ミス・ユニバース

ミス・ユニバース英語: Miss Universe)とは、国際的なミス・コンテストである。

ミス・ユニバース
受賞対象未婚の女性
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
主催ミス・ユニバース機構
初回1952年
最新回2023年
最新受賞者Sheynnis Palacios
公式サイトhttps://www.missuniverse.com
テレビ/ラジオ放送
放送局Roku
ミス・ユニバース
設立1952年
種類ミス・コンテスト
本部アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
公用語英語
ウェブサイトwww.missuniverse.com
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大会は世界各国の都市で開催され、世界の各国代表が参加して世界一の栄冠を競い合う美の祭典となっている。また、ミス・ワールドミス・インターナショナルミス・アースと合わせて世界四大ミスコンテストとも呼ばれ[1]、世界的に知名度の高いミス・コンテストの1つである。ミス・ユニバース1959に選ばれた児島明子のスピーチにより「美のオリンピック」とも言われる[2][注釈 1]

ミスユニバース世界大会グランプリ用たすき

歴史

ミス・ユニバース第2回大会(1953年

もともとは1926年から1935年までテキサス州ガルベストンで「International Pageant of Pulchritude」、別名「ミス・ユニバース」というミスコンテストが開催されていた。しかし世界大恐慌と第二次世界大戦の影響で消滅した。

1950年に開催された「ミス・アメリカ1951」の優勝者、Yolande Betbeze が、大会スポンサーの「カタリナ」(Catalina)から提供された水着でポーズをとることを拒んだことが「ミス・ユニバース」誕生のきっかけとなった。この一件で「カタリナ」を製造しているパシフィック・ミルズ社(Pacific Mills)はミス・アメリカのスポンサーから撤退し、独自のミスコンテスト「ミスUSA」とその世界版「ミス・ユニバース」を開催した。最初のミス・ユニバースはカリフォルニア州ロングビーチで行われたミス・ユニバース1952で、フィンランド代表のアルミ・クーセラが優勝した。

決勝は1952年から1971年までは毎回アメリカ合衆国国内で、1972年アメリカ合衆国の海外領土で開催されたが、1973年以降はアメリカ国外でも開催されるようになった。

1955年には最初のテレビ中継が始まった。1960年からCBSがミスUSAとミス・ユニバースの全米中継を行った。ミス・ユニバース社(パラマウント映画の関連会社)が保有していたが、1996年にドナルド・トランプがITT社の事業から買収し[3]、本部もロサンゼルスからニューヨークに移転。1998年にはミス・ユニバース機構に変更[4]2003年以降はNBCとの合弁事業となるが、トランプの大統領選挙による不適切発言でNBCは2015年1月に開催された第63回大会を最後に撤退。トランプはNBCが保有していた50%のミス・ユニバース機構の所有権を買い取り、100%の所有者となったが、3日後にWME/IMGに売却した[5]。トランプの関与が無くなったのを受けて、2015年12月の第64回大会FOXで放送された[6]。決勝は原則プライムタイムで生中継されている。また、ミス・ユニバース機構は決勝の放送権を世界各国のテレビ局に販売している。

日本からは1952年(昭和27年)以来、「ミス・ユニバース・ジャパン」の優勝者が日本代表となって大会に出場し、1953年には伊東絹子が3位で初入賞したほか、これまでに児島明子1959年)と森理世2007年)の二人が優勝してミス・ユニバースとなっている。また、アメリカ合衆国占領下の沖縄からは、1963年昭和38年)から1968年(昭和43年)までの6年間、独自の「沖縄代表」が世界大会に出場していた。

日本の朝日放送は、世界大会を1967年大会から[7]1974年大会までJNN系列で、1975年大会から1995年大会までANN系列で地上波全国ネットで録画放映していた(進行は英語のため、日本語吹き替え。日本語版の進行役ナレーターは同局アナウンサー)。しかし翌1996年からは撤退し、以降は放映していないが、1998年以降は、CS放送・ケーブルテレビなどのFOXチャンネル(日本語字幕入り)にて、世界大会の日本放映が復活している。

2002年大会から2007年までと2017年2018年は優勝者の王冠はミキモト製を使用していたが、2008年大会はベトナムのPNJ社製のクラウンを使用した。2009年から2013年までは人工宝石会社Diamond Nexus Labs製のクラウンを使用していた。2014年から2017年1月(2016年)大会まではチェコのダイヤモンド・インターナショナル・コーポレーションのクラウンを使用していた[8][9]2019年からはMouawad社製の王冠を使用している。

2012年4月10日、ミス・ユニバース機構は規約を改正し、翌2013年大会からトランスジェンダーにも門戸を開放することを発表した。2012年のカナダ大会に出場したジェナ・タラコバが、「生まれつき女性であること」とする条件に反していたことと、その後性別適合手術を受けたのを理由に失格となったものの、同機構の代表を務めていたドナルド・トランプの意向で失格を撤回させたことが背景にある[10][11]

選考方法

選考基準として、単なる外見の美しさだけではなく、知性・感性・人間性・誠実さ・自信などの内面も重視される。加えて、社会に積極的に貢献したいという社会性やスピーチ力を兼ね備え、世界の各国代表と対等に交流できる国際的な女性像が求められる[12]

大会では、各国代表が事前審査・水着審査・イブニングドレス審査・スピーチや質疑応答といった何次かの選考(勝ち抜き方式)に臨みながら徐々に進出者数が絞られていき、最終的にミス・ユニバース世界大会優勝者が決定される。また全参加者を対象に、フォトジェニック賞やナショナル・コスチューム賞といった部門賞も決定される。

かつては地域に関係なく選考が進められていたが、2017年大会から第一次選考方法が大きく変更された。参加国を「アフリカアジア太平洋」「ヨーロッパ」「アメリカ(北中南米)」の3つのグループに分け、各々からまず4名ずつ通過者を選出し、更に地域を問わず4名を追加選出するシステムが採用された[13]

国の代表に選ばれると、副賞として多額の賞金、高級車を贈呈される。なお、ミス・ユニバース2006年世界大会で第2位となった知花くららによると、ミス・ユニバースの活動内容について「ニューヨーク市を拠点に、1年間世界各地をまわって、開発途上国などでチャリティー活動を行います。HIV撲滅のチャリティー活動がメインですね」と述べており[14]、社会貢献活動が中心となる。

ミス・ユニバース機構

JKNグローバル・グループが出資しているミス・ユニバース機構はニューヨークに本部を置く組織で、ミス・ユニバースを主催している。慈善奉仕活動や、各種公式行事などのプロモーション活動に出席し、世界中の慈善活動の資金提供を受ける特典及び義務を与えられるほか、記念のサッシュ(賞の名前が記されたタスキ状の布)が貸与される。

かつては本大会の米国代表選考会ミスUSAと、その妹版ミス・ティーンUSAも主催していたが、2023年8月に運営権を手放すことになった。

歴代のミス・ユニバース

ミス・ユニバース国内タイトル国・地域開催地会場
1952 アルミ・クーセラスオミネイトフィンランドアメリカ・ロングビーチロングビーチ市公会堂
1953 クリスティアン・マルテルミス・フランスフランス
1954 ミリアム・スティーブンソンミスUSAアメリカ
1955 ヒレヴィ・ロンビンミス・スウェーデンスウェーデン
1956 キャロル・モリスミスUSAアメリカ
1957 グラディス・ツェンダーミス・ペルーペルー
1958 ルス・マリナ・スールアガミス・コロンビアコロンビア
1959 児島明子ミス・ユニバース・ジャパン日本
1960 リンダ・ビメントミスUSAアメリカアメリカ・マイアミビーチマイアミビーチ市公会堂
1961 マルレーネ・シュミットミス・ジャーマニードイツ
1962 ノルマ・ノーランベレーサ・アルゼンティーナアルゼンチン
1963 イエダ・マリア・バルガスミス・ブラジルブラジル
1964 コリナ・ツォペイーギリシャのスターギリシャ
1965 アプサラ・ホンサクンミス・タイランドタイ
1966 マルガレータ・アルヴィットソンミス・スウェーデンスウェーデン
1967 シルヴィア・ヒッチコックミスUSAアメリカ
1968 マーサ・バスコンセロスミス・ブラジルブラジル
1969 グロリア・ディアスミス・ユニバース・フィリピンフィリピン
1970 マリソル・マラレミス・プエルトリコプエルトリコ
1971 ジョルジーナ・リザークミス・レバノンレバノン
1972 ケリー・アン・ウェルズミス・ユニバース・オーストラリアオーストラリアプエルトリコ・ドラドケロマール・ビーチ・ホテル Cerromar Beach Hotel
1973 マリア・マルガリータ・モランミス・ユニバース・フィリピンフィリピンギリシャ・アテネヘロディス・アッティコス音楽堂
1974 アンパロ・ムニョスミス・エスパーニャスペインフィリピン・マニラ民俗芸術劇場
1975 アンネ=マリー・ポータモミス・フィンランドフィンランドエルサルバドルサンサルバドル国立体育館
1976 リナ・メッシンガーミス・イスラエルイスラエル香港リー・シアター(利舞臺)
1977 ハネリュ・コミシオンミス・ユニバース・トリニダード・トバゴトリニダード・トバゴドミニカ共和国サントドミンゴ国立劇場
1978 マーガレット・ガーディナーミス・南アフリカ南アフリカメキシコアカプルコアカプルコ・コンベンション・センター
1979 マリツァ・サヤレロミス・ベネズエラベネズエラオーストラリア・パースパース・エンターテインメント・センター
1980 ショーン・ウェザリーミスUSAアメリカ韓国ソウル世宗文化会館
1981 イレネ・サエスミス・ベネズエラベネズエラアメリカ・ニューヨークミンスコフ劇場
1982 カレン・ダイアン・ボールドウィンミス・ユニバース・カナダカナダペルー・リマアマウタ・コロシアム
1983 ロレーン・ダウンズミス・ユニバース・ニュージーランドニュージーランドアメリカ・セントルイスキール・オーディトリアム
1984 イボンヌ・ライディングミス・スウェーデンスウェーデンアメリカ・マイアミジェームズ・L・ナイト・センター・マイアミ
1985 デボラ・カーシー=デューミス・プエルトリコプエルトリコ
1986 バーバラ・パラシオスミス・ベネズエラベネズエラパナマパナマシティアトラパ・コンベンション・センター
1987 セシリア・ボロッコミス・ユニバース・チリチリシンガポールワールド・トレード・センター
1988 ポーンティップ・ナキランカノークミス・タイランドタイ台湾台北國立體育大學綜合體育館(林口體育館)
1989 アンヘラ・フィッサーミス・ユニバース・ネーデルラントオランダメキシコ・カンクンホテル・フィエスタ・アメリカーナ・コンデサ
1990 モナ・グルートミス・ノルウェーノルウェーアメリカ・ロサンゼルスシューバート・シアター
1991 ルピタ・ジョーンズミス・メキシコメキシコアメリカ・ラスベガスアラジン
1992 ミシェル・マクレーンミス・ナミビアナミビアタイ・バンコククイーン・シリキット・ナショナル・コンベンション・センター
1993 ダヤナラ・トレスミス・プエルトリコプエルトリコメキシコ・メキシコシティナショナル・オーディトリアム
1994 スシュミタ・セーンフェミナ・ミス・インディアインドフィリピン・パサイフィリピン国際コンベンションセンター
1995 チェルシー・スミスミスUSAアメリカナミビア・ウィントフックウィントフック・カントリー・クラブ
1996 アリシア・マチャドミス・ベネズエラベネズエラアメリカ・ラスベガスアラジン
1997 ブルック・マヘアラニ・リーミスUSAアメリカアメリカ・マイアミビーチマイアミビーチ・コンベンションセンター
1998 ウェンディ・フィッツウィリアムミス・ユニバース・トリニダード・トバゴトリニダード・トバゴアメリカ・ホノルルスタン・シェリフ・センター
1999 ムプル・クェラゴベミス・ユニバース・ボツワナボツワナトリニダード・トバゴ・チャグアラマスチャグアラマス・コンベンション・センター Chaguaramas Convention Centre
2000 ララ・ダッタフェミナ・ミス・インディアインドキプロスニコシアエレフセリア体育館
2001 デニス・キニョーネスミス・ユニバース・プエルトリコプエルトリコプエルトリコ・バヤモンルーベン・ロドリゲス競技場
2002 オクサーナ・フョードロワ (剥奪)ミス・ロシアロシアプエルトリコ・サンフアンロベルト・クレメンテ・コロシアム
ジャスティーン・パセクミス・パナマパナマ
2003 アメリア・ベガミス・ドミニカ共和国ドミニカ共和国パナマ・パナマシティフィガリ・コンベンション・センター
2004 ジェニファー・ホーキンスミス・ユニバース・オーストラリアオーストラリアエクアドルキト南半球エクスポ・コンベンション・センター
2005 ナタリー・グレボヴァミス・ユニバース・カナダカナダタイ・ノンタブリー県インパクト・アリーナ
2006 スレイカ・リベラミス・ユニバース・プエルトリコプエルトリコアメリカ・ロサンゼルスシュライン・オーディトリアム
2007 森理世ミス・ユニバース・ジャパン日本メキシコ・メキシコシティナショナル・オーディトリアム
2008 ダイアナ・メンドーサミス・ベネズエラベネズエラベトナムニャチャンクラウン・コンベンション・センター
2009 ステファニア・フェルナンデスミス・ベネズエラベネズエラバハマナッソーアトランティス・パラダイス・アイランド
2010 ヒメナ・ナバレッテ我らが美女メキシコメキシコアメリカ・ラスベガスマンダレイ・ベイ・イベント・センター
2011 レイラ・ロペスミス・アンゴラアンゴラブラジル・サンパウロクレディカード・ホール
2012 オリビア・カルポミスUSAアメリカアメリカ・ラスベガスプラネット・ハリウッド・リゾート・アンド・カジノ
2013 マリア・ガブリエラ・イスレルミス・ベネズエラベネスエラロシア・モスクワ州クラスノゴルスククロッカス・シティ・ホール
2014(2015年1月) パウリナ・ベガミス・コロンビアコロンビアアメリカ・マイアミフロリダ国際大学
2015 ピア・アロンゾ・ウォルツバック英語版ミス・ユニバース・フィリピンフィリピンアメリカ・ラスベガスプラネット・ハリウッド・リゾート・アンド・カジノ
2016(2017年1月) イリス・ミトゥネールフランス語版ミス・フランスフランスフィリピン・パサイモール・オブ・アジア・アリーナ
2017 デミ=リー・ネル=ピーターズミス・南アフリカ南アフリカアメリカ・ラスベガスプラネット・ハリウッド・リゾート・アンド・カジノ
2018 カトリオナ・グレイミス・ユニバース・フィリピンフィリピンタイノンタブリー県インパクト・アリーナ
2019 ゾジビニ・ツンジミス・南アフリカ南アフリカアメリカ・アトランタタイラー・ペリー・スタジオ
2020(2021年5月) アンドレア・メサ我らが美女メキシコメキシコアメリカ・ハリウッドセミノール・ハード・ロック・ホテル・アンド・カジノ
2021 ハルナーズ・カウル・サンドゥフェミナ・ミス・インディアインドイスラエル・エイラートユニバース・ドーム
2022(2023年1月) ロボニー・ガブリエルミスUSAアメリカアメリカ・ニューオーリンズニューオーリンズ・モリアル・コンベンション・センター
2023(11月) Sheynnis Palaciosエルサルバドル国立体育館

近年のミス・ユニバース

優勝者出身国一覧

2022年現在

ミス・ユニバースを獲得した国と回数(ロシアは剥奪1回)
優勝回数優勝年
アメリカ合衆国91954, 1956, 1960, 1967, 1980, 1995, 1997, 2012, 2022
ベネズエラ71979, 1981, 1986, 1996, 2008, 2009, 2013
プエルトリコ51970, 1985, 1993, 2001, 2006
フィリピン41969, 1973, 2015, 2018
 スウェーデン31955, 1966, 1984
南アフリカ共和国31978, 2017, 2019
メキシコ31991, 2010, 2020
インド31994, 2000, 2021
 コロンビア21958, 2014
日本21959, 2007
カナダ21982, 2005
オーストラリア21972, 2004
トリニダード・トバゴ21977, 1998
タイ21965, 1988
 フィンランド21952, 1975
ブラジル21963, 1968
フランス21953, 2016
ドミニカ共和国12003
パナマ12002
ボツワナ11999
ナミビア11992
 ノルウェー11990
オランダ11989
 チリ11987
ニュージーランド11983
イスラエル11976
スペイン11974
レバノン11971
ギリシャ11964
アルゼンチン11962
ドイツ11961
ペルー11957
アンゴラ12011
  • ミス・ユニバース機構は2002年の優勝後にタイトルを剥奪したオクサーナ・フョードロワをミス・ユニバースと認めるのを拒否するが、一般的には彼女は元ミス・ユニバースとして見なされることが多く、母国ロシアでも「ミス・ユニバース2002」として扱われている。
  • ミス・ユニバース2006のスレイカ・リベラは、優勝後約1年間、イベントを欠席するなどミス・ユニバースとしての仕事への態度があまり熱心でなかったことから、2008年彼女への批判があったことが判明した。だが、タイトル剥奪されることはなく、同年総合2位の日本代表・知花くらら(ナショナル・コスチューム部門最優秀賞)が、繰り上げ優勝となることはなかった。

歴代の日本代表

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク