元号一覧 (日本)

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日本の元号一覧(にほんのげんごういちらん)は、和暦でこれまでに使用された日本の元号の一覧である。

概要

  • 明治以前の元号については読み方が明示されなかった[注釈 1]ため、下記に示した読み方は例示である。
  • 令和は248個目の元号である。
  • カッコ内の西暦は、飛鳥時代から「天正」の始期(元亀4年7月28日/1573年8月25日)まではユリウス暦で、「天正」の終期(天正20年12月8日/1593年1月10日)以降はグレゴリオ暦で表記している。これは、ヨーロッパのカトリック諸国で、天正年間に当たる1582年(天正10年)に、従来のユリウス暦からグレゴリオ暦が導入されたためである[注釈 2]
  • 改元の日付は、平成は翌日改元、令和は翌月改元であり、最初の大化も公布翌月の実施と見られるが、白雉から明治までの多くは当年(年初)から改元する年初改元、大正昭和は当日(日初)から改元する当日改元だった。これらは過去にさかのぼって改元するため、各元号の有効な期間は、
  1. その後の文書で当時の日付に言及する場合
  2. 当時の文書でそのときの日付に言及した場合
のいずれかで異なる。この表の日付は主に後者であり、年初改元や当日改元は遡時を無視して改元公布の瞬間を元号の切り替わりとみなしている。すなわち、当日は新旧双方の元号に(一部ずつが)属す。しかしこれは(改元後の)公的な扱いとは異なる。法令や標準が整備されている明治以降に関しては、公文書等で使われる、前者の日付も記すこととする。これでは、新元号は当年初めまたは当日初めにさかのぼって始まり、旧元号はその前日に終わっている。
  • 使用期間が最短の元号は暦仁で74日間、最長の元号は昭和で62年14日間である。

元号一覧

飛鳥時代

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
--崇峻天皇5年12月8日
593年1月15日
皇極天皇4年6月30日
645年7月28日
53年推古天皇皇極天皇まで元号は無い。
舒明天皇
皇極天皇
大化たいか大化元年7月1日
(645年7月29日
大化6年2月15日
650年3月22日
6年孝徳天皇天下安寧・政化敷行による改元
白雉はくち白雉元年2月15日
(650年3月22日)
白雉5年12月30日
655年2月11日
5年穴戸国の国司が白を献上した祥瑞による改元。
びゃくち
しらきぎす
--斉明天皇元年1月1日
655年2月12日
天武天皇15年7月20日
686年8月14日
32年斉明天皇斉明天皇の重祚により元号は中断する。
天智天皇
弘文天皇
天武天皇
朱鳥しゅちょう天武天皇15年7月20日
(686年8月14日)
朱鳥元年12月30日
687年2月17日
1年天武天皇の病気平癒を祈願した改元か。
すちょう
あかみとり
--持統天皇元年1月1日
687年2月18日
文武天皇5年3月21日
701年5月3日
15年持統天皇天武天皇の崩御の翌年から元号は中断する。
文武天皇
大宝たいほう文武天皇5年3月21日
(701年5月3日)
大宝4年5月10日
704年6月16日
4年対馬国からが献上された事による改元。
だいほう
慶雲けいうん慶雲元年5月10日
(704年6月16日)
慶雲5年1月11日
708年2月7日
5年西楼上に慶雲を見た祥瑞による改元。
きょううん元明天皇
和銅わどう和銅元年1月11日
(708年2月7日)
和銅8年9月2日
715年10月3日
8年武蔵国より和銅が献上された祥瑞による改元。
「大化」は皇極天皇4年6月19日(645年7月17日)以後30日以前に公布され、翌月1日から実施されたと考えられるが、史書によって記述が一定しない[注釈 3]ため、正確な始期は不明となる。

奈良時代

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
霊亀れいき霊亀元年9月2日
(715年10月3日)
霊亀3年11月17日
717年12月24日
3年元正天皇元正天皇の即位、左京職より瑞亀が献上された祥瑞による改元。
養老ようろう養老元年11月17日
(717年12月24日)
養老8年2月4日
(724年3月3日
8年美濃国の美泉の祥瑞による改元。
神亀じんき神亀元年2月4日
(724年3月3日)
神亀6年8月5日
(729年9月2日
6年聖武天皇白亀を献上された祥瑞による改元。
天平てんぴょう天平元年8月5日
(729年9月2日)
天平21年4月14日
(749年5月4日
21年左京職が背に「天王貴平知百年」と文のある亀を献上した祥瑞による改元。天平はてんびょうとも読む。
天平感宝てんぴょうかんぽう天平感宝元年4月14日
(749年5月4日)
天平感宝元年7月2日
(749年8月19日
1年陸奥国から黄金を献上された祥瑞による改元。
天平勝宝てんぴょうしょうほう天平勝宝元年7月2日
(749年8月19日)
天平勝宝9年8月18日
757年9月6日
9年孝謙天皇孝謙天皇即位による改元。
天平宝字てんぴょうほうじ天平宝字元年8月18日
(757年9月6日)
天平宝字9年1月7日
765年2月1日
9年宮中でが「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成し、駿河国でも瑞字を生じた祥瑞による改元。
淳仁天皇
称徳天皇
天平神護てんぴょうじんご天平神護元年1月7日
(765年2月1日)
天平神護3年8月16日
767年9月13日
3年称徳天皇重祚による改元。
神護景雲じんごけいうん神護景雲元年8月16日
(767年9月13日)
神護景雲4年10月1日
770年10月23日
4年慶雲の祥瑞による改元。
宝亀ほうき宝亀元年10月1日
(770年10月23日)
宝亀12年1月1日
781年1月30日
12年光仁天皇肥後国より白亀が献上された祥瑞による改元。
天応てんおう天応元年1月1日
(781年1月30日)
天応2年8月19日
782年9月30日
2年美雲の祥瑞による改元。
てんのう桓武天皇
延暦えんりゃく延暦元年8月19日
(782年9月30日)
延暦25年5月18日
806年6月8日
25年桓武天皇践祚による改元。

平安時代

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
大同だいどう延暦25年5月18日
(806年6月8日)
大同5年9月19日
810年10月20日
5年平城天皇平城天皇践祚による改元。
嵯峨天皇
弘仁こうにん大同5年9月19日
(810年10月20日)
弘仁15年1月5日
824年2月8日
15年嵯峨天皇践祚による改元。
淳和天皇
天長てんちょう弘仁15年1月5日
(824年2月8日)
天長11年1月3日
834年2月14日
11年仁明天皇践祚による改元。仁明天皇の践祚に伴い、天皇の即位を意味する改元が行われ、新しい年号が定められた。
仁明天皇
承和じょうわ天長11年1月3日
(834年2月14日)
承和15年6月13日
848年7月16日
15年仁明天皇践祚による改元。
しょうわ
嘉祥かしょう承和15年6月13日
(848年7月16日)
嘉祥4年4月28日
851年6月1日
4年豊後国から白亀が献じられた瑞祥による改元。
かじょう文徳天皇
仁寿にんじゅ嘉祥4年4月28日
(851年6月1日)
仁寿4年11月30日
854年12月23日
4年文徳天皇即位、白亀・甘露の瑞祥による改元。
斉衡さいこう仁寿4年11月30日
(854年12月23日)
斉衡4年2月21日
857年3月20日
4年石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元。
天安てんあん斉衡4年2月21日
(857年3月20日)
天安3年4月15日
859年5月20日
3年美作国常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元。
てんなん清和天皇
貞観じょうがん天安3年4月15日
(859年5月20日)
貞観19年4月16日
877年6月1日)
19年清和天皇践祚による改元。
陽成天皇
元慶がんぎょう貞観19年4月16日
(877年6月1日)
元慶9年2月21日
885年3月11日
9年陽成天皇践祚、白雉・白鹿献上の瑞祥による改元。
光孝天皇
仁和にんな元慶9年2月21日
(885年3月11日)
仁和5年4月27日
889年5月30日
5年光孝天皇践祚による改元。
にんわ宇多天皇
寛平かんぴょう仁和5年4月27日
(889年5月30日)
寛平10年4月26日
898年5月20日)[注釈 4]
10年宇多天皇践祚による改元。
かんぺい
かんへい醍醐天皇
昌泰しょうたい寛平10年4月26日
(898年5月20日)[注釈 4]
昌泰4年7月15日
901年8月31日
4年醍醐天皇践祚による改元。
延喜えんぎ昌泰4年7月15日
(901年8月31日)
延喜23年閏4月11日
923年5月29日
23年辛酉革命、天変による改元。
延長えんちょう延喜23年閏4月11日
(923年5月29日)
延長9年4月26日
931年5月16日
9年水潦、疾疫による改元。
朱雀天皇
承平じょうへい延長9年4月26日
(931年5月16日)
承平8年5月22日
938年6月22日
8年朱雀天皇践祚による改元。
しょうへい
天慶てんぎょう承平8年5月22日
(938年6月22日)
天慶10年4月22日
947年5月15日
10年厄運、地震、御慎による改元。
てんきょう村上天皇
天暦てんりゃく天慶10年4月22日
(947年5月15日)
天暦11年10月27日
957年11月21日
11年村上天皇践祚による改元。
天徳てんとく天暦11年10月27日
(957年11月21日)
天徳5年2月16日
961年3月5日
5年水旱による改元。
応和おうわ天徳5年2月16日
(961年3月5日)
応和4年7月10日
964年8月19日)
4年辛酉革命、皇居火災などによる改元。
康保こうほう応和4年7月10日
(964年8月19日)
康保5年8月13日
968年9月8日
5年甲子革令、旱魃による改元。
冷泉天皇
安和あんな康保5年8月13日
(968年9月8日)
安和3年3月25日
970年5月3日)
3年冷泉天皇践祚による改元。
あんわ円融天皇
天禄てんろく安和3年3月25日
(970年5月3日)
天禄4年12月20日
973年2月6日
4年円融天皇践祚による改元。
天延てんえん天禄4年12月20日
(973年2月6日)
天延4年7月13日
976年8月11日
4年天変、地震による改元。
貞元じょうげん天延4年7月13日
(976年8月11日)
貞元3年11月29日
978年12月31日
3年火災、地震による改元。
天元てんげん貞元3年11月29日
(978年12月31日)
天元6年4月15日
983年5月29日)
6年災変、陽五厄による改元。
永観えいかん天元6年4月15日
(983年5月29日)
永観3年4月27日
985年5月19日
3年干魃、皇居火災などによる改元。
花山天皇
寛和かんな永観3年4月27日
(985年5月19日)
寛和3年4月5日
987年5月5日
3年花山天皇践祚による改元。
かんわ一条天皇
永延えいえん寛和3年4月5日
(987年5月5日)
永延3年8月8日
989年9月10日
3年一条天皇践祚による改元。
永祚えいそ永延3年8月8日
(989年9月10日)
永祚2年11月7日
990年11月26日
2年彗星、地震など天変災異による改元。
正暦しょうりゃく永祚2年11月7日
(990年11月26日)
正暦6年2月22日
995年3月25日
6年大風、天変による改元。
長徳ちょうとく正暦6年2月22日
(995年3月25日)
長徳5年1月13日
999年2月1日)
5年疾疫、天変による改元。
長保ちょうほう長徳5年1月13日
(999年2月1日)
長保6年7月20日
1004年8月8日
6年天変、炎旱による改元。
寛弘かんこう長保6年7月20日
(1004年8月8日)
寛弘9年12月25日
1013年2月8日)
9年天変地異による改元。
三条天皇
長和ちょうわ寛弘9年12月25日
(1013年2月8日)
長和6年4月23日
1017年5月21日
6年三条天皇践祚による改元。
後一条天皇
寛仁かんにん長和6年4月23日
(1017年5月21日)
寛仁5年2月2日
1021年3月17日
5年後一条天皇践祚による改元。
治安じあん寛仁5年2月2日
(1021年3月17日)
治安4年7月13日
1024年8月19日
4年辛酉革命による改元。
万寿まんじゅ治安4年7月13日
(1024年8月19日)
万寿5年7月25日
1028年8月18日
5年甲子革命による改元。
長元ちょうげん万寿5年7月25日
(1028年8月18日)
長元10年4月21日
1037年5月9日
10年疫病、炎旱による改元。
後朱雀天皇
長暦ちょうりゃく長元10年4月21日
(1037年5月9日)
長暦4年11月10日
1040年12月16日
4年後朱雀天皇践祚による改元。
長久ちょうきゅう長暦4年11月10日
(1040年12月16日)
長久5年11月24日
1044年12月16日)
5年災変、内裏焼失による改元。
寛徳かんとく長久5年11月24日
(1044年12月16日)
寛徳3年4月14日
1046年5月22日
3年疾疫、干魃による改元。
後冷泉天皇
永承えいしょう寛徳3年4月14日
(1046年5月22日)
永承8年1月11日
1053年2月2日
8年後冷泉天皇践祚による改元。
えいじょう
天喜てんぎ永承8年1月11日
(1053年2月2日)
天喜6年8月29日
1058年9月19日
6年天変、怪異による改元。
てんき
康平こうへい天喜6年8月29日
(1058年9月19日)
康平8年8月2日
1065年9月4日
8年大極殿法成寺の火災による改元。
治暦じりゃく康平8年8月2日
(1065年9月4日)
治暦5年4月13日
1069年5月6日
5年旱魃、三合厄による改元。
後三条天皇
延久えんきゅう治暦5年4月13日
(1069年5月6日)
延久6年8月23日
1074年9月16日
6年後三条天皇践祚による改元。
白河天皇
承保じょうほう延久6年8月23日
(1074年9月16日)
承保4年11月17日
1077年12月5日
4年白河天皇践祚、三合厄による改元。
しょうほう
承暦じょうりゃく承保4年11月17日
(1077年12月5日)
承暦5年2月10日
1081年3月22日)
5年旱魃、疱瘡の流行による改元。
しょうりゃく
永保えいほう承暦5年2月10日
(1081年3月22日)
永保4年2月7日
1084年3月15日
4年辛酉革命による改元。
応徳おうとく永保4年2月7日
(1084年3月15日)
応徳4年4月7日
1087年5月11日
4年甲子革令による改元。
堀河天皇
寛治かんじ応徳4年4月7日
(1087年5月11日)
寛治8年12月15日
1095年1月23日
8年堀河天皇践祚による改元。
嘉保かほう寛治8年12月15日
(1095年1月23日)
嘉保3年12月17日
1097年1月3日
3年疱瘡の流行による改元。
永長えいちょう嘉保3年12月17日
(1096年1月28日)
永長2年11月21日
(1097年12月27日
2年天変、地震(永長地震)による改元。
承徳じょうとく永長2年11月21日
(1097年12月27日)
承徳3年8月28日
1099年9月15日
3年天変、地震による改元。
しょうとく
康和こうわ承徳3年8月28日
(1099年9月15日)
康和6年2月10日
1104年3月8日
6年地震(康和地震)、疾病による改元。
長治ちょうじ康和6年2月10日
(1104年3月8日)
長治3年4月9日
1106年5月13日
3年天変による改元。
嘉承かしょう長治3年4月9日
(1106年5月13日)
嘉承3年8月3日
1108年9月9日
3年彗星による改元。
かじょう鳥羽天皇
天仁てんにん嘉承3年8月3日
(1108年9月9日)
天仁3年7月13日
1110年7月31日
3年鳥羽天皇践祚による改元。
天永てんえい天仁3年7月13日
(1110年7月31日)
天永4年7月13日
1113年8月25日
4年彗星の出現による改元。
永久えいきゅう天永4年7月13日
(1113年8月25日)
永久6年4月3日
1118年4月25日
6年天変、兵革、疫疾などによる改元。
元永げんえい永久6年4月3日
(1118年4月25日)
元永3年4月10日
1120年5月9日)
3年天変、疾疫による改元。
保安ほうあん元永3年4月10日
(1120年5月9日)
保安5年4月3日
1124年5月18日
5年天変、厄運による改元。
崇徳天皇
天治てんじ保安5年4月3日
(1124年5月18日)
天治3年1月22日
1126年2月15日)
3年崇徳天皇践祚による改元。
大治だいじ天治3年1月22日
(1126年2月15日)
大治6年1月29日
1131年2月28日
6年疱瘡の流行による改元。
天承てんしょう大治6年1月29日
(1131年2月28日)
天承2年8月11日
1132年9月21日
2年炎旱、天変による改元。
てんじょう
長承ちょうしょう天承2年8月11日
(1132年9月21日)
長承4年4月27日
1135年6月10日
4年疾疫、怪異による改元。
保延ほうえん長承4年4月27日
(1135年6月10日)
保延7年7月10日
1141年8月13日
7年飢饉、疫疾、洪水による改元。
永治えいじ保延7年7月10日
(1141年8月13日)
永治2年4月28日
1142年5月25日
2年辛酉革命による改元。
近衛天皇
康治こうじ永治2年4月28日
(1142年5月25日)
康治3年2月23日
1144年3月28日
3年近衛天皇践祚による改元。
天養てんよう康治3年2月23日
(1144年3月28日)
天養2年7月22日
1145年8月12日
2年甲子革令による改元。
久安きゅうあん天養2年7月22日
(1145年8月12日)
久安7年1月26日
1151年2月14日)
7年彗星の出現による改元。
仁平にんぺい久安7年1月26日
(1151年2月14日)
仁平4年10月28日
1154年12月4日
4年彗星の出現による改元。
にんぴょう
久寿きゅうじゅ仁平4年10月28日
(1154年12月4日)
久寿3年4月27日
1156年5月18日)
3年変異、厄運による改元。
後白河天皇
保元ほうげん久寿3年4月27日
(1156年5月18日)
保元4年4月20日
1159年5月9日)
4年後白河天皇践祚による改元。
二条天皇
平治へいじ保元4年4月20日
(1159年5月9日)
平治2年1月10日
1160年2月18日
2年二条天皇践祚による改元。
永暦えいりゃく平治2年1月10日
(1160年2月18日)
永暦2年9月4日
1161年9月24日
2年兵乱による改元。
応保おうほう永暦2年9月4日
(1161年9月24日)
応保3年3月29日
1163年5月4日)
3年疱瘡の流行による改元。
おうほ
長寛ちょうかん応保3年3月29日
(1163年5月4日)
長寛3年6月5日
1165年7月14日
3年天変、疱瘡による改元。
永万えいまん長寛3年6月5日
(1165年7月14日)
永万2年8月27日
1166年9月23日
2年天変、怪異、疾疫などによる改元。
六条天皇
仁安にんあん永万2年8月27日
(1166年9月23日)
仁安4年4月8日
1169年5月6日)
4年六条天皇践祚による改元。
高倉天皇
嘉応かおう仁安4年4月8日
(1169年5月6日)
嘉応3年4月21日
1171年5月27日
3年高倉天皇践祚による改元。
承安じょうあん嘉応3年4月21日
(1171年5月27日)
承安5年7月28日
1175年8月16日
5年災変、厄会による改元。
安元あんげん承安5年7月28日
(1175年8月16日)
安元3年8月4日
1177年8月29日
3年疱瘡の流行による改元。
治承じしょう安元3年8月4日
(1177年8月29日)
治承5年7月14日
1181年8月25日)
5年大極殿の火災、天変による改元。
安徳天皇
養和ようわ治承5年7月14日
(1181年8月25日)
養和2年5月27日
1182年6月29日
2年安徳天皇践祚による改元。
寿永じゅえい養和2年5月27日
(1182年6月29日)
寿永3年4月16日
1184年5月27日)
3年飢饉、兵革、病事による改元。
後鳥羽天皇
元暦げんりゃく寿永3年4月16日
(1184年5月27日)
元暦2年8月14日
1185年9月9日)
2年後鳥羽天皇践祚による改元。
治承4年(1180年)、平氏政権が実権を握る中で、平清盛の外孫である安徳天皇が即位し、翌年「養和」へ改元された。朝廷でのこの動きに対し、対立する源頼朝関東政権は、「養和」と「寿永」の元号を使わず、「治承」を引き続き使用した。関東政権による「治承」の継続使用は、寿永2年(治承7年、1183年)に源氏が京都を占領し、擁立した後鳥羽天皇寿永二年十月宣旨によって東国支配を認められるまで続く。一方、平氏一門は都落ちした後も安徳天皇を擁し、元暦2年(寿永4年、1185年)の壇ノ浦の戦いで滅亡するまで、引続き「寿永」を使用していた。

鎌倉時代

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
文治ぶんじ元暦2年8月14日
(1185年9月9日)
文治6年4月11日
1190年5月16日)
6年後鳥羽天皇地震(文治地震)による改元。
兵革を理由とする説もあり。
建久けんきゅう文治6年4月11日
(1190年5月16日)
建久10年4月27日
1199年5月23日
10年三合による改元。
土御門天皇
正治しょうじ建久10年4月27日
(1199年5月23日)
正治3年2月13日
1201年3月19日
3年土御門天皇践祚による改元。
建仁けんにん正治3年2月13日
(1201年3月19日)
建仁4年2月20日
1204年3月23日
4年辛酉革命による改元。
元久げんきゅう建仁4年2月20日
(1204年3月23日)
元久3年4月27日
1206年6月5日
3年甲子革令による改元。
建永けんえい元久3年4月27日
(1206年6月5日)
建永2年10月25日
1207年11月16日
2年改元は以下の説によるものとみられている。
承元じょうげん建永2年10月25日
(1207年11月16日)
承元5年3月9日
1211年4月23日
5年改元の原因には以下の説がある。
  • 三合を原因とする説
  • 疱瘡を原因とする説
順徳天皇
建暦けんりゃく承元5年3月9日
(1211年4月23日)
建暦3年12月6日
1214年1月18日
3年順徳天皇践祚による改元。
建保けんぽう建暦3年12月6日
(1214年1月18日)
建保7年4月12日
1219年5月27日)
7年地震による改元と見られている。
承久じょうきゅう建保7年4月12日
(1219年5月27日)
承久4年4月13日
1222年5月25日)
4年旱魃と三合による改元。
仲恭天皇
後堀河天皇
貞応じょうおう承久4年4月13日
(1222年5月25日)
貞応3年11月20日
1224年12月31日)
3年後堀河天皇践祚による改元。
元仁げんにん貞応3年11月20日
(1224年12月31日)
元仁2年4月20日
1225年5月28日
2年天変炎旱による改元。
嘉禄かろく元仁2年4月20日
(1225年5月28日)
嘉禄3年12月10日
1228年1月18日)
3年改元の理由は「嘉禄」の項目を参照。
安貞あんてい嘉禄3年12月10日
(1228年1月18日)
安貞3年3月5日
1229年3月31日
3年天変が相次いだため、また、三合や疱瘡の流行による改元。
寛喜かんぎ安貞3年3月5日
(1229年3月31日)
寛喜4年4月2日
1232年4月23日)
4年天災飢饉による改元。
貞永じょうえい寛喜4年4月2日
(1232年4月23日)
貞永2年4月15日
1233年5月25日)
2年?
四条天皇
天福てんぷく貞永2年4月15日
(1233年5月25日)
天福2年11月5日
1234年11月27日
2年?
文暦ぶんりゃく天福2年11月5日
(1234年11月27日)
文暦2年9月19日
1235年11月1日
2年天変地震による改元。
嘉禎かてい文暦2年9月19日
(1235年11月1日)
嘉禎4年11月23日
1238年12月30日
4年地震頻発による改元。
暦仁りゃくにん嘉禎4年11月23日
(1238年12月30日)
暦仁2年2月7日
1239年3月13日
2年天変による改元。
延応えんおう暦仁2年2月7日
(1239年3月13日)
延応2年7月16日
1240年8月5日
2年天変や地震による改元。
仁治にんじ延応2年7月16日
(1240年8月5日)
仁治4年2月26日
1243年3月18日
4年彗星、地震、旱魃などによる改元。
後嵯峨天皇
寛元かんげん仁治4年2月26日
(1243年3月18日)
寛元5年2月28日
1247年4月5日
5年後嵯峨天皇践祚による改元。
後深草天皇
宝治ほうじ寛元5年2月28日
(1247年4月5日)
宝治3年3月18日
1249年5月2日
3年後深草天皇践祚による改元。
建長けんちょう宝治3年3月18日
(1249年5月2日)
建長8年10月5日
1256年10月24日
8年天変や火災による改元。
康元こうげん建長8年10月5日
(1256年10月24日)
康元2年3月14日
1257年3月31日)
2年赤斑瘡による改元とみられている。
正嘉しょうか康元2年3月14日
(1257年3月31日)
正嘉3年3月26日
1259年4月20日
3年太政官庁などの施設の焼失が相次いだことによる改元。
正元しょうげん正嘉3年3月26日
(1259年4月20日)
正元2年4月13日
1260年5月24日
2年?
亀山天皇
文応ぶんおう正元2年4月13日
(1260年5月24日)
文応2年2月20日
1261年3月22日)
2年亀山天皇践祚による改元。
弘長こうちょう文応2年2月20日
(1261年3月22日)
弘長4年2月28日
1264年3月27日
4年辛酉革命による改元。
文永ぶんえい弘長4年2月28日
(1264年3月27日)
文永12年4月25日
1275年5月22日)
12年甲子革令による改元。
後宇多天皇
建治けんじ文永12年4月25日
(1275年5月22日)
建治4年2月29日
1278年3月23日)
4年?
弘安こうあん建治4年2月29日
(1278年3月23日)
弘安11年4月28日
1288年5月29日)
11年疫病による改元とみられている。
伏見天皇
正応しょうおう弘安11年4月28日
(1288年5月29日)
正応6年8月5日
1293年9月6日)
6年伏見天皇践祚による改元。
永仁えいにん正応6年8月5日
(1293年9月6日)
永仁7年4月25日
1299年5月25日)
7年天変と関東の地震による改元。
後伏見天皇
正安しょうあん永仁7年4月25日
(1299年5月25日)
正安4年11月21日
1302年12月10日
4年後伏見天皇践祚による改元。
後二条天皇
乾元けんげん正安4年11月21日
(1302年12月10日)
乾元2年8月5日
1303年9月16日)
2年後二条天皇践祚による改元。
嘉元かげん乾元2年8月5日
(1303年9月16日)
嘉元4年12月14日
1307年1月18日)
4年彗星と日照りによる改元。
徳治とくじ嘉元4年12月14日
(1307年1月18日)
徳治3年10月9日
1308年11月22日
3年天変による改元。
花園天皇
延慶えんきょう徳治3年10月9日
(1308年11月22日)
延慶4年4月28日
1311年5月17日
4年花園天皇践祚による改元。
応長おうちょう延慶4年4月28日
(1311年5月17日)
応長2年3月20日
1312年4月27日
2年疫病による改元。
正和しょうわ応長2年3月20日
(1312年4月27日)
正和6年2月3日
1317年3月16日
6年天変地震による改元。
文保ぶんぽう正和6年2月3日
(1317年3月16日)
文保3年4月28日
1319年5月18日)
3年大地震などによる改元。
後醍醐天皇
元応げんおう文保3年4月28日
(1319年5月18日)
元応3年2月23日
1321年3月22日)
3年後醍醐天皇践祚による改元。
元亨げんこう元応3年2月23日
(1321年3月22日)
元亨4年12月9日
1324年12月25日
4年辛酉革命による改元。
正中しょうちゅう元亨4年12月9日
(1324年12月25日)
正中3年4月26日
1326年5月28日)
3年甲子革令による改元。
嘉暦かりゃく正中3年4月26日
(1326年5月28日)
嘉暦4年8月29日
1329年9月22日
4年疫病と地震による改元。
元徳げんとく嘉暦4年8月29日
(1329年9月22日)
大覚寺統:元徳3年8月9日
1331年9月11日
持明院統:元徳4年4月28日
1332年5月23日)
大覚寺統:3年
持明院統:4年
疫病による改元。
元徳3年(1331年)、後醍醐天皇(大覚寺統)の倒幕計画発覚後、天皇は「元弘」に改元した。
しかし、鎌倉幕府は改元を認めず、「元徳」を使い続けるとともに光厳天皇(持明院統)を擁立した。

大覚寺統

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
元弘げんこう元徳3年8月9日
(1331年9月11日)
元弘4年1月29日
1334年3月5日)
4年後醍醐天皇?
鎌倉幕府に擁立された光厳天皇は「正慶」に改元。後醍醐天皇は隠岐に流される。

持明院統

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
正慶しょうけい元徳4年4月28日
(1332年5月23日)
正慶2年5月25日
1333年7月7日
2年光厳天皇光厳天皇践祚による改元。
しょうきょう
配流先の隠岐から帰京した後醍醐天皇は、光厳天皇の即位と「正慶」の元号の無効を宣言。天皇親政を始めた後醍醐天皇は、「建武」に改元する(建武の新政)。

南北朝時代・室町時代

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
建武けんむ元弘4年1月29日
(1334年3月5日)
南朝:建武3年2月29日
1336年4月11日
北朝:建武5年8月28日
1338年10月11日
南朝:3年
北朝:5年
後醍醐天皇?
建武の新政(建武政権)は2年足らずで崩壊し、足利尊氏が離反。建武3年(1336年)に後醍醐天皇は「延元」に改元した。これに対して尊氏は入京して光明天皇を擁立し、「建武」の元号を使い続ける。後醍醐天皇は一旦和睦したものの再び京を脱出して吉野へ逃れ、吉野朝廷(南朝)が成立した。

南朝(大覚寺統)

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
延元えんげん建武3年2月29日
(1336年4月11日)
延元5年4月28日
1340年5月25日
5年後醍醐天皇建武の乱による改元。
後村上天皇
興国こうこく延元5年4月28日
(1340年5月25日)
興国7年12月8日
1347年1月20日
7年後村上天皇践祚による改元とみられている。
また神武天皇即位紀元2000年を記念したものか。
正平しょうへい興国7年12月8日[注釈 5]
(1347年1月20日)
正平25年7月24日
1370年8月16日
25年天変や兵革による改元か。
長慶天皇
建徳けんとく正平25年7月24日[注釈 6]
(1370年8月16日)
建徳3年4月
1372年5月
3年長慶天皇践祚による改元とみられている。
文中ぶんちゅう建徳3年4月[注釈 7]
(1372年5月)
文中4年5月27日
1375年6月26日
4年災異による改元とみられている。
天授てんじゅ文中4年5月27日[注釈 8]
(1375年6月26日)
天授7年2月10日
1381年3月6日
7年地震災害による改元か。
弘和こうわ天授7年2月10日[注釈 9]
(1381年3月6日)
弘和4年4月28日
1384年5月18日
4年辛酉革命による改元。
後亀山天皇
元中げんちゅう弘和4年4月28日
(1384年5月18日)
元中9年閏10月5日
1392年11月19日
9年後亀山天皇践祚および甲子革令による改元。
元中9年(1392年)、後亀山天皇が退位して南北朝合一が成った(明徳の和約)。元号は「明徳」に統一された。

北朝(持明院統)

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
「延元」への改元・南朝成立後も、北朝・足利方では引き続き「建武」の元号を使用した。
暦応りゃくおう建武5年8月28日
(1338年10月11日)
暦応5年4月27日
1342年6月1日)
5年光明天皇?
れきおう
康永こうえい暦応5年4月27日
(1342年6月1日)
康永4年10月21日
1345年11月15日
4年天変や疫病による改元。
貞和じょうわ康永4年10月21日
(1345年11月15日)
貞和6年2月27日
1350年4月4日
6年天変や疫病による改元。
ていわ崇光天皇
観応かんのう貞和6年2月27日
(1350年4月4日)
観応3年9月27日
1352年11月4日
3年崇光天皇践祚による改元。
かんおう
文和ぶんな観応3年9月27日
(1352年11月4日)
文和5年3月28日
1356年4月29日
5年後光厳天皇後光厳天皇践祚による改元。
ぶんわ
延文えんぶん文和5年3月28日
(1356年4月29日)
延文6年3月29日
1361年5月4日)
6年兵革による改元。
康安こうあん延文6年3月29日
(1361年5月4日)
康安2年9月23日
1362年10月11日)
2年?
貞治じょうじ康安2年9月23日
(1362年10月11日)
貞治7年2月18日
1368年3月7日
7年天変や兵革による改元。
ていじ
応安おうあん貞治7年2月18日
(1368年3月7日)
応安8年2月27日
1375年3月29日
8年疫病や天変による改元。
後円融天皇
永和えいわ応安8年2月27日
(1375年3月29日)
永和5年3月22日
1379年4月9日
5年後円融天皇践祚による改元。
康暦こうりゃく永和5年3月22日
(1379年4月9日)
康暦3年2月24日
1381年3月20日)
3年疫病や兵革による改元。
永徳えいとく康暦3年2月24日
(1381年3月20日)
永徳4年2月27日
1384年3月19日)
4年辛酉革命による改元。
後小松天皇
至徳しとく永徳4年2月27日
(1384年3月19日)
至徳4年8月23日
1387年10月5日
4年甲子革令による改元。
嘉慶かけい至徳4年8月23日
(1387年10月5日)
嘉慶3年2月9日
1389年3月7日)
3年疫病による改元。
かきょう
康応こうおう嘉慶3年2月9日
(1389年3月7日)
康応2年3月26日
1390年4月12日
2年病事による改元とみられている。
明徳めいとく康応2年3月26日
(1390年4月12日)
明徳5年7月5日
1394年8月2日
5年天変や兵革による改元。
長門探題(後に九州探題)の足利直冬は九州の広い地域で7年(=観応2年=1351年)まで貞和の元号を用いた。観応の元号は2年の正平一統によりいったん廃されたが、破談により翌年に復活した。

南北朝合一後

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
応永おうえい明徳5年7月5日
(1394年8月2日)
応永35年4月27日
1428年6月10日)
35年後小松天皇疫病(疱瘡)の流行による改元。
称光天皇
正長しょうちょう応永35年4月27日
(1428年6月10日)
正長2年9月5日
1429年10月3日)
2年称光天皇践祚による改元。
後花園天皇
永享えいきょう正長2年9月5日
(1429年10月3日)
永享13年2月17日
1441年3月10日
13年後花園天皇践祚による改元。
嘉吉かきつ永享13年2月17日
(1441年3月10日)
嘉吉4年2月5日
1444年2月23日
4年辛酉革命による改元。
文安ぶんあん嘉吉4年2月5日
(1444年2月23日)
文安6年7月28日
1449年8月16日)
6年甲子革令による改元。
宝徳ほうとく文安6年7月28日
(1449年8月16日)
宝徳4年7月25日
1452年8月10日
4年?
享徳きょうとく宝徳4年7月25日
(1452年8月10日)
享徳4年7月25日
1455年9月6日)
4年三合の厄を避けるためによる改元。
康正こうしょう享徳4年7月25日
(1455年9月6日)
康正3年9月28日
1457年10月16日
3年?
長禄ちょうろく康正3年9月28日
(1457年10月16日)
長禄4年12月21日
1461年2月1日)
4年?
寛正かんしょう長禄4年12月21日
(1461年2月1日)
寛正7年2月28日
1466年3月14日
7年飢饉による改元。
後土御門天皇
文正ぶんしょう寛正7年2月28日
(1466年3月14日)
文正2年3月5日
1467年4月9日)
2年?
鎌倉公方足利持氏は永享への改元を認めず、正長の元号を4年(=永享3年=1431年)まで用いた。古河公方足利成氏は康正以後の改元を認めず、以後も関東の広い地域において、享徳の元号は27年(=文明10年=1478年)まで用いられた(享徳の乱)。

戦国時代

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
応仁おうにん文正2年3月5日
(1467年4月9日)
応仁3年4月28日
1469年6月8日)
3年後土御門天皇災異による改元。
文明ぶんめい応仁3年4月28日
(1469年6月8日)
文明19年7月20日
1487年8月9日
19年災異による改元。
長享ちょうきょう文明19年7月20日
(1487年8月9日)[注釈 10]
長享3年8月21日
1489年9月16日)
3年戦乱や疫病などによる改元。
延徳えんとく長享3年8月21日
(1489年9月16日)
延徳4年7月19日
1492年8月12日)
4年?
明応めいおう延徳4年7月19日
(1492年8月12日)[注釈 11]
明応10年2月29日
1501年3月18日)
10年疫病などによる改元。
後柏原天皇
文亀ぶんき明応10年2月29日
(1501年3月18日)
文亀4年2月30日
1504年3月16日)
4年後柏原天皇践祚、および辛酉革命による改元。
永正えいしょう文亀4年2月30日
(1504年3月16日)
永正18年8月23日
1521年9月23日)
18年甲子革令による改元。
大永たいえい永正18年8月23日
(1521年9月23日)
大永8年8月20日
1528年9月3日
8年戦乱、天変などの災異による改元。
後奈良天皇
享禄きょうろく大永8年8月20日
(1528年9月3日)
享禄5年7月29日
1532年8月29日)
5年後奈良天皇践祚による改元。
天文てんぶん享禄5年7月29日
(1532年8月29日)
天文24年10月23日
1555年11月7日
24年戦乱などの災異による改元。
弘治こうじ天文24年10月23日
(1555年11月7日)
弘治4年2月28日
1558年3月18日)
4年戦乱などの災異による改元。
正親町天皇
永禄えいろく弘治4年2月28日
(1558年3月18日)
永禄13年4月23日
1570年5月27日)
13年正親町天皇践祚による改元。
元亀げんき永禄13年4月23日
(1570年5月27日)
元亀4年7月28日
1573年8月25日)
4年戦乱などの災異による改元。

安土桃山時代

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
天正てんしょう元亀4年7月28日
(1573年8月25日[注釈 12][注釈 2]
天正20年12月8日
1593年1月10日[注釈 13][注釈 2]
20年正親町天皇戦乱などの災異による改元。
後陽成天皇
文禄ぶんろく天正20年12月8日
(1593年1月10日)
文禄5年10月27日
1596年12月16日)
5年後陽成天皇践祚による改元。
慶長けいちょう文禄5年10月27日
(1596年12月16日)
慶長20年7月13日
1615年9月5日
20年慶長伏見地震など天変地異の災異による改元。
後水尾天皇

江戸時代

元号名期間年数天皇名改元理由
漢字読み始期終期
元和げんな慶長20年7月13日
(1615年9月5日)
元和10年2月30日
1624年4月17日
10年後水尾天皇後水尾天皇践祚と戦乱(大坂の陣)などの災異による改元。
寛永かんえい元和10年2月30日
(1624年4月17日)
寛永21年12月16日
1645年1月13日
21年甲子革令による改元。
ただし、徳川家光征夷大将軍任命にあたり「将軍代始改元」を改元事由に加えようとした江戸幕府の意向とする説もあり。
明正天皇
後光明天皇
正保しょうほう寛永21年12月16日
(1645年1月13日)
正保5年2月15日
1648年4月7日
5年後光明天皇践祚による改元。
慶安けいあん正保5年2月15日
(1648年4月7日)
慶安5年9月18日
1652年10月20日)
5年「正保」が「焼亡」に繋がると批判が起きたことによる改元。
承応じょうおう慶安5年9月18日
(1652年10月20日)
承応4年4月13日
1655年5月18日)
4年徳川家綱将軍就任のためによる改元とみられている。
後西天皇
明暦めいれき承応4年4月13日
(1655年5月18日)
明暦4年7月23日
1658年8月21日
4年後西天皇践祚による改元。
ただし、承応2年(1653年)の内裏火災による改元予定が後光明天皇崩御によって延期されたとの説もあり。
万治まんじ明暦4年7月23日
(1658年8月21日)
万治4年4月25日
1661年5月23日)
4年江戸の大火(明暦の大火)などの災異による改元。
寛文かんぶん万治4年4月25日
(1661年5月23日)
寛文13年9月21日
1673年10月30日
13年内裏火災などの災異による改元。
霊元天皇
延宝えんぽう寛文13年9月21日
(1673年10月30日)
延宝9年9月29日
1681年11月9日
9年京都大火などの災異による改元。
天和てんな延宝9年9月29日
(1681年11月9日)
天和4年2月21日
1684年4月5日)
4年辛酉革命による改元。
貞享じょうきょう天和4年2月21日
(1684年4月5日)
貞享5年9月30日
1688年10月23日)
5年甲子革令による改元。
東山天皇
元禄げんろく貞享5年9月30日
(1688年10月23日)
元禄17年3月13日
1704年4月16日
17年東山天皇践祚による改元。
宝永ほうえい元禄17年3月13日
(1704年4月16日)
宝永8年4月25日
1711年6月11日
8年元禄地震による改元。
中御門天皇
正徳しょうとく宝永8年4月25日
(1711年6月11日)
正徳6年6月22日
1716年8月9日)
6年中御門天皇践祚による改元。
享保きょうほう正徳6年6月22日
(1716年8月9日)
享保21年4月28日
1736年6月7日
21年徳川家継死去による改元。
桜町天皇
元文げんぶん享保21年4月28日
(1736年6月7日)
元文6年2月27日
1741年4月12日)
6年桜町天皇践祚による改元。
寛保かんぽう元文6年2月27日
(1741年4月12日)
寛保4年2月21日
1744年4月3日
4年辛酉革命による改元。
延享えんきょう寛保4年2月21日
(1744年4月3日)
延享5年7月12日
1748年8月5日)
5年甲子革令による改元。
桃園天皇
寛延かんえん延享5年7月12日
(1748年8月5日)
寛延4年10月27日
1751年12月14日
4年桃園天皇践祚による改元。
宝暦ほうれき寛延4年10月27日
(1751年12月14日)
宝暦14年6月2日
1764年6月30日
14年桜町上皇崩御徳川吉宗死去、その間に発生した地震のための改元とみられている。
後桜町天皇
明和めいわ宝暦14年6月2日
(1764年6月30日)[注釈 14]
明和9年11月16日
1772年12月10日)
9年後桜町天皇践祚による改元。
後桃園天皇
安永あんえい明和9年11月16日
(1772年12月10日)
安永10年4月2日
1781年4月25日)
10年後桃園天皇践祚と、続いて起こった火事風水害が「明和九年(めいわくねん)」すなわち「迷惑年」によるとされたことによる改元。
光格天皇
天明てんめい安永10年4月2日
(1781年4月25日)
天明9年1月25日
1789年2月19日
9年光格天皇践祚による改元。
寛政かんせい天明9年1月25日
(1789年2月19日)
寛政13年2月5日
1801年3月19日)
13年内裏炎上などの災異による改元。
享和きょうわ寛政13年2月5日
(1801年3月19日)
享和4年2月11日
1804年3月22日)
4年辛酉革命による改元。
文化ぶんか享和4年2月11日
(1804年3月22日)
文化15年4月22日
1818年5月26日
15年甲子革令による改元。
仁孝天皇
文政ぶんせい文化15年4月22日
(1818年5月26日)
文政13年12月10日
1831年1月23日)
13年仁孝天皇践祚による改元。
天保てんぽう文政13年12月10日
(1831年1月23日)
天保15年12月2日
1845年1月9日
15年江戸の大火や京都の地震などによる災異改元。
弘化こうか天保15年12月2日
(1845年1月9日)
弘化5年2月28日
1848年4月1日
5年江戸城火災などの災異による改元。
孝明天皇
嘉永かえい弘化5年2月28日
(1848年4月1日)
嘉永7年11月27日
1855年1月15日
7年孝明天皇践祚による改元。
安政あんせい嘉永7年11月27日
(1855年1月15日)
安政7年3月18日
1860年4月8日
7年内裏炎上、地震(安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元。
万延まんえん安政7年3月18日
(1860年4月8日)
万延2年2月19日
1861年3月29日)
2年江戸城火災や桜田門外の変などの災異による改元。
文久ぶんきゅう万延2年2月19日
(1861年3月29日)
文久4年2月20日
1864年3月27日)
4年辛酉革命による改元。
元治げんじ文久4年2月20日
(1864年3月27日)
元治2年4月7日
1865年5月1日
2年甲子革令による改元。
慶応けいおう元治2年4月7日
(1865年5月1日)
慶応4年9月8日
1868年10月23日)
4年禁門の変や社会不安などの災異による改元。
明治天皇

明治以降

明治以降の元号は、天皇一代につき元号を一つ制定する制度(一世一元の制)に基づいている。

一世一元の詔下

慶応4年(1868年)を改めて明治元年とする一世一元の詔によって制定された元号は次のとおり。

元号名
(読み)
公式改元当時最終年在位年日数天皇名
初日最終日初日最終日
明治
(めいじ)
明治元年1月1日
1868年10月23日
明治45年(1912年
7月29日
明治元年9月8日
(1868年10月23日)
明治45年(1912年)
7月30日[注釈 15]
45年44年187日明治天皇
一世一元の詔発布による改元。

登極令下

1909年(明治42年)に公布された登極令に基づく改元は次のとおり。なお、同令は1947年(昭和22年)に廃止された。

元号名
(読み)
公式改元当時最終年在位年日数天皇名
初日最終日初日最終日
大正
(たいしょう)
大正元年(1912年)
7月30日
大正15年(1926年
12月24日
大正元年(1912年)
7月30日[注釈 15]
大正15年(1926年)
12月25日[注釈 16]
15年14年148日大正天皇
明治天皇の崩御に伴う皇太子嘉仁親王(大正天皇)の践祚(皇位継承)により、登極令に基づき改元。
昭和
(しょうわ)
昭和元年(1926年)
12月25日
昭和64年(1989年
1月7日
昭和元年(1926年)
12月25日[注釈 16]
昭和64年(1989年)
1月7日[注釈 17]
64年62年14日昭和天皇
大正天皇の崩御に伴う摂政宮(皇太子)裕仁親王(昭和天皇)の践祚(皇位継承)により、登極令に基づき改元。

元号法下

1979年(昭和54年)に成立、施行された元号法に基づく改元は次のとおり。これ以降は戦後に行われた改元となる。

元号名
(読み)
公式改元当時最終年在位年日数天皇名
初日最終日初日最終日
平成
(へいせい)
平成元年(1989年
1月8日
平成31年(2019年
4月30日[注釈 18]
平成元年(1989年)
1月8日[注釈 17]
平成31年(2019年)
4月30日
31年30年113日明仁
上皇
皇室典範の規定に従い、昭和天皇の崩御に伴う皇太子明仁親王の即位(皇位継承)により、元号法並びに元号を改める政令(昭和64年政令第1号)に基づき戦後初めて改元。
令和
(れいわ)
令和元年(2019年)
5月1日[注釈 18]
令和6年(2024年
4月28日
令和元年(2019年)
5月1日
令和6年(2024年
4月28日
6年4年363日徳仁
(今上天皇)
天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行による、明仁から皇太子徳仁親王への譲位に伴い、元号法並びに元号を改める政令(平成31年政令第143号)に基づき改元。

中央政府以外の元号

符号位置(明治から令和まで)

記号UnicodeJIS X 0213文字参照名称
U+337E1-13-77㍾
㍾
明治
U+337D1-13-78㍽
㍽
大正
U+337C1-13-79㍼
㍼
昭和
U+337B1-13-63㍻
㍻
平成
U+32FF-㋿
㋿
令和

脚注

注釈

外部リンク