カズオ・イシグロ

イギリスの小説家 (1954-)

サー・カズオ・イシグロSir Kazuo Ishiguro OBE FRSA FRSL、日本語: 石黒 一雄1954年11月8日 - )は、イギリスの小説家、脚本家。長編小説『日の名残り』で、1989年にイギリス最高の文学賞とされるブッカー賞を、2017年にノーベル文学賞を受賞した[2]。日本の長崎県で生まれ、1960年に両親と共にイギリスに移住した。

サー・カズオ・イシグロノーベル賞受賞者
Sir Kazuo Ishiguro
スウェーデンストックホルムにて
(2017年12月6日)
誕生石黒一雄
(1954-11-08) 1954年11月8日(69歳)
日本の旗 日本長崎県長崎市
職業小説家
言語英語
国籍日本の旗 日本(1954年-1983年)  イギリスの旗 イギリス[注 1][1]
最終学歴イースト・アングリア大学大学院
ケント大学
活動期間1980年 -
ジャンル小説
代表作浮世の画家』(1986年)
日の名残り』(1989年)
わたしを離さないで』(2005年)
忘れられた巨人』(2015年)
主な受賞歴ブッカー賞(1989年)
ノーベル文学賞(2017年)
ナイト(2018年)
デビュー作「不思議に、ときには悲しく」(1980年)
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2017年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた。

経歴

生い立ち

長崎市新中川町[3]で、海洋学者の父・石黒鎮雄英語版1920年 - 2007年[4]と母・静子の間に生まれる[5]。祖父の石黒昌明は滋賀県大津市出身の実業家で、東亜同文書院(第5期生[6]、1908年卒)で学び、卒業後は伊藤忠商事天津支社に籍を置き、後に上海に設立された豊田紡織廠取締役になる[7][8]。父の石黒鎮雄は1920年4月20日に上海で生まれ、明治専門学校電気工学を学び[9]1958年エレクトロニクスを用いた波の変動の解析に関する論文[10]東京大学より理学博士号を授与された海洋学者であり、高円寺気象研究所勤務の後、1948年長崎海洋気象台に転勤となり、1960年まで長崎に住んでいた。長崎海洋気象台では副振動の研究などに携わったほか、海洋気象台の歌を作曲するなど音楽の才能にも恵まれていた[11][12]。母の静子は長崎原爆投下時10代後半で、爆風によって負傷した[13]

幼少期には長崎市内の幼稚園(長崎市立桜ヶ丘幼稚園)に通っていた[14]1960年に父が国立海洋研究所英語版所長ジョージ・ディーコン英語版の招きで渡英し、暴風によって発生し、イギリスやオランダの海浜地帯に深刻な災害をもたらした1953年北海大洪水を、電子回路を用いて相似する手法で研究するため、同研究所の主任研究員となる[15][16][17][18][19][20]北海油田調査をすることになり、一家でサリー州ギルフォードに移住、現地の小学校・グラマースクールに通う。卒業後にギャップ・イヤーを取り、北米を旅行したり、デモテープを制作しレコード会社に送ったりしていた[21]

1974年ケント大学英文学科、1980年にはイースト・アングリア大学大学院創作学科に進み、批評家で作家マルカム・ブラッドベリ英語版の指導を受け、小説を書き始めた。卒業後に一時はミュージシャンを目指していた時期もあったが、グラスゴーとロンドンにて社会福祉事業に従事する傍ら、作家活動を始める[22]

作家活動

フェイバー社が刊行する『新人集・七』に収められた3作の短篇「不思議に、ときには悲しく」(1980年)、「Jを待ちながら」「毒殺」(1981年)でデビューした[22]。1982年、英国に在住する長崎女性の回想を描いた処女作『女たちの遠い夏』(日本語版はのち『遠い山なみの光』と改題、原題:A Pale View of Hills) で王立文学協会賞を受賞し、9か国語に翻訳される。1983年、イギリスに帰化する[23]1986年、長崎を連想させる架空の町を舞台に戦前の思想を持ち続けた日本人を描いた第2作『浮世の画家』(原題:An Artist of the Floating World) でウィットブレッド賞を受賞し、若くして才能を開花させた[20]。同年にイギリス人のローナ・アン・マクドゥーガルと結婚する。

1989年、英国貴族邸の老執事が語り手となった第3作『日の名残り』(原題:The Remains of the Day)で英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を35歳の若さで受賞し、イギリスを代表する作家となった[20]。この作品は1993年に英米合作のもと、ジェームズ・アイヴォリー監督・アンソニー・ホプキンス主演で映画化された。2019年には舞台化予定[24]

1995年、第4作『充たされざる者』(原題: The Unconsoled) を出版する。2000年、戦前の上海租界を描いた第5作『わたしたちが孤児だったころ』(原題:When We Were Orphans) を出版、発売と同時にベストセラーとなった。2005年、『わたしを離さないで』を出版する。2005年のブッカー賞の最終候補に選ばれる。この作品も後に映画化・舞台化されて大きな話題を呼んでいる[20]。同年公開の英中合作映画『上海の伯爵夫人』の脚本を担当した。

2015年、長編作品の『忘れられた巨人』(原題:The Buried Giant)を英国米国で同時出版。アーサー王の死後の世界で、老夫婦が息子に会うための旅をファンタジーの要素を含んで書かれている[20]

2017年ノーベル文学賞を受賞[20]。受賞理由として「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」などとされた[25]

日本の早川書房から出版された小説全8作の累計発行部数は2017年10月14日までの増刷決定分を含めて約203万部[26]。2017年10月23日付のオリコン週間“本”ランキング(文庫部門)では、7作のイシグロ作品がトップ100入りした[27]

2022年の英国映画生きる LIVING』(オリバー・ハーマナス監督、ビル・ナイ主演)の脚本を、黒澤明監督の1952年の映画『生きる』をもとに書いた。2023年、この映画はアカデミー脚本賞にノミネートされた。[28]

人物

1995年に大英帝国勲章(オフィサー)、1998年にフランス芸術文化勲章、2018年に日本の旭日重光章を受章している。2008年には『タイムズ』紙の「1945年以降の英文学で最も重要な50人の作家」の一人に選ばれた。作品の特徴として、「違和感」「むなしさ」などの感情を抱く登場人物が過去を曖昧な記憶や思い込みを基に会話・回想する形で描き出されることで、人間の弱さや、互いの認知の齟齬が読み進めるたびに浮かび上がるものが多い。作家の中島京子は非キリスト教文化圏の感受性を持ちながら、英国文学の伝統の最先端にいる傑出した現代作家であり、受賞は自身のことのように嬉しいと述べている[20]。多くのイシグロ作品を翻訳した土屋政雄はイシグロを非常に穏やかな人と述べた上で、ノーベル文学賞の受賞にはもう少し時間がかかると思っていたので今回の受賞には驚いたと語っている[29]

ピアノやギターをたしなむ。10代のころはシンガーソングライター志望であった。ボブ・ディランのファンであり、ノーベル文学賞受賞の際には「(前年の受賞者である)ボブ・ディランの次に受賞なんて、素晴らしい」と語った。また、ジャズ歌手であるステーシー・ケントのために、ケントの夫でサックス奏者のジム・トムリンソンとともに数曲を共作した[30]

2018年6月9日にKnight Bachelorに叙され[31]サーの称号を得た。

日本との関わり

両親とも日本人で、幼年期に渡英してからも日本国籍を保有していたが、成人を機にイギリス国籍を選択した[32]。2015年1月20日に英国紙の『ガーディアン』で、英語が話されていない家で育ったことや母親とは今でも日本語で会話すると述べている。さらに英語が母語の質問者に対して、「I'm pretty rocky, especially around vernacular and such. 」など「言語学的には同じくらいの堅固な(英語の)基盤を持っていません[33]」と返答している[34]。最初の2作は日本を舞台に書かれたものであるが、自身の作品には日本の小説との類似性はほとんどないと語っている。

1990年のインタビューでは「もし偽名で作品を書いて、表紙に別人の写真を載せれば『日本の作家を思わせる』などという読者は誰もいないだろう」と述べている[35]谷崎潤一郎など多少の影響を受けた日本人作家はいるものの、むしろ小津安二郎成瀬巳喜男などの1950年代の日本映画により強く影響されているとイシグロは語っている[36]。日本を題材とする作品には、上記の日本映画に加えて、幼いころ過ごした長崎の情景から作り上げた独特の日本像が反映されていると報道されている[20]

1989年に国際交流基金の短期滞在プログラムで再来日し、大江健三郎と対談した際、最初の2作で描いた日本は想像の産物であったと語り、「私はこの他国、強い絆を感じていた非常に重要な他国の、強いイメージを頭の中に抱えながら育った。英国で私はいつも、この想像上の日本というものを頭の中で思い描いていた」と述べた[37]

2017年10月のノーベル文学賞の受賞後にインタビューで、「予期せぬニュースで驚いています。日本語を話す日本人の両親のもとで育ったので、両親の目を通して世界を見つめていました。私の一部は日本人なのです。私がこれまで書いてきたテーマがささやかでも、この不確かな時代に少しでも役に立てればいいなと思います」と答えた[38]。なお、ノーベル財団では公式な国別の受賞者リストを出していないという立場であり、公式ホームページにおける出生国による受賞者のリストは便宜上の非公式なものである。ノーベル財団は公式のプレスリリースにおいて「2017年度のノーベル文学賞は英文学作家のカズオ・イシグロに授与された」(The Nobel Prize in Literature for 2017 is awarded to the English author Kazuo Ishiguro.)と発表している[39]

2018年に故郷である長崎県および長崎市からそれぞれ名誉県民並びに名誉市民の称号が贈られ、同年7月3日にロンドンに於いて長崎県知事中村法道長崎市長田上富久からそれぞれ証書と記念品が授与された[40]。イシグロは“故郷”からの表彰に「長崎は私の体の一部で、名誉称号は自然なこと。特別で心温まるものだ」とその喜びを語っている[40]

私生活・家族 

1986年、ソーシャル・ワーカーのローナン・アン・マクドゥガルと結婚[41]。娘のナオミ・イシグロもまた作家である[42]

作品

長編小説

邦題原題出版年翻訳者翻訳出版年
遠い山なみの光[注 2]A Pale View of Hills1982年小野寺健1984年
浮世の画家An Artist of the Floating World1986年飛田茂雄1988年
日の名残りThe Remains of the Day1989年土屋政雄1990年
充たされざる者英語版The Unconsoled1995年古賀林幸1997年
わたしたちが孤児だったころWhen We Were Orphans2000年入江真佐子2001年
わたしを離さないでNever Let Me Go2005年土屋政雄2006年
忘れられた巨人The Buried Giant2015年土屋政雄2015年
クララとお日さまKlara and the Sun2021年土屋政雄2021年

『クララとお日さま』は2021年3月、英Faber & Faber社、米Knopf社、早川書房の世界同時発売[43]

短編小説

邦題原題出版年
’A Strange and Sometimes Sadness’

‘Waiting for J’

‘Getting Poisoned’ [注 3]

1981年
‘October, 1948’1985年
戦争のすんだ夏‘The Summer after the War’1990年
夕餉‘A Family Supper’1990年
日の暮れた村‘A Village After Dark’[44]2001年
夜想曲集―音楽と夕暮れをめぐる五つの物語英語版Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall

‘Crooner’

‘Come Rain or Come Shine’

‘Malvern Hills’

‘Nocturne’

‘Cellists’ [注 4]

2009年

脚本

  • A Profile of Arthur J. Mason (1984年) テレビ作品
  • The Gourmet (1987年) テレビ作品
  • 世界で一番悲しい音楽 The Saddest Music in the World (2003年) 映画
  • 上海の伯爵夫人 The White Countess (2005年) 映画
  • 生きる LIVING Living(2022年) 映画

作詞

  • Stacey kent / The Ice Hotel
  • Stacey kent / I Wish I Could Go Travelling Again
  • Stacey kent / Breakfast on the Morning Tram
  • Stacey kent / So Romantic
  • Stacey kent / The Summer We Crossed Europe In The Rain
  • Stacey kent / Waiter, Oh Waiter
  • Stacey kent / The Changing Lights

その他

  • 特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー ノーベル文学賞受賞記念講演(2018年)

栄典

参考文献

  • 「水声通信 no.26 特集 カズオ・イシグロ」(水声社、2008年11月)

作品論

  • 平井杏子『カズオ・イシグロ 境界のない世界』(水声社〈水声文庫〉、2011年、新版2017年10月)
  • ユリイカ 詩と批評 特集カズオ・イシグロの世界』(2017年12月号:青土社
  • 『カズオ・イシグロ読本 その深淵を暴く』(別冊宝島編集部:宝島社、2017年12月)
  • 三村尚央『カズオ・イシグロを読む』(水声社、2022年10月)

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク