アイントラハト・フランクフルト

ドイツのサッカークラブ

アイントラハト・フランクフルトEintracht Frankfurt e. V., ドイツ語発音: [ˈaɪntʁaxt ˈfʁaŋkfʊʁt])は、ドイツヘッセン州フランクフルトに本拠地を置くプロスポーツクラブ。ドイツサッカートップリーグのブンデスリーガに所属するサッカークラブが最もよく知られている。1899年に設立され、これまでにドイツ選手権で1回、DFBポカールで5回、UEFAヨーロッパリーグ(前身のUEFAカップ含む)で2回優勝し、ヨーロピアン・カップで準優勝している。ブンデスリーガの創設クラブのひとつである。その他にも女子サッカーバスケットボールアイスホッケーハンドボールホッケー陸上競技ラグビーテニス卓球体操バレーボールダーツトライアスロンなどのスポーツ部門を有する[1]

アイントラハト・フランクフルト
原語表記Eintracht Frankfurt e. V.
愛称SGE (Sportgemeinde Eintracht)
Die Adler (鷲)
Launische Diva (気まぐれな歌姫)
クラブカラー 
 
創設年1899年
所属リーグドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン1部(2022–23
ホームタウンフランクフルト・アム・マイン
ホームスタジアム
ドイチェ・バンク・パルク
収容人数58,000
代表者ドイツの旗 マティアス・ベック
監督ドイツの旗 ディノ・トップメラー
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

「アイントラハト(Eintracht)」はドイツ語で「団結・協調」の意味で、英語の「ユナイテッド(United)」に相当する言葉である。

歴史

1899年3月8日、フランクフルトサッカークラブ・ビクトリア1899がフランクフルトの前身として設立され、同年、フランクフルトサッカークラブ・キッカーズ1899も設立された。1911年5月13日、当時競争相手であったビクトリアとキッカーズが合併し、新たにフランクフルトサッカークラブ(キッカーズ・ビクトリア)1899が誕生した。

1963年に創設されたブンデスリーガの初年度のメンバーでありブンデスリーガやUEFAカップでの優勝経験もある古豪クラブ。政治家ダニエル・コーン=ベンディットヨシュカ・フィッシャーらが著名なファンとして知られる。

ドイツ代表FIFAワールドカップで世界王者となった際、1954年大会1974年大会1990年大会までは最低1人はフランクフルトの選手を送り込んでいたが、2014年大会で途切れた(現在もこれを達成しているクラブはFCバイエルン・ミュンヘンのみ)。

1959-60シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(当時はUEFAチャンピオンズカップ)で準優勝(決勝ではレアル・マドリードと対戦し3-7で敗戦)した。

1991-92シーズンのブンデスリーガでは前半戦を首位で折り返しヘルプストマイスター(ドイツ語で「秋の王者」)となり後半戦も好調をキープし最終節を首位で迎えた。しかし1部残留がかかったハンザ・ロストックに1-2で敗れ、バイエル・レバークーゼンを1-0で下したVfBシュトゥットガルトに優勝を明け渡した。

1993-94シーズン1994-95シーズンではブンデスリーガで2度得点王となったガーナ代表アンソニー・イエボアらを擁し2年続けてUEFA杯ベスト8進出。一方、1995-96シーズンではリーグ戦では低迷し17位の成績に終わると、ブンデスリーガ創設以来33年間に渡って残留を続けていた1部リーグから降格した。

2部に降格した翌シーズンである2005-06シーズン、監督にフリートヘルム・フンケルを招聘しブンデスリーガ1部に復帰、同シーズンのDFBポカールで準優勝し翌シーズンのUEFAカップの出場権を獲得した(優勝したバイエルン・ミュンヘンUEFAチャンピオンズリーグの出場権をすでに獲得しているため)。2006-07シーズンのブンデスリーガではシーズン序盤は無敗だったものの次第に残留争いをする展開となったが、11得点を記録した高原直泰やアシスト王となったアルベルト・シュトライトの活躍もあり2シーズン続けて残留をした。UEFAカップでは1回戦でデンマークブレンビーIFを下しグループリーグに進出したが、イタリアUSチッタ・ディ・パレルモイングランドニューカッスル・ユナイテッドFCトルコフェネルバフチェSKスペインセルタ・デ・ビーゴが同じグループとなり最下位に終わった。

その後は毎年のようにブンデスリーガ1部において中位から下位が定位置となった。2009年6月30日、5シーズン(エーリッヒ・リベックと並び最長)に渡って指揮を執っていたフンケルが任期満了で退任。後任にミヒャエル・スキッベが就任した。スキッベの就任1年目は10位と中位をキープし、翌2010-11シーズンは前半戦は翌シーズンのヨーロッパカップ戦の出場権を狙える位置にいたが、ウインターブレイク後は徐々に順位を落とした[2]。2011年3月に成績不振を理由にスキッベを解任。後任にシーズン終了までの暫定監督としてクリストフ・ダウムを招聘したが、成績は上向くことはなく17位に終わり翌シーズンの2部降格が決定した。

2011年6月、1部リーグ復帰を目指して監督にアルミン・フェーを招聘した。フェーはVfBシュトゥットガルトの監督を務めていた際にブンデスリーガで優勝した経験を持つが、前シーズンに率いたハンブルガーSVで成績不振を理由に途中解任され、VfLヴォルフスブルクやシュトゥットガルトを率いた際においても途中解任されていた。一方、結果のみならず内容にもこだわる攻撃サッカーを掲げると、アレクサンダー・マイアーの17得点をあげる活躍もあり2位に入り1年で1部復帰を果たした。また就任以降積極的に若手選手を起用すると、セバスティアン・ユングセバスティアン・ローデらが台頭した。

2012-13シーズン乾貴士らを加えたチームは50年にわたるブンデスリーガ史上初めて、昇格1年目に開幕戦から4連勝を遂げた。第5節で対戦したボルシア・ドルトムントユルゲン・クロップ監督も「守備を攻撃につなげる点では、私が今まで見たアイントラハトの中でもベストの出来だった。これこそ本当の質の高さと言える」と称賛した[3]。シーズン後半は前半ほどの安定した成績は残せなくなったがシーズン終盤までUEFAチャンピオンズリーグの出場権争いに加わると[4]、最終的には6位となりUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2013-14シーズン終了後にはフェーが契約満了で退任した。

2014-15シーズンでは新たにトーマス・シャーフが監督に就任した。夏の移籍期間中にセバスティアン・ローデと主将ピルミン・シュヴェクラーのボランチ2人が移籍し、代わりに長谷部誠を獲得した。シーズン中盤から攻撃的サッカーに転じたのが功を奏し、アレクサンダー・マイアーが19点で得点王を取る活躍もありリーグ戦を当初の予想を上回る9位で終えた。しかしシーズン終了後、シャーフがわずか1年での辞任を発表した。

2015-16シーズンは2年ぶりにアルミン・フェーが監督に就任した。しかし25節終了時点で16位に低迷し直近7試合未勝利が続いたため、シーズン途中の2016年3月6日フェーは解任された。後任には前クロアチア代表監督のニコ・コヴァチが就任した。最終節ヴェルダー・ブレーメン戦引き分け以上で残留が決まる状況だったが、0-1で敗北したため16位でプレーオフへ回った。1.FCニュルンベルクとの入れ替え戦では2戦合計2-1で下し辛くも残留を果たした。

2016-17シーズンは9節から長谷部を3バックの中央にリベロとして配置する戦術がハマり、ウインターブレイク前にはUEFAチャンピオンズリーグ圏内の4位に浮上した。しかし年明け以降は徐々に失速し、最終的には11位でリーグ戦を終えた。DFBポカールでは11季ぶりに決勝まで進んだが、ボルシア・ドルトムントに1-2で敗れ準優勝に終わった。

2017-18シーズンも一時はCL圏内まで上がるなど終始好調を維持し、リーグ戦を8位で終えた。DFBポカールでは前年に引き続き決勝へ進み、FCバイエルン・ミュンヘンを3-1で下しクラブとして30年ぶりの優勝を果たした。コヴァチはシーズン途中の4月に来季よりFCバイエルン・ミュンヘンの新監督に就任することが発表されていたため、タイトルを置き土産に退任した。

2018-19シーズンはBSCヤングボーイズをリーグ優勝に導いたアドルフ・ヒュッターが監督に就任した。選手層の厚さに恵まれない中でもルカ・ヨヴィッチセバスティアン・ハラーアンテ・レビッチの3トップが機能し好調を維持したが、終盤に勝ちきれない試合が続きリーグ戦では7位となった。EL予選2回戦からの出場権を手にした[5]。 ポカール優勝により出場したヨーロッパリーグではこのシーズン唯一のGL6戦全勝で1位通過、決勝トーナメントでもラウンド16でインテルナツィオナーレ・ミラノ、準々決勝でSLベンフィカを相手に勝ち進む快進撃を見せた。準決勝でもこのシーズン優勝のチェルシーFCに2戦合計2-2でPK戦まで持ち込んだが敗退した。

2020-21シーズンは、前年から完全移籍で加入したアンドレ・シウバがクラブのリーグ戦得点記録を更新するなど好調で、3月終了時点ではCL出場射程圏内の4位であった。しかし4月中旬にヒュッターがシーズン限りでの退任を表明すると、チームはまたしても失速し4位と勝ち点差1の5位に終わった。

2021-22シーズンは新たにオリバー・グラスナーが監督に就任した[6]。リーグ戦では7節のバイエルン戦でようやく初勝利、また終盤も8試合勝利なしでシーズンを終えるなど不調で11位に終わった。一方ヨーロッパリーグではGL6試合負け無しの首位で決勝トーナメント進出、準々決勝ではFCバルセロナを2戦合計4-3で破るなど金星を挙げた。準決勝は鎌田大地の活躍もありウェストハム・ユナイテッドに2戦合計3-1で勝利、決勝でもレンジャーズFCをPK戦の末下し、全試合無敗で前身のUEFAカップ時代から42年ぶりの優勝を果たした。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズンディビジョンDFBポカール
リーグ順位
1963-64ブンデスリーガ1部3016776541393位準優勝
1964-65ブンデスリーガ1部30117125058298位2回戦敗退
1965-66ブンデスリーガ1部34166126446387位2回戦敗退
1966-67ブンデスリーガ1部34159106649394位1回戦敗退
1967-68ブンデスリーガ1部34158115851386位2回戦敗退
1968-69ブンデスリーガ1部34138134643348位2回戦敗退
1969-70ブンデスリーガ1部341210125454348位準々決勝敗退
1970-71ブンデスリーガ1部341161739562815位2回戦敗退
1971-72ブンデスリーガ1部34167117161395位2回戦敗退
1972-73ブンデスリーガ1部34154155854348位2回戦敗退
1973-74ブンデスリーガ1部34151186350414位優勝
1974-75ブンデスリーガ1部3418798949433位優勝
1975-76ブンデスリーガ1部341310117958369位4回戦敗退
1976-77ブンデスリーガ1部3417898657424位準々決勝敗退
1977-78ブンデスリーガ1部34164145952367位3回戦敗退
1978-79ブンデスリーガ1部34167115049395位準決勝敗退
1979-80ブンデスリーガ1部34152176561329位4回戦敗退
1980-81ブンデスリーガ1部34131296157385位優勝
1981-82ブンデスリーガ1部34173148372378位2回戦敗退
1982-83ブンデスリーガ1部341251748572910位1回戦敗退
1983-84ブンデスリーガ1部347131445612716位1回戦敗退
1984-85ブンデスリーガ1部3410121262673212位2回戦敗退
1985-86ブンデスリーガ1部347141335492815位1回戦敗退
1986-87ブンデスリーガ1部34891742532515位準々決勝敗退
1987-88ブンデスリーガ1部341011135150319位優勝
1988-89ブンデスリーガ1部348101630532616位2回戦敗退
1989-90ブンデスリーガ1部34151186140413位1回戦敗退
1990-91ブンデスリーガ1部34151096340404位2回戦敗退
1991-92ブンデスリーガ1部38181467641503位3回戦敗退
1992-93ブンデスリーガ1部34151275639423位準決勝敗退
1993-94ブンデスリーガ1部34158115741385位3回戦敗退
1994-95ブンデスリーガ1部34129134149339位2回戦敗退
1995-96ブンデスリーガ1部347111643683217位2回戦敗退
1996-97ブンデスリーガ2部34139124346487位2回戦敗退
1997-98ブンデスリーガ2部34171345032641位ベスト16
1998-99ブンデスリーガ1部349101544543715位2回戦敗退
1999-00ブンデスリーガ1部341251742443914位ベスト16
2000-01ブンデスリーガ1部341051941683517位1回戦敗退
2001-02ブンデスリーガ2部34141285244547位ベスト16
2002-03ブンデスリーガ2部34171165933623位2回戦敗退
2003-04ブンデスリーガ1部34952036533216位2回戦敗退
2004-05ブンデスリーガ2部34194116539613位ベスト16
2005-06ブンデスリーガ1部34991642513614位準優勝
2006-07ブンデスリーガ1部349131246584014位準決勝敗退
2007-08ブンデスリーガ1部341210124350469位2回戦敗退
2008-09ブンデスリーガ1部34891739603313位2回戦敗退
2009-10ブンデスリーガ1部3412101247544610位ベスト16
2010-11ブンデスリーガ1部34971831493417位ベスト16
2011-12ブンデスリーガ2部3420867633682位2回戦敗退
2012-13ブンデスリーガ1部34149114946516位1回戦敗退
2013-14ブンデスリーガ1部34991640573613位準々決勝敗退
2014-15ブンデスリーガ1部341110135662439位2回戦敗退
2015-16ブンデスリーガ1部34991634523616位2回戦敗退
2016-17ブンデスリーガ1部341191436434211位準優勝
2017-18ブンデスリーガ1部34147134545498位優勝
2018-19ブンデスリーガ1部34159106048537位1回戦敗退
2019-20ブンデスリーガ1部34136155960459位準決勝敗退
2020-21ブンデスリーガ1部34161266953605位2回戦敗退
2021-22ブンデスリーガ1部3410121245494211位1回戦敗退
2022-23ブンデスリーガ1部341311105852507位準優勝

欧州の成績

現所属メンバー

ブンデスリーガ 2023-24シーズン 基本フォーメーション(3-4-2-1
2024年1月8日現在[7]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK ケヴィン・トラップ (副主将)
3DF ウィリアム・パチョ
4DF ロビン・コッホ
5DF フルボイェ・スモルチッチ
7FW オマル・マーモウシュ ( )
8MF ファレス・チャイビ ( )
9FW サーシャ・カライジッチ ( )
11FW ウーゴ・エキティケ
15MF エリス・スキリ ( )
16MF ヒューゴ・ラーション
17MF セバスティアン・ローデ
19MF ジャン・マッテオ・バホヤ
20DF 長谷部誠
22MF ティモシー・チャンドラー ( )
24DF オーレリオ・ブタ ( )
25MF ドニー・ファン・デ・ベーク
26MF エリック・ディナ=エビンベ ( )
No.Pos. 選手名
27MF マリオ・ゲッツェ
29DF ニエル・ンクンク ( )
31DF フィリップ・マックス
33GK イェンス・グラール
35DF トゥータ
36FW アンスガー・クナウフ ( )
38GK ニルス・ラミング
40GK カウア・サントス
41GK シモン・シモーニ
42GK ルーク・ガウアー
43FW ノエル・フトケウ ( )
44DF デイビス・バティスタ
45MF メディ・ルーネ ( )
46DF ダリオ・ゲブール
47DF エリアス・バウム
48FW ナチョ・フェッリ
49MF ハルプレート・ゴトラ

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
9FW サーシャ・カライジッチ ( ) (ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ)
11FW ウーゴ・エキティケ (パリ・サンジェルマンFC)
25MF ドニー・ファン・デ・ベーク (マンチェスター・ユナイテッド)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--MF パクステン・アーロンソン (SBVフィテッセ)
--DF ジェローム・オングエネ (セルヴェット)( )
--MF アントニオ・フォティ (ハノーファー96)( )
--DF ナサニエル・ブラウン (1.FCニュルンベルク)
--FW イェンス・ペッター・ハウゲ (FKボデ/グリムト)
6MF クリスティヤン・ヤキッチ (FCアウクスブルク)
--MF リステシュ・クリスティアーン (フェレンツヴァーロシュTC)
No.Pos. 選手名
--FW イェシク・エンガンカム (1.FSVマインツ05)( )
--FW ファリデ・アリドゥ (ケルン)( )
--FW イゴール・マタノヴィッチ (カールスルーエ)( )
--FW ラファエル・サントス・ボレ (ヴェルダー・ブレーメン)
--MF マルセル・ヴィニヒ (1.FCニュルンベルク) ( )

歴代監督

出典[8]

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

チーム記録

最多得点試合

最多失点試合

最多観客動員

最多年間平均動員

  • 50,011人(2022-2023シーズン)

UEFAクラブランク一覧

サポーター

オーストリア・ブンデスリーガFCヴァッカー・インスブルックのサポーターズクラブと友好関係を結んでおり、定期的に交流が行われている。

脚注

関連項目

外部リンク