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鎌田大地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 鎌田 大地
フランクフルトでの鎌田(2022年)
名前
カタカナカマダ ダイチ
ラテン文字KAMADA Daichi
基本情報
国籍日本の旗 日本
生年月日 (1996-08-05) 1996年8月5日(27歳)
出身地愛媛県伊予市
身長184cm[1]
体重76kg[2]
選手情報
在籍チームイタリアの旗SSラツィオ
ポジションMF
背番号6
利き足右足
クラブ1
クラブ出場(得点)
2015-2017日本の旗 サガン鳥栖 65 (13)
2015日本の旗 Jリーグ・アンダー22選抜 2 (0)
2017-2023ドイツの旗 フランクフルト 127 (20)
2018-2019ベルギーの旗 シント=トロイデン (loan) 34 (15)
2023-イタリアの旗 ラツィオ
代表歴2
2019- 日本31 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年11月23日現在。
2. 2023年11月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

鎌田 大地(かまだ だいち、1996年8月5日 - )は、日本プロサッカー選手セリエASSラツィオ所属。ポジションはミッドフィールダー日本代表

弟はサッカー選手の鎌田大夢[3]大阪府岸和田市生まれ、愛媛県伊予市出身。

来歴

プロ入り前

大学サッカー名門の大阪体育大学でサッカーを専修していた父・幹雄が高い技術力のある選手を目指し、父の教えで3歳からサッカーを始める[4]。3歳でクワトロ(キッズFCの前身)に入団。

キッズFC(現・FCゼブラキッズ)では小学5年時に一学年上のナショナルトレセンU-12四国に選出。キャプテンだった小6時には、愛媛県少年サッカー選手権大会で優勝[5]

中学からは、大阪府岸和田市に住む祖父母の家から通える距離にあったガンバ大阪ジュニアユースに進んだ。しかし主戦場であるトップ下のポジションには井手口陽介ら多くのライバルがいた[6]。鎌田は中学入学時に小柄で150cm程だったが、3年間で175cmまで伸び、成長に筋肉が追いつかず、思うようなプレーができない「クラムジー」に陥り[7]、腰の怪我の影響もあり思うようなパフォーマンスが発揮できず、中3になっても途中出場が多かった。守備面やハードワーク面での物足りなさも指摘され、ユースへの昇格は叶わなかった[8][9]。中学一年時の2009年にJOMOカップU-13Jリーグ選抜に選出され、韓国戦に出場。この時、同じ小学校でキッズFCのチームメイトだった山本亮太が愛媛FCジュニアユースから選出されている[10]

技巧派を求めている他Jクラブユースへの道もあったが、選手権への憧れやハードワークを身に付ける目的、父の幹雄と福重監督が大阪体育大時代の先輩後輩だった縁もあり、東山高校に進学。一年生ながら出場した第91回全国高校サッカー選手権京都府大会決勝戦では後のJリーガー仙頭小屋松らを擁し同選手権で準優勝した京都橘高校に2-3で敗れ、惜しくも選手権出場はならなかった[11]

二年生時、関西強豪校ひしめくプリンスリーグ関西1部2013では、18試合22得点18アシストの圧倒的数字で得点王アシスト王のダブルを達成し[12][7][13]、チームを3位に導く。東山高校では三年生が早くに引退し三年生不在で臨み4校で争われたプレミアリーグ参入決定戦トーナメントでは帯広北高校戦で2ゴール1アシストし[14]、初戦で前橋育英高校を降した藤枝東高校戦でも決勝ゴールを挙げ[15]トーナメントを制し、これらの活躍が翌年のプレミアリーグWESTへ昇格の原動力になった。プリンスリーグの活躍が目に留まり、二年生秋に清水エスパルスに練習参加し、ゴトビ監督に大層気に入られ清水入団が濃厚だった。

主将を務めた三年時には、高校年代日本最高峰のプレミアリーグWEST2014でチームが最下位となり全18試合で総得点が19点の中、プリンスリーグの活躍で徹底したマンマークに遭い、苦しみながらも得点ランキング4位の10得点を記録した[16][17]。複数の強豪大学から熱心に誘いを受けるが「大学は必要な道かもしれない、でもやっぱり譲れない思いがある。世界的に見て22歳でプロになるのは絶対に遅いと思う。高卒Jリーグ1年目から出ることが理想だし、そうしないといけない。Jリーグの先のことも考えている、世界に出てプレーしたいという夢はずっと持ち続けている、僕の中ではやれる自信は十分にある。」という考えの基[18]、プロ入りを志願し、5つのJクラブが興味を示した中、ゴトビ監督が解任され清水入りが流れて、2014年11月に翌期からのサガン鳥栖への加入が内定した[19]

サガン鳥栖時代

2015年、サガン鳥栖に入団。2015年5月10日のJ1第11節松本山雅戦で後半27分から途中出場し、J1リーグ戦初出場を果たし、同試合で同点ゴールとなるダイレクトボレーでプロ初ゴールを決める[20]。続く第12節の名古屋グランパス戦では、スコアレスの後半40分から出場し、アディショナルタイムにFW豊田への局面を変える決定的なスルーパスで初アシストを記録[21]。セカンドステージ第1節の柏レイソル戦で2アシスト。2015年8月、京都で行われたU-22日本代表のトレーニング・キャンプに招集される。

2016年6月18日、1stステージ第16節のガンバ大阪戦で2得点し、逆転勝利の立役者となり、MOMに選出される[22]。2016年10月22日の2ndステージ第15節の柏レイソル戦で2得点を挙げ、鳥栖の勝利に大いに貢献して、MOMに選出される[23]、前半40分に豊田とのワンツーで奪った先制点がJリーグ公式から10月度月間ベストゴールに選出される[24]。二年目はリーグ戦28試合出場し7ゴールを挙げる。

フィッカデンティ体制2年目となる、鳥栖3年目のシーズンは、背番号が24番から7番に変更された[25][26]。2017年5月27日に行われた第13節のコンサドーレ札幌戦では決勝点をあげて自ら結婚を祝った[27]。2017年6月25日、第16節の浦和レッズ戦では先制点をアシストして、自身のラストゲームを勝利で飾った。

鳥栖最終年の2017シーズンには平均走行距離12.80キロを記録し、そのシーズンのJリーグ全選手の中でトップになった。

フランクフルト時代

2017年6月24日、ブンデスリーガアイントラハト・フランクフルトに完全移籍することでクラブ間が合意したことが発表された[28]。その後6月29日にはフランクフルト側から、鎌田と2021年までの4年契約を結んだことが公表された[29]。8月12日、DFBポカール1回戦のエルンテブリュック戦で公式戦初先発を果たした。8月20日、開幕戦のフライブルク戦でリーグ戦デビューを飾った。シーズン序盤は好調だったものの、その好調を維持することができず、2017-18シーズンでの出場試合はわずか3試合にとどまった。

シント・トロイデン時代

2018年8月31日、フランクフルトからシュテンデラマルコファビアンらとともに構想外となり、ベルギー1部リーグシント=トロイデンVVへレンタル移籍する事が発表された[30]。8月31日と移籍市場が閉まるギリギリのタイミングで遅れてのレンタル移籍となったため[31]、デビューは遅れて9月16日第7節のヘント戦となったが途中出場から鮮やかに二人を躱し移籍後初得点を決めて勝利に貢献した[32]

2018年9月23日、続く第8節アントワープ戦では後半30分からの出場で左足の狙い澄ましたシュートで得点を挙げる[33]。。2818年9月30日、第9節アンデルレヒト戦では試合開始早々に味方に退場者が出たのが響き、後半45分から数分だけの途中出場に留まることになった。

2019年10月20日、第11節のコルトレイク戦では2試合連続得点を記録[34]

2018年10月28日第12節クラブ・ブルージュ戦では強烈なシュートで[35][36]、2018年11月26日第16節アンデルレヒト戦では狭いコースに小さな穴を通すかのようなシュートでベルギーリーグの強豪相手にどちらも3試合連続となる得点を挙げる[37][38]

12月8日、第18節のスタンダール・リエージュ戦でも得点を決め、シーズン2桁得点に到達した[39]

2019年4 月20日、プレーオフ2のオイペン戦で15ゴール目を挙げ、日本人主要欧州リーグシーズン最多得点記録を更新した[40][41]、この得点でベルギーリーグデビューが第7節途中出場と遅れながら15得点を記録し、18-19シーズンのベルギージュピラーリーグ得点ランキング最終順位第5位になった[42]

シントトロイデンが戦ったプレーオフ2と合わせて、リーグ戦34試合15ゴール7アシスト[43](ベルギーリーグは16チームで試合数が少ない替わりにプレーオフの得点も加算される[40]、18/19シーズンは16チームでリーグ戦30試合と優勝かけてリーグプレーオフ10 試合を戦った[44])。

ベルギーカップ(2試合1得点2アシスト)と併せて公式戦通算36試合16ゴール9アシスト[43]

フランクフルト復帰

シント・トロイデンでの活躍によりジェノア移籍が濃厚だったが、ジェノヴァ行きの当日にヒュッター監督とボビッチSDから熱心に慰留され[45][46]フランクフルト残留となった[47]。この残留を受け、期待の高さからプレシーズン中に背番号が40番から15番に変更になった[48]

2019年8月11日、DFBポカール1回戦のマンハイム戦で加入後初得点を決めた[49]

2019年11月28日、ヨーロッパリーグGL第5節アーセナル戦でEL初得点を含む2ゴールを挙げ、チームを勝利に導き複数メディアからMOMに選出される[50][51]

2019年12月12日のGL第6節ヴィトーリア戦ではヨーロッパリーグ2戦連続となるゴールを決め、チームの決勝T進出に貢献した[52]

2020年2月20日、決勝T1回戦ザルツブルク戦では、プロキャリア初のハットトリックを達成し、MOMに選出される[53]。ELでの日本人の1試合3得点は南野拓実以来2人目であり、ELでハットトリックを達成するのはクラブ史上初の事である[54]。この試合ゴール以外でも相手二人から囲まれながら股抜きで躱し、ヨーロッパリーグ公式からスキルオブザデイと評される[55]

2020年5月26日、第28節のフライブルク戦でブンデスリーガ初得点を記録した[56]

2020年5月30日、ブンデスリーガ第29節のヴォルフスブルク戦で2試合連続ゴールを決め、勝利の立役者となり、ブンデス公式MOMに選出される、この鎌田のゴールは当季公式戦二桁ゴールとなると同時に、フランクフルトにとってブンデスリーガでのアウェイゴール1000点目となり、クラブの歴史に名を残す一発となった[57][58]

2020年6月13日、第31節ヘルタベルリン戦で3人抜きドリブルからアンドレシウバにアシストし、ブンデス公式より19/20シーズンベストアシストトップ3に選出される[59][60]ヒュッター監督から「圧巻ドリブルは、大きな称賛に値するプレー、まるでスラロームドライバーのようだ。間違いなく月間最優秀ゴールとなるだろう」評された。[61]

2020年6月17日、第32節シャルケ戦で2試合連続となるアシストでブンデス公式ベストイレブンに選出された[62]

ヒュッター監督とボビッチSDが契約延長を熱望し[63][64]、2020年9月16日にフランクフルトと2023年までの2年契約延長を発表した[65][66]

12月5日、第10節のドルトムント戦で得点を挙げた[67]。2021年2月21日、バイエルン・ミュンヘン戦では強豪相手に1G1Aの活躍で勝利に貢献した[68]。同シーズンはリーグ第3位となる12アシストを記録し[69] チームに貢献した。

2021年2月14日、第21節ケルン戦でアンドレシウバの得点をアシストし、ブンデスリーガ公式サイトが発表した今節ベストイレブンに選出された[70]

2021年2月20日、第22節バイエルン・ミュンヘン戦で1得点1アシストを記録し、ドイツ誌キッカーから当節のブンデスベストイレブンに選出される[71]

2021年4月10日、第28節ヴォルフスブルク戦で1得点1アシストで勝利の立役者となり、ブンデス公式よりMOMに選出される[72][73]

2021-22シーズンヨーロッパリーグ、準々決勝バルセロナ戦の2ndレグで決勝ゴールのお膳立てをする活躍、チームを準決勝に導くと[74]、準決勝ウエストハム戦の1stレグでは、大会5点目となる決勝ゴールを決めて勝利に貢献した[75]。2022年5月18日、セビリアで開催された決勝のレンジャーズ戦でも先発フル出場し、PK戦では3人目のキッカーとして成功[76]、クラブの42年ぶりヨーロッパリーグ優勝に貢献し、優勝トロフィーを掲げた。UEFAカップを制覇した小野伸二以来、長谷部誠と共に二十年振りの日本人2人目となるヨーロッパリーグ優勝となる快挙となった[77]。ドイツ勢でのヨーロッパリーグ制覇は97年のシャルケ以来25年振りで、フランクフルトのみならずドイツ中が歓喜した。翌日の市中心部で開催されたパレードは優に10万人以上の人で溢れ返り、フランクフルトの街は歓喜に包まれた[78][79]。鎌田はこの21-22ヨーロッパリーグでチームトップ、大会4位タイとなる5得点を記録した[80]

2022年5月22日ブンデスリーガ公式よりブンデス通算520試合出場を誇るノイベルガー、クラブ最多得点者のヘルツェンバインといったレジェンドと共に歴代フランクフルトベストイレブンに選出される[81]

2022年8月1日、DFBポカール1回戦のマクデブルク戦では2得点を決めて勝利に貢献した[82]

2022年8月10日、UEFAスーパーカップでチャンピオンズリーグを制したレアル・マドリードヘルシンキで対戦し、フル出場した[83][84]

2022年9月13日のCLグループリーグ第2節のマルセイユ戦で僅かにオフサイドで取り消されたものの、ネットを揺らすなど攻守に躍動しフランクフルトのCL初勝利に貢献、UEFACL公式よりMOMに選出されトロフィーを授与される[85]

2022年9月17日の第7節でシュトゥットガルト戦で1得点1アシストし、ドイツ誌キッカーでその試合のMOMと第7節ブンデスベストイレブンに選出された[86]

2022年10月13日、欧州CL第4節のトッテナム戦でCL初ゴールを決めた[87]。その欧州CL次戦となるマルセイユ戦で先制点を決め、チームの勝利に貢献、11月5日時点で、欧州5大リーグで決定率1位を記録した[88]。グループステージ最終節のスポルティング戦で欧州CL3試合連続ゴールとなるPKによるゴールを決め、クラブ史上初のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント進出に貢献した[89]

2022年10月15日、第10節レバークーゼン戦で2得点挙げ、最多ボールタッチ、最多のデュエル、最長走行距離を記録し、勝利に貢献し、ブンデス公式MOMに選出される[90]

2022年10月29日、ドルトムント戦で得点し、ドイツ誌キッカーで12節のブンデスベストイレブンに選出される[91]

2023年4月12日、2022-23シーズンでのフランクフルトの退団が発表され、自身のSNSからもクラブへの感謝が投稿された[92][93]

19/20シーズンのヨーロッパリーグ(EL)で鎌田は10試合に出場し6得点2アシスト、ブンデス、ポカールと併せて19/20シーズン公式戦通算10得点9アシスト[94]

20/21シーズンはブンデスリーガで32試合に出場して5得点14アシスト[95]。21/22シーズンはヨーロッパリーグ(EL)で13試合に出場し5得点。

22/23シーズンはボランチでの出場が多かった中、ブンデス32試合9ゴール7アシスト、チャンピオンズリーグ(CL)で3得点、ポカールで4得点[96][97]、と併せて公式戦シーズン通算16ゴール7アシスト。

ヨーロッパの大会に滅法強く、ヨーロッパリーグ通算では11得点を記録し、アジア人最多得点者となる[98][99]チャンピオンズリーグでも8試合で3得点を記録。

フランクフルトでは公式戦通算179試合40得点33アシストを記録した(得点内訳ブンデス20得点、ポカール6得点、EL11得点、CL3得点)[100]

SSラツィオ時代

2023年8月5日、セリエASSラツィオへの完全移籍加入が発表された[101]。契約期間は2025年までの2年契約とみられている[102]。背番号は「6」。第3節のナポリ戦で決勝ゴールを決めてシーズン初白星を付けると共に、ラツィオとセリエAでの初ゴールにもなった[103]。また、第4節のユヴェントス戦では初アシストも記録した。しかしその後、ポジション争いに苦戦しベンチスタートが続いた。2024年3月14日,監督であるマウリツィオ・サッリが辞任し、新監督としてイゴール・トゥドールが就任すると、3月30日のユヴェントス戦で先発出場。4月19日の第33節ジェノア戦ではルイスアルベルトのゴールを御膳立てし、久々のアシストを記録した。

代表

2016年5月に行われるトゥーロン国際大会に挑むU-23日本代表に招集された。同大会ではトップ下に配されたが[104]、同年開催のリオデジャネイロオリンピックを19歳で五輪を迎える最終年生まれという事も響き、メンバー入りを逃した。

2019年3月、キリンチャレンジカップに挑むサッカー日本代表に初招集され[105]、3月22日のコロンビア戦で代表初出場。10月10日のW杯アジア2次予選のモンゴル戦で代表初得点。

2021年3月25日、国際親善試合の韓国戦でゴール隅に追加点となる得点を挙げ、前半のみで退いたものの勝利に貢献し、最高評価とされた[106]

2022年6月、パラグアイ戦では1ゴール1アシストの活躍を見せ、MOMに選出される[107]

2022年11月1日、2022カタールW杯に臨む日本代表に選出された[108]。この大会全試合に出場し、初戦のドイツ戦ではトップの走行距離を記録する[109] などチームのベスト16進出に貢献した。

2023年6月20日のペルー戦では前半37分に絶妙のトラップから三笘薫の先制点をアシスト、後半18分には3点目の起点を作り、後半26分に途中交代しながらも複数メディアでMOMに評された[110][111]

エピソード

小学校に入学する頃にはリフティング1000回以上に達し、ヘディングだけでも100回以上を超えていた。愛媛県の強豪キッズFCで小学二年生から六年生主体の全カテゴリーの試合に出場していた[112][4]。小学生の時は体が小さかったが、2学年上までならドリブルで5、6人躱してシュートまで持ち込んでいた。キッズFCは当時から、ボールを大事にしてGKから繋ぐパスサッカーを標榜しており、ボールを触る回数を大事にし、ボールになるべく多く触る練習メニューで技術と判断に徹底して拘るスタイルだった、そのトレーニングで技術やサッカー観の礎が培われた。キッズFCの飯尾監督が「試合で負けて泣く選手をたくさん見てきたが、涙に見合う努力を積んだと思える数少ない選手」と全日本少年サッカー県大会で敗退した時の鎌田を振り返った。

ガンバ大阪のジュニアユースでプレーしていた中学生時代からつける機会が多かった「14番」が、いつしかお気に入りの番号になり、東山高校でも三年間14番を背負うが、鳥栖や、シントトロイデンには既に14番の選手がいた為、フランクフルトでは永久欠番だった為、別の番号に[113]

中学三年時、父幹雄が鎌田の進路について大阪体育大学で一学年後輩の三笘康之(奈良学園登美ヶ丘高校サッカー部監督、三笘薫の叔父)に相談したところ、「福ちゃんのところに預けるのが絶対に良い」と同級生の東山福重監督を推薦する助言が大きなきっかけとなり[114]、東山高校に進学を決めた。

東山高校の福重良一監督は「ボクは日の丸をつけるところでやらないかん選手と思っている」と当時高校二年生だった鎌田の代表入りを確信していた発言を残しており[115]、「大地の技術や努力をみんながリスペクトしていた。大地以上に努力している子を見たら、大地はそれを見習ってそれよりも更に努力していた。」と振り返った。父親の赴任先の兵庫県尼崎市の自宅から京都市の東山高校まで、朝5時に起きて始発に乗り登校、一時間半の朝練をし、放課後部活をして夜の23時に帰宅。両手両足に重りをつけて坂を走り、学校の廊下にイスを10個置いてドリブル繰り返す、後輩を10メートル間隔に1人ずつ置いて全員を躱したり、「漫画みたいな生活」と自身で振り返った高校時代だった[116]

鳥栖の森下仁志監督は「サッカーに取り組む姿勢が他の選手と全く違った、僕は練習をハードにやるタイプだが、シーズン中であっても積極的に一人で黙々とドリブルやシュートの自主練習をしていた。目の前の試合より目線が先に向いていた、そんな選手はごく一部、世界に行ける選手と確信した。」と当時の鎌田を振り返った。

2019年11月29日のELアーセナル戦で二得点した後にドイツ紙『BILD』から「キング・カマダ」と銘打って一面で報道される、その後は独メディアやフランクフルトサポーターからも鎌田の愛称はキングカマダになり呼ばれ続けた[117][118]

『自分がサッカーを続けるために、お父さんやお母さんにすごく迷惑をかけているから、親孝行したい。普通の親孝行でない親孝行がしたい。そのためにはサッカーなんだ』との想いで[119]、鳥栖とのプロ契約金の全てを両親は受け取らなかったが渡そうとしたり、プロ一年目の終わりに契約更改した際には両親に感謝の手紙と伴にペアの高級腕時計を、プロ契約した弟大夢へは乗用車をプレゼントしたり、フランクフルト4年目には両親に7LDKの新築の家を贈るなどとても家族想いである[120]

プレースタイル

ジダンカカなどといったゲームメイクの才能ある限られた特別な選手にしか務まらない王道司令塔タイプのトップ下だった。長い四肢を活かしつつ繊細なボールタッチで落ち着き払い、靭やかかつエレガントにプレーする。空間認識力が高く俯瞰でも発見しにくいパスコースを瞬時に見つけ出し、スルーパスを得意としている。逆足の左足も苦にせず、両足を使いこなした。鳥栖在籍時から技巧派として広く知られトラップ、ボールキープ力、ドリブル、パス、シュートなどほぼ全てにおいて技術は卓越していた。ポジションに囚われずピッチを縦横無尽に駆け回るオールラウンダー。Jリーグトップの走行距離からも分かるように運動量が多いのも特徴[121][122]

東山高校の福重監督は「パスの出しどころと視野の広さに心底驚いた、見たことがなかった、教えられないものを持っていた。」、「プレーが周りとは全く違った。見ている場所が他の選手と違う、スペースを見つけてそこに入るのがうまかった。パスの出しどころや自分が活きるポジショニングのスペースが面白い。凄いなこいつと思った。」と鎌田を初めて見た印象を語った。鳥栖の森下監督は「本当にうまくて、良い選手だなと思った。プレーの間合いが良い、そこは指導者が教えられない要素でなかなか居ない。操るというか特有の空間を持っていてその間が良い、間を見た瞬間惚れ込んだ。」と初めて見た印象を語り、「ダイレクトボレーのゴールも凄かったが、30メートル近いスルーパスを通したのを見て、これはモノが全く違うと思った。良い選手を沢山見てきた中であのスルーパスは一番の衝撃。試合で使うのが遅かったと後悔した。」と鎌田のリーグデビュー戦を振り返った。鳥栖のフィッカデンティ監督は「テクニックに優れた選手なのに、運動量が豊富で、戦術理解度も高く、チームのために犠牲を払うこともできる」、「完成された攻撃的MF。世界トップ3のリーグでも十分にプレーできる」と言い表した。[123]

シントトロイデンのマルクブライス監督から「ポジショニング良くプレーでき、テクニックの質は高く、両足でドリブルもできる。それは彼を予測不可能な存在にする。彼のテクニックはリーグのレベルを超越している」[124]シーフォ以上に試合を支配するプレイメーカーと評された。フランクフルトのヒュッター監督からは「クリエイティブな選手であり、その天賦の才から時折、試合に違いをもたらしてくれる」[125]、「ダイチは天才的なプレーヤー。我々のアナリストたちは彼のことを優れた“ラウムドイター”(スペースを見つけ出す者)という専門用語を使って称している。ライン間の動きがもの凄く上手い。」[126]と評価した。フランクフルトのグラスナー監督は「彼のようにプレーインテリジェンスのある選手を見たことはそんなにない。どこに危険なスペースがあるかを予見する能力が極めて高い」と言及した[127]

ドイツを経てベルギーに移籍してプレーする中でFW(セカンドトップ)としての得点力が開花する。海外挑戦後は判断力が更に向上し、プレースピードがより早くなった。ドイツ復帰後はオフザボールのセンスに磨きがかかり、元来得意なトップ下をはじめ、左右のウイングやインサイドハーフ、ベルギー時代に開拓したセカンドトップ、そして守備力を身に付けドイツ最終年に新たに開拓したボランチなど、中盤ならどこでもこなし、様々なポジションで起用される。

ピッチを幅広く動いてパスを引き出して相手選手をおびき寄せ、少ないタッチで再度味方にボールを預ける。それを繰り返すことで相手のプレスを空回りさせて陣形を崩し、スペースを生み出す。味方がチャンスメイクをしている間に自身は相手ゴール前に入り込み、シュートを狙う。ボランチとセカンドトップが融合したような独特なプレーを見せる。球離れが早く、ボールキープにも長けている為、相手にとっては中々捉えづらい選手である。自らボールを持って積極的に仕掛けて行くプレーも得意、プレスをかけずに引いて構える事が多い格下の相手と対戦する時は、ドリブルやスルーパスで打開可能。積極的にプレスをかけてくる格上の相手に対してはそのスタイルの本領を発揮して活躍する。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2015鳥栖24J12134030283
20162873031348
201771631210185
ドイツリーグ戦 リーグ杯DFBポカール期間通算
2017-18フランクフルト40ブンデス1部30-1040
ベルギーリーグ戦 リーグ杯ベルギー杯期間通算
2018-19シント・トロイデン15ジュピラー3415-213616
ドイツリーグ戦 リーグ杯DFBポカール期間通算
2019-20フランクフルト15ブンデス1部282-42324
2020-21325-20345
2021-22324-10334
2022-23329-643813
イタリアリーグ戦 イタリア杯オープン杯期間通算
2023-24ラツィオ6セリエA-
通算日本J1651382718016
ドイツブンデス1部12720-14614126
ベルギージュピラー3415-213616
イタリアセリエA-
総通算226488223825758

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本リーグ戦期間通算
2015J-22-J32020
通算日本J32020
総通算2020
  • 2019年
    • ベルギーリーグ・ヨーロッパリーグ プレーオフ 10試合3得点
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点出場得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2019-20フランクフルト15106-
2021-22135-
2022-23-83
通算UEFA231183

その他の国際公式戦

  • 2019年
    • UEFAヨーロッパリーグ予選 6試合0得点
略歴

タイトル

クラブ

アイントラハト・フランクフルト

個人

  • Jリーグ・月間ベストゴール賞:(2016年10月)
  • JPFAアワード(JPFA)・ベストイレブン:1回(2022年)

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 31試合 7得点(2019年 - )


日本代表国際Aマッチ
出場得点
201941
202040
202183
2022102
202351
通算317

出場

No.開催日開催都市スタジアム対戦国結果監督大会
1.2019年3月22日日本の旗 横浜日産スタジアムコロンビアの旗 コロンビア●0-1森保一キリンチャレンジカップ2019
2.2019年3月26日日本の旗 神戸ノエビアスタジアム神戸ボリビアの旗 ボリビア○1-0
3.2019年10月10日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002モンゴルの旗 モンゴル○6-02022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
4.2019年10月15日タジキスタンの旗 ドゥシャンベドゥシャンベ・セントラル・スタジアムタジキスタンの旗 タジキスタン○3-0
5.2020年10月9日オランダの旗 ユトレヒトスタディオン・ハルヘンワールトカメルーンの旗 カメルーン△0-0国際親善試合
6.2020年10月13日コートジボワールの旗 コートジボワール○1-0
7.2020年11月13日オーストリアの旗 グラーツグラーツ・リーベナウ・シュターディオンパナマの旗 パナマ○1-0
8.2020年11月17日メキシコの旗 メキシコ●0-2
9.2021年3月25日日本の旗 横浜日産スタジアム大韓民国の旗 韓国○3-0
10.2021年3月30日日本の旗 千葉フクダ電子アリーナモンゴルの旗 モンゴル○14-02022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
11.2021年5月28日ミャンマーの旗 ミャンマー○10-0
12.2021年6月7日日本の旗 吹田パナソニックスタジアム吹田タジキスタンの旗 タジキスタン○4-1
13.2021年6月11日日本の旗 神戸ノエビアスタジアム神戸セルビアの旗 セルビア○1-0キリンチャレンジカップ2021
14.2021年9月2日日本の旗 吹田パナソニックスタジアム吹田オマーンの旗 オマーン●0-12022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
15.2021年9月7日カタールの旗 ライヤーンハリーファ国際スタジアム中華人民共和国の旗 中国○1-0
16.2021年10月7日サウジアラビアの旗 ジッダキング・アブドゥッラー・スポーツシティサウジアラビアの旗 サウジアラビア●0-1
17.2022年6月2日日本の旗 札幌札幌ドームパラグアイの旗 パラグアイ○4-1キリンチャレンジカップ2022
18.2022年6月6日日本の旗 東京国立競技場ブラジルの旗 ブラジル●0-1
19.2022年6月14日日本の旗 吹田パナソニックスタジアム吹田チュニジアの旗 チュニジア●0-3キリンカップサッカー2022
20.2022年9月23日ドイツの旗 デュッセルドルフデュッセルドルフ・アレーナアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国○2-0キリンチャレンジカップ2022
21.2022年9月27日エクアドルの旗 エクアドル△0-0
22.2022年11月17日アラブ首長国連邦の旗 ドバイアール・マクトゥーム・スタジアムカナダの旗 カナダ●1-2国際親善試合
23.2022年11月23日カタールの旗 ライヤーンハリーファ国際スタジアムドイツの旗 ドイツ○2-12022 FIFAワールドカップ
24.2022年11月27日アフメド・ビン=アリー・スタジアムコスタリカの旗 コスタリカ●0-1
25.2022年12月1日ハリーファ国際スタジアムスペインの旗 スペイン○2-1
26.2022年12月5日カタールの旗 アル=ワクラアル・ジャヌーブ・スタジアムクロアチアの旗 クロアチア△1-1 (PK1-3)
27.2023年3月24日日本の旗 東京国立競技場ウルグアイの旗 ウルグアイ△1-1キリンチャレンジカップ2023
28.2023年3月28日日本の旗 大阪ヨドコウ桜スタジアムコロンビアの旗 コロンビア●1-2
29.2023年6月20日日本の旗 吹田パナソニックスタジアム吹田ペルーの旗 ペルー○4-1
30.2023年9月9日ドイツの旗 ヴォルフスブルクフォルクスワーゲン・アレーナドイツの旗 ドイツ○4-1国際親善試合
31.2023年11月16日日本の旗 吹田パナソニックスタジアム吹田ミャンマーの旗 ミャンマー○5-02026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選

ゴール

#開催年月日開催地スタジアム対戦国勝敗試合概要
1.2019年10月10日日本の旗 さいたま埼玉スタジアム2002モンゴルの旗 モンゴル○6-02022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
2.2021年3月25日日本の旗 横浜横浜国際総合競技場大韓民国の旗 韓国○3-0国際親善試合
3.2021年3月30日日本の旗 千葉フクダ電子アリーナモンゴルの旗 モンゴル○14-02022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
4.2021年5月28日ミャンマーの旗 ミャンマー○10-0
5.2022年6月2日日本の旗 札幌札幌ドームパラグアイの旗 パラグアイ○4-1キリンチャレンジカップ2022
6.2022年9月23日ドイツの旗 デュッセルドルフエスプリ・アレーナアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国○2-0国際親善試合
7.2023年11月16日日本の旗 吹田パナソニックスタジアム吹田ミャンマーの旗 ミャンマー○5-02026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選

主な出演

CM

脚注

関連項目

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