアル・マドリードでもプリメーラ・ディビシオンスーペルコパ・デ・エスパーニャのほかチャンピオンズリーグやクラブワールドカップを手にした。

ドイツ代表としても2020年に100試合出場を達成。2014年にはFIFAワールドカップで優勝を経験し、同大会ではドリームチームにも選ばれた。

クラブ経歴

幼少期

ドイツ北部の都市グライフスヴァルトで生まれたクロースは、地元クラブのグライフスヴァルダーでユースチームを指導する実父の下でサッカーを始め、その後父がハンザ・ロストックに職場を変えるとクロースも弟フェリックスと共にロストックへ移籍した[3]

リヴァプールFCレアル・マドリードユヴェントスFCACミランアヤックスなども参加したイタリアでの16歳以下の大会で大きな注目を浴びた。2006年、チェルシーFCなどからの誘いを断り、毎年1軍がロストックで遠征試合を行なうことを条件にバイエルン・ミュンヘンのユースに加入した[3]

バイエルン・ミュンヘン

プロ契約したクロースは最初はアマチュアリーグでプレーしていたが、間もなくプロと一緒に練習を始めた。

ブンデスリーガデビューとなった2007年9月26日のエネルギー・コットブス戦では、わずか18分間の出場で2アシストを記録する衝撃のデビューとなった。更にUEFAカップデビューとなったアウェイのレッドスター・ベオグラード戦では1点リードされた状況の81分に登場し、1ゴール1アシストの活躍で勝利に導いた。バイエルンは、マスコミにクロースのインタビューを無期限に禁止するなど成長をサポートした[3]

レバークーゼンへのレンタル移籍

しかし、バイエルンのレギュラー陣に割って入るには至らず、より出場機会を得るために2009年1月より2010年6月までのレンタル移籍バイエル・レバークーゼンに加入した。2009年4月18日のVfLヴォルフスブルク戦でブンデスリーガ初得点を記録。シーズン終了後にはバイエルンと2010年まで契約を延長し、またレヴァークーゼンへのレンタルも2010年7月までに延長された。2009-10シーズンは開幕から主力としてプレーし、シュテファン・キースリングとともにゴールを量産し、レヴァークーゼンの首位ターンに貢献した。前半戦最終節である2009年12月22日のボルシアMG戦後、バイエルンの名誉会長でもあるフランツ・ベッケンバウアーは、ビルト紙にて「トニ・クロースはここまでの最優秀選手だ。私は常に彼が新しいバラックになると感じていたんだ。彼は予想以上のプレーを見せているよ」と称賛した[4]。そのシーズンは、キッカーによるブンデスリーガのシーズンベストイレブンに選出された。

バイエルン復帰

バイエルン復帰後、期待通りの成績を残せなかったが、レヴァークーゼン時代の監督だったユップ・ハインケスがバイエルンの監督に就任すると中心選手の一人に成長した。

2012-13シーズンはハビ・マルティネスとともに中盤で重要な役割を担い、史上最速28節終了時点でのリーグ優勝を達成。他にもクラブはDFBポカールUEFAチャンピオンズリーグのタイトルも獲得したが、クロースは怪我のため両大会の決勝に出場することは出来なかった。

翌シーズンも2014年3月25日のヘルタ・ベルリン戦で得点を挙げ、3-1での勝利に貢献。同試合でバイエルンはリーグ優勝を決め、ブンデスリーガ連覇を果たした。一方で、バイエルンとの契約延長交渉が給与面などで難航、クラブやジョゼップ・グアルディオラ監督との関係が悪化していった[5]

レアル・マドリード

アトレティコ・マドリード戦でのクロース (2015年)

2014年7月17日、6年契約でレアル・マドリードへの移籍が決定[6]。背番号は8番。公式戦初出場となったUEFAスーパーカップセビージャFC戦では、両チーム通じてトップとなるパス成功率96%を記録した[7]。入れ替わるようにバイエルンへ移籍したシャビ・アロンソと同じ中盤の底のポジションでレギュラーに定着し、11月9日の第11節ラージョ・バジェカーノ戦で、移籍後初ゴールを含む1得点2アシストの活躍をした[8]。移籍初年度は、リーガ・エスパニョーラ所属クラブの選手で唯一シーズン総パス成功数が3000本を超えており、シーズンを通して92%のパスを成功させた[9]

2015-16シーズン、レギュラーとしてチャンピオンズリーグ優勝に貢献、二つのクラブで優勝を経験した初のドイツ人プレーヤーとなった[10]。2016年1月3日、バレンシアCF戦でパス成功率100%を記録した。

2016年10月12日、レアル・マドリードと2022年までの新契約を結んだことが発表された[11]。同シーズンは、リーガ優勝とともに史上初となるチャンピオンズリーグ連覇を達成した。2017年から始まったIFFHS選出の男子サッカー年間ベストイレブンに選ばれた[12]

2018-19シーズンのリーグ開幕戦となるヘタフェCFでは118本のパスのうち116本を成功させ、100本以上のパスを記録した選手の中でレアル・マドリード史上最高のパス成功率を記録した[13]。12月にはFIFAクラブワールドカップを再び獲得。通算5度の同タイトル獲得は歴代最多であり、過去6年間で5度優勝した[14]。2019年5月、レアル・マドリードとの契約を2023年6月まで延長した[15]

2019年10月23日、UEFAチャンピオンズリーグガラタサライSK戦でCL通算100試合目の出場を果たした[16]。2020年1月8日、スーペルコパ・デ・エスパーニャ準決勝のバレンシア戦で、コーナーキックから直接ゴールを挙げてチームの決勝進出に貢献した[17]。2度目となるリーガ優勝を達成し、自身も2016-17シーズン以来2度目となるUEFA選出ラ・リーガベストイレブンに選ばれた[18]

2023年6月、クラブから2024年6月30日までの契約延長合意が発表され、レアル・マドリードでの10シーズン目を迎えることが決まった[19]

代表経歴

ドイツ代表でプレーするクロース (2011年)

ドイツU-17代表として2007 FIFA U-17ワールドカップに出場、中心選手として5得点4アシストの活躍でドイツを3位に導き、ゴールデンボール賞(大会MVP)を受賞した[3]。その後も各世代の代表でプレーし、2010年3月3日にアルゼンチンとの親善試合でA代表デビューを果たした。

2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会の代表メンバーに選出され、2010年6月23日、グループリーグ第3戦のガーナ戦で途中出場し、ワールドカップ初出場を果たした。

2011年9月6日のポーランドとの親善試合で代表初得点を挙げた。

2012年UEFA EURO 2012のメンバーに招集された。グループリーグは、全3試合とも途中交代で終盤から出場した。決勝トーナメントでは、ギリシャとの準々決勝では出場機会は無かったものの、イタリアとの準決勝ではスターティングメンバーに抜擢されアンドレア・ピルロのマンマークについたが、この試合ドイツは1-2で敗れ、大会を去ることとなった。

2014年、ワールドカップブラジル大会でも代表メンバーに選出され、グループリーグから決勝までの7試合すべてに出場。準決勝のブラジル戦では前半24分、26分と2分間で2ゴールを奪い、FIFAが選ぶマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[20]。大会ではフアン・クアドラードと並ぶ4アシストを記録したほか[21]、FIFAが分析システムを使用して採点した「カストロール・インデックス」では、同大会に出場した選手では最高評価となる9.79ポイントを得ている[22]ヨハン・クライフもワールドカップでの活躍を絶賛し[23]、同年のFIFAバロンドールにおいて最終候補に入らなかったことに異議を唱えた[24]

今までドイツ代表で10番として活躍していたルーカス・ポドルスキが代表を引退した事によりメスト・エジルが10番を着用することになったため、それまでエジルが代表で背負っていた背番号でありレアル・マドリーと同じ背番号の8番を継承した。

2018年、ワールドカップロシア大会ではグループリーグ初戦のメキシコに敗れた。2戦目のスウェーデン代表戦では、後半ロスタイムにクロースのフリーキックでの勝ち越しゴールにより勝利した[25]、最終戦で韓国に敗れグループリーグ敗退となった。

2020年10月13日、UEFAネーションズリーグ、第4節スイス戦で代表通算100試合出場を達成した[26]

2021年7月2日、UEFA EURO 2020の決勝トーナメント1回戦でイングランドに敗戦後、自身のSNSで代表引退を表明した[27]

2024年3月、ユリアン・ナーゲルスマン代表監督の求めに応じ、約3年ぶりとなる代表複帰を表明[28]、3月23日のフランスとの親善試合が代表複帰戦となった[29]

プレースタイル

長短での高いパス精度を誇っている[30][31]。上述にもある通り2015-16シーズン、メスタージャでのバレンシア戦でパス成功率が100%を記録した。試合のリズムを創る正確なプレーは、しばしばメトロノームに喩えられる[32][33]

パスだけでなく、カーブをかけたグラウンダーのインサイドキックでコースを狙うシュートも得意とする[34]

FCバルセロナシャビ・エルナンデスはクロースについて、「クロースはマドリーのエンジンだね。彼のプレイスタイルは多くの部分で僕を思わせるところがある。彼はフィールド上では僕の後継者のようだよ」と評価している[35]。また、元マンチェスター・ユナイテッドポール・スコールズは「パサーとしてゲームをコントロールするプレイヤーならばよりクロースに近い。彼は人と物理的に関わっていないのに、いろいろなところでゴールを決める」「世界最高のパサーだ。私は本当にクロースが好きだし、キャリアの終わりが近づいた時には彼のプレイをしっかりと見て参考にしようとしたんだ。」と語った[36][37][38]

ヨハン・クライフも「クロースはワンダフルだ。彼のプレーは正しいことばかり。彼のパスのペースは素晴らしい。すべてが見えているね。完璧に近い」と称賛している[39]

評価・エピソード

ユップ・ハインケスは「クロースの可能性は無限大」と評価している。クロースがバイエルンのトップチームに昇格した際、ゼ・ロベルトは「あの子のテクニックはまるでブラジル人のようだ。あんな17歳は見たことないよ。練習態度も真面目で特別な選手になるだろう」と評価している[3]カルロ・アンチェロッティは「クロースはとてつもない才能の持ち主だ。プレーのすべてが予測できない。走力に優れ、スペースに入り込む能力は稀に見るものがある」「お気に入りの選手」とフットボリスタのインタビューでコメントしている。バイエルンでのチームメイトであるフランク・リベリは「クロースが10番としてプレーすれば、私にとって非常にプラスになる。ボールが持てて、良いパスも出せる。私にとっての10番はクロースだ」と評価している。

また、2012年3月17日のヘルタ・ベルリン戦ではフリーキックの際に試合中にジャンケンをし、グーのクロースにパーで勝ったリベリがキッカーとなった。マリオ・ゲッツェとは親友で、ドイツ代表合宿でゲッツェがクロースにバイエルン移籍希望を打ち明けたことをクロースがバイエルン上層部に報告。これがきっかけとなりボルシア・ドルトムントからの電撃移籍が決定した、というエピソードをワールドサッカーダイジェストが紹介している。

2014年夏にレアル・マドリードに移籍することになるが、その少し前の時点ではマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が口頭合意していたと自身で述べている[40]。しかし直接面談をした相手であるデイビッド・モイーズが監督を解任されルイ・ファン・ハールが新監督となったことでこの話はストップし破談。2014 FIFAワールドカップ期間中にレアル・マドリードのカルロ・アンチェロッティから声がかかったことにより新たに交渉が始まった[41]

レアル・マドリードでクロースを指導したジネディーヌ・ジダンは「彼のポジションで世界最高の1人であり、スペクタクルな選手だ。クロースを指導できて私は幸せだよ」「彼がトレーニングしている姿は印象的で、真のプロフェッショナルだ。彼について語るということは、並外れた人物について語るということだ」「両足ともハイレベルで容易にプレーする点も魅力で、元々左利きの選手だと思われてもおかしくない」と賛辞を述べている[42]

現役を長く続けることにこだわりを持っておらず、2016年にレアル・マドリードとの契約を2022年までに延長した後に「トップパフォーマンスを維持した状態の時が、やめる正しいタイミングと考えている」と語っており[43]、1年の契約延長を行った後も「(僕のキャリアは)ずっと長くは続かないよ。38歳になるまでには、もうプレーしていないだろうね」と話している[44]

2013年にバイエルンの一員でFIFAクラブワールドカップ2013を、その翌年にはドイツ代表の一員で2014 FIFAワールドカップを、その後レアル・マドリードの一員としてFIFAクラブワールドカップ2014を制し、365日のうちに3度世界一を経験した。なお、ドイツ人で異なる2つのクラブで世界一になったサッカー選手はクロースが唯一である。

人物

個人成績

クラブシーズンリーグリーグ戦カップ戦国際大会その他合計
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
バイエルン・ミュンヘン2007-08ブンデスリーガ120206100201
2008-097011100091
通算190317100292
レバークーゼン2008-09ブンデスリーガ10130-00131
2009-1033920-00359
通算431050-004810
バイエルン・ミュンヘン2010-11ブンデスリーガ271317100373
2011-123146114200517
2012-13246309310379
2013-142926112140514
通算111131834275017623
レアル・マドリード2014-15プリメーラ3622012050552
2015-163210012000441
2016-172935012120484
2017-182750012040435
2018-19280408130431
2019-20354206121456
2020-212831012010423
2021-222813012220453
2022-233025012050522
通算2732122098524141727
総通算426444841471329167062
クラブシーズンリーグリーグ戦合計
出場得点出場得点
バイエルン・ミュンヘンII2007-08レギオナルリーガ123123
2008-093.リーガ1111
総通算134134

代表歴

出場大会

試合数


ドイツ代表国際Aマッチ
出場得点
2010130
2011112
2012102
201371
2014154
201560
2016123
201760
2018102
201960
202050
202150
202420
通算10817

代表での得点

#開催日開催地対戦国スコア結果大会
12011年9月6日 グダニスクPGEアリーナ・グダニスク ポーランド1–12–2親善試合
22011年11月11日 キエフオリンピスキ・スタジアム ウクライナ2–13–3
32012年10月12日 ダブリンアビバ・スタジアム アイルランド0–51–62014 FIFAワールドカップ予選
40–6
52013年9月6日 ミュンヘンアリアンツ・アレーナ オーストリア2–03–0
62014年7月8日 ベロオリゾンテエスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピント ブラジル0–31–72014 FIFAワールドカップ
70–4
82014年10月14日 ゲルゼンキルヒェンフェルティンス・アレーナ アイルランド1–01–1UEFA EURO 2016予選
92014年11月18日 ビーゴエスタディオ・デ・バライードス スペイン0–10–1親善試合
102016年3月26日 ベルリンベルリン・オリンピアシュタディオン イングランド1–02–3
112016年3月29日 ミュンヘン、アリアンツ・アレーナ イタリア1–04–1
122016年10月8日 ハンブルクフォルクスパルクシュタディオン チェコ2–03–02018 FIFAワールドカップ予選
132018年6月25日 ソチフィシュト・オリンピックスタジアム スウェーデン2–12–12018 FIFAワールドカップ
14.2018年10月16日 サン=ドニ、スタッド・ド・フランス フランス0–11-2UEFAネーションズリーグ2018-19
152019年9月6日 ハンブルクフォルクスパルクシュタディオン  オランダ2–22–4UEFA EURO 2020予選
162019年11月16日 メンヒェングラートバッハシュタディオン・イム・ボルシア・パルク  ベラルーシ3–04–0
174–0

タイトル

クラブ

バイエルン・ミュンヘン
レアル・マドリード

代表

ワールドカップ優勝を祝福するドイツ代表 (2014年)
ドイツ代表

個人

脚注

関連項目

外部リンク