セスク・ファブレガス

スペインのサッカー選手

セスク・ファブレガス(Cesc Fàbregas)ことフランセスク・ファブレガス・ソレール(Francesc Fàbregas Soler, 1987年5月4日 - )は、スペインカタルーニャ州アレニズ・ダ・マールカタルーニャ語版出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダーフォワード。愛称は「セスク (Cesc) 」。

セスク・ファブレガス
チェルシーでのセスク (2015年)
名前
本名フランセスク・ファブレガス・ソレール
Francesc Fàbregas Soler
愛称セスク、エル・アルキテクト
ラテン文字Cesc Fabregas
基本情報
国籍スペインの旗 スペイン
生年月日 (1987-05-04) 1987年5月4日(36歳)
出身地アレニズ・ダ・マール英語版
身長180cm[1]
体重75kg[1]
選手情報
ポジションMF (CMF) / FW(ST)
利き足右足
ユース
1995-1997スペインの旗 マタロー英語版
1997-2003スペインの旗 バルセロナ
2003イングランドの旗 アーセナル
クラブ1
クラブ出場(得点)
2003-2011イングランドの旗 アーセナル 212 (35)
2011-2014スペインの旗 バルセロナ 96 (28)
2014-2019イングランドの旗 チェルシー 138 (15)
2019-2022モナコの旗 モナコ 54 (3)
2022-2023イタリアの旗 コモ 17 (0)
通算517 (81)
代表歴
2002-2003 スペイン U-168 (0)
2003-2004 スペイン U-1714 (7)
2005 スペイン U-205 (0)
2004-2005 スペイン U-2112 (8)
2006-2016スペインの旗 スペイン110 (15)
監督歴
2023-イタリアの旗 コモ プリマヴェーラ
2023-イタリアの旗 コモ B
2023-イタリアの旗 コモ (暫定)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年7月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ経歴

バルセロナ

FCバルセロナカンテラで育つ。ここでリオネル・メッシジェラール・ピケらと共にプレーした。2003年のU-17世界選手権にU-17スペイン代表の一員として出場し準優勝を果たす。自身も5ゴールを挙げて得点王となると共に、大会最優秀選手に選出された。FCバルセロナでも才能は認められていたものの、トップチームにはシャビ・エルナンデスイニエスタなどの同ポジションの選手がいたため、大会後間もなく才能に惚れ込んだアーセン・ヴェンゲル率いるアーセナルがスペイン、イングランドの労働法の隙間やFCバルセロナの会長選という期間を狙って移籍金なしで獲得した。その後、裁判所からFCバルセロナへの85万7000ユーロの支払い命令が下った。

アーセナル

アーセナルでキャプテンとしてプレーするセスク

パトリック・ヴィエラの放出に伴いチームの舵取りを委ねられた2005-06シーズンには、シーズン当初は経験不足を感じさせるプレーも多かったものの、シーズンが深まるにつれて調子を上げ、それにつれチームも波に乗っていった。UEFAチャンピオンズリーグユヴェントス戦ではゲームを支配し、自ら先制点を奪う活躍を見せてチームの勝利を演出。前任者ヴィエラの眼前でその穴を埋めたことを示してみせた。

2006-2007シーズンより、ヴィエラが背負っていた背番号4番を受け継ぐことになった。シーズンオフより移籍の噂が絶えなかったが、新たにアーセナルと8年契約を結んだ。また2007年1月に発表された「2006年UEFA.comユーザーが選ぶベストイレブン」に、唯一10代で選ばれた。また、同シーズンはプレミアリーグでアシストランキング1位となった。

2008年11月29日のFCディナモ・キエフ戦からはウィリアム・ギャラスに代わってキャプテンを任されている。アーセナルではトニー・アダムスに次ぐクラブ史上2番目の若さとなるキャプテン就任となった。

バルセロナ

バルセロナの入団セレモニーでのセスク

2011年8月15日、ユース時代に所属していたFCバルセロナへ5年契約で移籍。移籍金は最大3900万ユーロ(約43億円)といわれる。背番号はアーセナル時代から愛着のある4番。開幕から、本来のポジションとは違うセンターフォワードを任されながらも、3試合連続ゴール。しかし、10月初めの練習中に負傷。3週間の離脱を余儀なくされた[2]。しかし、復帰後も離脱前と変わらない活躍を見せる。12月10日のレアル・マドリードとのクラシコでは、素早いカウンターからダニエウ・アウヴェスのピンポイントクロスをダイビングヘッドで押し込み、試合を決定づける3点目を決めた。12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝でも混戦の中からこぼれ球を押しこみ3点目をマークしている。この時、カメラに向かって指を7本立てるパフォーマンスを披露し、準決勝のアル・サッド戦で左足脛骨を骨折し戦線離脱したチームメイトのダビド・ビジャ(背番号7)にゴールを捧げた。

チェルシー

2014年、QPR戦でのセスク(右側はカール・ヘンリー)

2014年6月13日に古巣アーセナルのライバルであるチェルシーFCへの移籍が発表された。背番号はアーセナル、バルセロナ時代に続き4番となった。開幕戦からボランチとしてレギュラーに定着すると、ともにリーグ最多の18アシスト、2,236本のパス成功を記録[3]。移籍初年度からプレミアリーグの優勝を飾った。

2016年12月31日のストーク戦にてプレミアリーグでの100アシストを達成した[4]。これにより、セスクはライアン・ギグスの367試合よりも約70試合少ない293試合で100アシストを達成した選手となり、2018年にこの記録はギネス世界記録に認定された。なお、セスクは2017年にリヴァプールトッテナムで活躍したジェイミー・レドナップ氏とともに「2人組で30秒間ボレーパス」に挑戦してギネス世界記録(15回)を獲得している[5]

2017年2月4日には古巣のアーセナル相手に得点した一方、セレブレーションは控えた。25日のスウォンジー戦でプレミアリーグ300試合出場を達成、またこの時点で、プレミアリーグでのアシスト数102回で歴代リーグ2位タイに並んだ(もう一人はフランク・ランパード)[6]

モナコ

2019年1月11日、元同僚のティエリ・アンリ監督率いるASモナコに2022年6月までの3年半契約で移籍[7]。2月2日のトゥールーズFC戦にて移籍後リーグ戦初ゴールを決めた[8]

コモ

2022年8月1日、セリエBのカルチョ・コモに移籍した[9]。2023年7月1日、サッカー選手として現役を引退することを発表。同時に、引退後はコモのBチームとU-19チームの監督に就任することも発表された[10]。2023年11月13日監督を務めていたモレノ・ロンゴ氏が解任されたため暫定監督に就任した。

代表経歴

2006年3月1日にバリャドリードで行われたコートジボワール戦でスペイン代表デビュー。1アシストを記録した。代表デビュー以降、リオネル・メッシ(2005年のFIFAワールドユース選手権準々決勝で対戦)と同い年のティーンエイジャーという話題性も手伝って、「超新星」などと称してマスメディアに取り上げられ、2006年ワールドカップドイツ大会にも出場を果たした。また、EURO2008でのスペイン代表では10番を背負い、その中盤はシャビ・エルナンデスアンドレス・イニエスタダビド・シルバらと共に「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者たち)」と称された。

EURO2008本大会グループステージ1戦目のロシア戦で、代表初ゴール。シャビやマルコス・セナの控えとして臨んだ大会であったが、スーパーサブとして活躍。準々決勝のイタリア戦のPK戦では5人目のキッカーを務め、「15歳の時からまともにPKを蹴ったことがない(本人談)」にも関わらず、イタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンの動きを読み、落ち着いて沈め、スペインの勝利を決めた。準決勝のロシア戦では、セルヒオ・ラモスからのグラウンダーのパスを、柔らかいタッチでふわりと浮かせ、前方へ走り込むダニエル・グイサの胸にピタリと合わせ、ゴールを演出。さらに、左サイドに空いたスペースでイニエスタからのパスを受けると、相手守備陣が戻り切れていないゴール前に走り込むシルバへ低い弾道の正確なセンタリングを送り、これをシルバが落ち着いてゴール左隅に決めた。これら2アシストを含む4アシスト(大会最多)を記録するなど、スペインの優勝に貢献した。

2010年のワールドカップでもスーパーサブとして臨み、主に膠着状態を打破するために途中出場した。決勝戦のオランダ戦では80分から投入され、延長後半のイニエスタの決勝点をアシストするなど活躍した。

2014 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第1戦のオランダ戦、第3戦のオーストラリア戦にそれぞれ途中出場したのみとなり、チームもグループリーグ敗退という結果に終わった[11][12]

2015年10月12日のUEFA EURO 2016予選ウクライナ戦で代表通算100試合出場を達成した[13]

エピソード

バルセロナ入団セレモニーでのセスク

個人成績

クラブでの成績

クラブシーズン背番号リーグ戦カップ戦リーグ杯UEFAその他通算
ディビジョン出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
アーセナル2003-0457プレミアリーグ003100000031
2004-05153326010501[a]0463
2005-0635300101311[a]1505
2006-0743822040102-544
2007-083271020106-4513
2008-092231000100-333
2009-102715100084-3619
2010-11253323153-369
クラブ通算2123514214261172130357
バルセロナ2011-124プリメーラ28983-913[b]24815
2012-13321172-811[c]04814
2013-1436884-912[c]05513
クラブ通算9628239-2636215142
チェルシー2014-154プレミアリーグ343104082-475
2015-163754010711[a]0496
2016-172956022--377
2017-183224040811[a]0493
2018-19601031501[a]0161
クラブ通算138151601332743019822
モナコ2018-1944リーグ・アン1311010--151
2019-2041802020--220
2020-2121251---263
2021-222000-30-50
クラブ通算543813030-684
コモ2022-234セリエB17000---170
クラブ通算17000---170
キャリア総通算51781611230511824113738125

代表での成績

出場大会

試合数

国際Aマッチ 105試合 15得点(2006年-2016)


スペイン代表国際Aマッチ
出場得点
2006140
200780
2008151
2009104
2010101
201142
2012133
2013112
201480
201581
201691
通算11015

代表での得点

#開催日開催地対戦国スコア結果大会
1.2008年6月10日 インスブルックティヴォリ・シュターディオン ロシア4–14–1UEFA EURO 2008
2.2009年6月14日 ルステンブルクロイヤル・バフォケン・スタジアム ニュージーランド4–05–0コンフェデ杯2009
3.2009年9月9日 メリダエスタディオ・ロマーノ エストニア1–03–0南アフリカW杯・欧州予選
4.2009年10月10日 エレバンハンラペタカン・スタディウム アルメニア1–02–1南アフリカW杯・欧州予選
5.2009年11月18日 ウィーンエルンスト・ハッペル・シュターディオン オーストリア1–15–1親善試合
6.2010年6月8日 ムルシアエスタディオ・ヌエバ・コンドミーナ ポーランド4–06–0親善試合
7.2011年9月2日 ザンクト・ガレンAFGアレナ チリ2–23–2親善試合
8.3–2
9.2012年6月10日 グダニスクPGEアリーナ・グダニスク イタリア1–11–1UEFA EURO 2012
10.2012年6月14日 グダニスクPGEアリーナ・グダニスク アイルランド4–04–0UEFA EURO 2012
11.2012年8月15日 バヤモン、エスタディオ・フアン・ラモン・ローブリエル プエルトリコ2–02–1親善試合
12.2013年2月6日 ドーハハリーファ国際スタジアム ウルグアイ1–03–1親善試合
13.2013年6月8日 マイアミサンライフ・スタジアム ハイチ2–02–1親善試合
14.2015年6月11日 レオンエスタディオ・レイノ・デ・レオン コスタリカ2–12–1親善試合
15.2016年6月1日 ザルツブルクレッドブル・アレーナ 韓国2–06–1親善試合

タイトル

クラブ

スペインでのEURO2008優勝パレードの様子。
アーセナルFC
FCバルセロナ
チェルシーFC

代表

スペイン代表

個人

脚注

関連項目

外部リンク